「孫子」第36回 第6章 「管理論」(6)

「孫子」はスパイの分類を「五間」として5種類に分けて考えたが、その情報活動に際しては偏見や予断を排し、範囲を拡げてそれにあたるべきだとし、物事の表裏を含めて考察するものとして次のようにいう。


「智者の慮(おもんばかり)は必ず利害を雑(まじ)う。利に雑えて而して務めは信なる可きなり。害に雑えて而して患(うれい)は解く可きなり」(九変篇)
(訳:智恵のある人が物事を考えるときは、必ず利と害とをまじえて考えるのである。利のある事には、必ず害についてもまじえて考えるから、仕事はスムースに運んで成功する。害のあることには、必ず利についてもまじえて考えるから、心配事は解決することができる)


情報活動に従事するなかで、その役割や立ち位置はいろいろとあるが、共通していえるのは人間が軸となってそれに勤しむ以上、それぞれが持つ性格、個性、クセといったものから完全に自由にはなれないことだ。たとえば、一般論になるが、強気、楽観、失敗経験の欠如といったものが強く性格に反映されると、物事の「利」が持つ側面を高く評価する傾向が出る。また、そうした「利」が主張される情報を好みやすい。他方で、弱気、悲観、失敗体験の過多が強く性格に反映されると、今度は「害」が持つ側面を重視するようになる。


情報の要求、収集、分析、見積、報告などのプロセスを管理する立ち位置にある者は、人的情報(ヒューミント)が多くの人間を媒介する以上、こうした落とし穴に十分に警戒する必要がある。また、管理する側自身もこうした性格や個性の問題から抜けきることはできない。特に管理側が大きな権力を握っている場合、情報活動にあたる部下が忖度をした結果、管理側が好む都合のよい情報だけを報告するといったリスクがある。政治指導者、軍事的指導者の性格は悲観的よりも楽観的、弱気であるよりも強気のほうが好ましいと一般的にはいえるが、インテリジェンスに関わる判断についてはそうした個性は過度に暴露せずに留保しておく必要がある。その上で、政治指導者や軍事的指導者が情報活動に従事する「間」との距離感をどうするべきかについて、「孫子」は次のようにいう。


「三軍の親は間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖智に非ざれば間を用うること能わず、仁義に非ざれば間を使うこと能わず、微妙に非ざれば間の実を得ること能わず」(用間篇)
(訳:全軍の中で、指揮官との親密さではスパイが最も親しくなければならず、褒賞ではスパイを最も厚くしなければならず、スパイの仕事を最も秘密にしなければならぬ。聖智がなければスパイを利用することができず、仁義がなければスパイを使いこなせないし、微妙な配慮がなければスパイの持ってきた情報の真実を看破することができない)


これは情報活動や諜報工作が常に薄氷を履むが如きものであり、それを実行する側と使いこなす側の関係がうまく運んでいることが条件だということをいっている。


戦略、作戦、戦術の各レベルで情報活動は行われるが、こうした積み重ねがあって先に述べた廟算を行うための情報が集約されることになる。集められた情報をもとに敵と味方の総合戦力の優劣を比較検討し、そもそも勝算が立つかどうかといった大枠が判明してくる。ただ、これだけでは武力戦を行った際に勝利する可能性はわかっても、どのように戦うかの作戦計画が立っておらず、そのための具体的な準備を進める段階には至っていない。


この作戦計画を考えていくための手順として、敵がその能力を軸に選択できる行動の可能性(可能行動)を列挙し、それに対応するために味方の最適な行動を考えるやり方と、敵の企図するところまで絞り込み、それに味方が対応するという最適な行動を考えるやり方がある。一般的に敵の能力から可能行動を考えるよりも、敵の企図からそれを絞ることの方が難しい。企図には敵の意志といった心理的要素が大きく作用するからであり、こちらが合理的だと考えることが敵もまた同様とは限らないからである。他方で、敵の能力についていえば、武器装備や定数などの主に物理的要素から一定の見積もりができる。ただし、そうした能力に基づく敵の可能行動の範囲は大きくなりがちであり、それら全てに味方が備えるのもまた難しくなる。企図はいうなれば味方に「選択と集中」をさせることになるが、企図の看破に失敗すれば一気に敗勢に追い込まれる確率も高い。孫武はこの問題についてどのように考えたかといえば、次のようにいう。


「兵を為すの事は、敵の意を順詳するに在り」(九地篇)


この一文によれば、孫武は敵の企図を看破し、それに対応する味方の最適行動を導く「選択と集中」を重視したといえる。なお、これを可能とするのは、武力戦以前の平時から武力戦の最中を含め、採用できるあらゆる情報活動を実行して情報を集積し、それらを作戦と武力戦に活かすことが前提となる。加えて、戦略、作戦、戦術の各レベルで積極的に諜報・情報工作を仕掛けて、敵の政治指導者、軍事的指導者の意志に働きかけ、それらを変化させて味方にとって有利な状況を誘導するといった大胆かつ不断の取り組みも前提として織り込まれている。政治指導者、軍事的指導者に対し、このことの重要性について次のようにいう。


「唯だ明主賢将のみ、能く上智を以て間者と為して、必ず大功を成す。此れ、兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり」(用間篇)
(訳:聡明な君主や智能すぐれた将軍だけが、すぐれた智恵者を間者に仕たて、必ず偉大な功業をなしとげることができる。この上智の間者こそが戦勝を得る鍵となるもので、全軍がそれに頼って行動するものである)


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)

筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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