「孫子」第38回 第6章 「管理論」(8)

「孫子」は先に触れたように「信賞必罰」を平素から組織マネジメントに取り入れることを提起する一方で、有事の際にはそれに限界があることも踏まえていた。また、「信賞必罰」に加えて将兵の仕事や任務に対する「やりがい」についても配慮するべきだと説いた。


「孫子」の時代と現代を比べれば、一般的な教育水準に大きな差があり、指揮官・管理者としてマネジメントする側とされる側でも意識や関係に相当の違いがあった。これらを割り引いた上で「孫子」を読んでいく態度が必要だが、それでも組織論としては現代においても十分に通じるようなものが多くある。


「卒未だ専親せず而して之れを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒すでに専親し而して罰の行なわれざれば、則ち用いられず」(行軍篇)
(訳:部下がまだ管理者に完全に親しんでいないのに罰を行使すると、わけがわからず、冷酷な人だと思って心服しなくなる。心服しなければ使うことはできない。部下が完全に親しくなっているのに適切な罰を行使しないと、なれ合いに陥って使うことができない)


この文は「信賞必罰」を基本としながらも、指揮官・管理者が部隊や組織を統率していく流れのなかで、それをどのタイミングで馴染ませていくかについての具体的な訓戒といえる。平時はもとより戦場という極限の状態でも規律や命令に違わずに服することを要求される兵下たちは、喜怒哀楽の感情を持つ生身の人間であって、それに対する心理的配慮を忘れてはいけないと釘を刺している。なお、指揮官・管理者に親しむまでの間、罰を慎むことは難しくない。他方で、親しみの感情が生まれてから、罰を実行することの方が難しいとされ、これによって部隊や組織の規律や統制が緩むことはよくある。マネジメントの在り方として「信賞必罰」を導入していくタイミングを見計らうことが要点となるが、これついて孫武は結局のところ指揮官・管理者の人格的力量に期待を寄せていることがわかる一文がある。


「故に、之れを合するに文を以てし、之れを斉うるに武を以てす。是れを必取と謂う。令、素より行なわれて、以て其の民を教うれば、民服す。素より行なわれずして、以て其の民を教うれば、民服せず。令の、素より行なわるる者とは、衆と相い得るなり」
(訳:それ故に、部下を一心同体に団結させるのは文徳により、部下の規律違反を防いで整然と秩序を正すのは武徳による。このようにして必勝の部隊ができ上がるのである。法令規則が平素からよく守られている状態の下で部下に命令すれば、どんな場合でも部下は服従する。法令規則が平素から守られていないような状態では、非常の場合に部下に命令しても、部下は服従しない。法令規則が平素からよく守られている状態とは、上下相い和し、相互に信頼関係が確立し、心がぴったり一致している状態である)


軍事的指導者である「将」(将軍、指揮官)に最も必要とされる要素が「智」(知力)だと孫武が説いたことを別でも触れた。この「智」は指揮統率能力や判断力の元となるが、同時に豊かな知識と教養を育むための源ともなる。「将」である以上、軍事について精通している「武徳」は当然として、人文教養とそれに涵養された「文徳」も備えた人格に期待したともいえる。孫武自身がどのような教養を持っていたかは詳らかにはされていないが、当時、文字と文章をきちんと書けるということは、一定の知識人(読書人)であったことを証明するものであった(孫武に「管子」の影響が見られることは別のところで触れた)。


このように軍事的指導者は「文徳」「武徳」といった相当に厳しい枠がはめられる存在となる。これらの要素を十分に備えている者ばかりを期待するのは理想が過ぎるし、ときにこうした枠にはまらない人間に実戦で指揮統率をさせてみたら強かったということはある。そうしたタイプは普段、組織からは反骨者・はみ出し者といったレッテルを貼られ、ルールや規律違反も常習的であるなど疎まれる存在にもなりやすい。「信賞必罰」のルールからいえば本来は排除の対象になるのだが、実戦において役に立ち勝利へ導くポテンシャルにかけて、こうした存在を組織内でどこか活かしておく柔らかさも組織や軍隊には必要でもある。ただ、これはやはりマイナーかつ例外的な部分であって、一般的には軍隊や組織がルールや規律違反を見逃すことは許容しないのが原則なのだ。これらの原則と例外の矛盾をどうにか両立させなければならず、論理性だけでは解決できない問題を巧みに扱うことが軍事的指導者に求められている。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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