「孫子」第39回 第6章 「管理論」(9)

第8節 厳格な管理法・マネジメント手法


「孫子」が「不戦屈敵」を軸としながらも、それが不成立の場合は「用戦屈敵」を行使するといった哲学を持っているとこれまでに何度か述べてきた。そして、「用戦屈敵」を効果的に実行するため、マネジメントの在り方にいろいろな工夫を施すことについても触れてきた。「孫子」が兵法である以上は、マネジメント手法に厳格さといったものが入り込むのは仕方ないとして、相対的にみたとき、それはどのくらい厳格といえるのだろうか。中世から近代までのヨーロッパの軍隊などでは、「兵卒をして、敵の弾丸よりも、我が将校のサーベルを恐れしめよ」といったマネジメント手法があった。これなどは「強制統御法」を象徴する代表的な物言いともいえる。ナポレオン戦争以前においては、傭兵隊が軍の主力を占めた時代や、社会から隔絶された「職業軍人」によって主力が構成された時代などがあり、ここでは軍隊に愛国心、忠誠心、積極的な規範意識・義務意識を期待することは難しく、軍隊を戦力として機能させる上で「強制統御法」が採用されることがあった。


ナポレオン戦争以降はそれまでの流れが変わり、国家への帰属意識や愛国心を持つ国民によって軍隊が構成されるようになり、兵士たちの教育水準や意識も大きく改善されるようになった。こうした軍隊では愛国心や義務意識の発露と、一定の自律性によって任務を遂行することを期待した「納得統御法」が採用されるようになってきた。「孫子」はこれらの振り幅で見ると、どちらかに完全に傾くということはなく、どちらの条件も必要に応じて採用する「条件統制法」とも呼べるようなスタイルをとる。孫武が生きた時代と現代の違いを踏まえつつ読まなければならないが、組織体をマネジメントするときに参考になる部分がある。

「孫子」はマネジメントが行われて物事が進むときの1つの理想形について次のようにいう。


「故に、善く戦う者は、之れを勢に求めて、人の用に責めず」(勢篇)
(訳:それ故に戦いの巧みな人は、戦いの勢によって勝利を求めるのであり、個人的な働きに期待するのではない)


ここでは突出した個人の能力に過度に期待するよりも、組織体が団結して勢力を発揮することで物事が成就するのをまず重視している。そして、この勢力を生み出すために様々な条件を考えていく。


「故に、善く戦う者は、人を択んで勢を与う。勢を与うる者の、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静かに、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に、善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如くなる者は、勢なり」(勢篇)
(訳:それ故に、戦いの巧みな人は、その任務に適する能力を備えた人物を選抜してあて、これに適切な条件を与えて勢をつけさせる。その勢のつけ方は、丁度木石を転がすようなものである。木石の性質は、安定した所にあれば静かに動かず、傾斜地に置かれれば動き出す。また方形であれば動きにくいし、円形であれば転がり易い。だから、巧みに人々を戦わせる勢というものは、千仭の山に円石を転がり落とすようなものである、これが勢である)


組織体である以上、それを構成するメンバーの個性や能力には差異がある。突出した個人の能力にあれもこれもと過度な負荷を押し付けるようなことはしないが、その能力をもっとも適所と思われるところに配置する人事の在り方を原則としている。そのことを木や石は角がなく丸いほどに動き易いので、そうなるように事前に加工するか選抜しておき、必要に応じて傾斜地に投ずるといった物言いで表している。また、組織体である以上、その能力が十分に開発されていないメンバーも多くいるであろうし、軍隊であれば実戦経験豊富なベテランばかりではなく、戦闘未経験で訓練不十分の新兵なども組織には常に含まれる。これについて孫武は能力発揮のために苛烈ともいえる条件を科している。


「之れを往く所毋(な)きに投ずれば、死すとも且(は)た北(に)げず。死すとも焉んぞ得ざらんや、士人力を尽くす」(九地篇)
(訳:部下をどこにも行き場のない状況に入らせれば、たとえ死んでも逃げ出しはしない。決死の覚悟がきまれば、部下は全力を発揮する)

「兵士甚だしく陥れば、則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、入ること深ければ則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に、其の兵、修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり」
(訳:兵士は、甚だしい危険な状態に陥ったらかえって肝が据って恐れなくなり、行き所がない立場に立つとかえって動揺が去って心が固まり、敵地に深く入りこんだ場合は頼りになるのは味方だけだから一致団結し、戦わざるを得なくなれば必死で戦う。それ故に、このような条件の下では、兵士は、指揮官が苦労して治めなくても自ら戒め、強く要求しなくても力戦し、わざわざ拘束しなくても互いに親しみ、法令を掲げなくても誠実に働くようになる)


要するに部下の将兵に死地のなかで「火事場の馬鹿力」の発揮を期待するということである。ただし、これを実行する指揮官は、ギリギリまであらゆる術を尽くして一定の勝算を合理的に計算していなければならない。勝算を積み重ね、最後の1ピースが「火事場の馬鹿力」といった無形戦力に頼ることはあり得るが、そうした努力をせず根拠もなしに死地に部下を投ずるような指揮官、軍事的指導者は無能の極みである。なお、孫武は、この冷徹なまでの合理的計算を部下と共有するかどうかについて、次のようにいう。


「之れを犯(もち)うるには事を以てして、告ぐるに言を以てすること勿かれ。之れを犯うるには害を以てして、告ぐるに利を以てすること勿かれ」
(訳:部下を使うには任務だけを与えるのであり、くだくだしくその理由を説明してはならないし、状況を知らせるにも害の情報を知らせるのであって、利の情報を知らせてはならない)


極限では必死の覚悟を決めさせて、やるべき任務の手順だけを理解させておけばいい。余計な希望を持たせて必死の覚悟を鈍らせるべきではないということになる。孫武のこの一文をどう考えるべきか評価がわかれるだろう。特に現代においては、必死になるにせよ利と害が織りなす状況判断を伝えられて、自らが達成しなければならない任務を理性的にわかった方が士気も上がり成功に結び付くといった真逆の考えた方も強い。古代と現代の違いか、極限状況に対する判断と価値観の違いか、いずれにしても孫武が説く厳格な条件設定と運用については熟慮の上の決断が求められる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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