2017年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 「続 『孫子』に学ぶ ~インテリジェンス・戦略という視点から」

講義録


1.廟算と情報

「未だ戦わずして廟算するに、勝つ者は算を得ること多し」(始計篇)とあるように、勝敗は開戦前の情報と計算に大きく左右される。政府や軍の首脳が冷静な客観性をもって状況を算定すれば勝利につながり、逆に主観的な思い込みや不十分な情報に基づく判断は敗北を招く。この原理は現代の取締役会における意思決定にも当てはめることができる。


2.インフォメーションとインテリジェンス

『孫子』は単なる情報の収集にとどまらず、加工・分析を経たインテリジェンスの重視を説いている。君主や将軍は、利害関係者の思惑や地理的条件、環境要因を把握した上で、能動的に情報を活用しなければならない。


3.判断の姿勢

「智者の慮りは、必ず利害を雑う」(九変篇)とあるように、真に優れた指揮官は利点と不利な点を同時に考慮する。利だけを見て突き進むのではなく、害の中に利を見出す冷静な判断が求められる。


4.用間篇にみるスパイ論

『孫子』はスパイを因間・内間・反間・死間・生間の五種類に分類している。ここでは、スパイ活動を戦争の根幹に位置づけ、情報の収集と活用を将軍の最も重要な任務とした。「三軍の事は、間より親しきはなく…」(用間篇)と記すように、情報提供者との信頼関係や仁義が不可欠であると強調している。

この教えを現代に置き換えれば、組織におけるインテリジェンス担当者の適切な評価や、情報を引き出すリーダーの洞察力、さらには倫理観の重要性に通じるといえよう。


5.情報戦史

・古代〜中世:謀略と伝令

古代中国:「孫子」においてすでに「用間篇(スパイの活用)」が詳述され、情報収集と欺瞞が戦争の核心とされた。

古代ギリシア・ローマ:伝令や斥候の運用、敵軍の士気や布陣を探る諜報活動が重視された。

中世ヨーロッパ・日本:伝書鳩や狼煙・合図旗などの通信手段、忍者や密偵による諜報・破壊活動が展開された。


・近世〜近代:通信と報道

近世ヨーロッパ:三十年戦争などで外交官・傭兵を通じた情報網が発達。

ナポレオン戦争:情報伝達速度が勝敗を左右、電信の萌芽も。敵情報は捕虜尋問・現地住民の証言に依存。

19世紀後半:電信の普及により、戦場と首都をつなぐリアルタイム通信が可能に。報道機関も戦争の世論形成に影響を及ぼすようになった。


・20世紀前半:暗号・無線・プロパガンダ

第一次世界大戦
暗号解読(英:ジマーマン電報傍受)が戦局に大きな影響。

宣伝省や戦時広報機関による国民世論操作。

第二次世界大戦
英の「エニグマ」解読(ULTRA)、米の対日暗号解読(MAGIC)。

ラジオ・映画・ポスターを使った大規模な心理戦。

偽情報作戦(例:ノルマンディ上陸作戦前の「フォーティチュード作戦」)。


・冷戦期:心理戦・メディア・情報機関

米ソ両陣営がCIA・KGBなどの情報機関を駆使。

プロパガンダ放送(「ボイス・オブ・アメリカ」「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」)や文化交流を利用した「認知戦」。

核抑止における偵察衛星や電子偵察の発展。


6.インテリジェンスの処理過程について

戦争や安全保障において「情報(インテリジェンス)」は欠かすことのできない要素である。しかし、情報は単に大量に集めれば役に立つわけではない。断片的に収集された事実を整理し、意味づけ、信頼性を評価したうえで初めて、指揮官や意思決定者にとって有効な知識となる。その基本的な仕組みは一般に「インテリジェンス・サイクル」と呼ばれている。

① 情報要求
最初に必要となるのは「何を知るべきか」を明確にすることである。指揮官が敵の意図や兵力の所在、行動の時期などについて問いを立てることから、情報活動は始まる。要求が曖昧であれば、収集された情報は雑多な断片にすぎず、適切な判断材料にはならない。

② 情報収集
要求に基づき、さまざまな手段によって情報が集められる。代表的なものとしては、人間を介した情報(HUMINT)、通信やレーダーの傍受(SIGINT)、衛星写真や偵察機映像(IMINT)、公開情報の分析(OSINT)がある。いずれの手段にも長短があるため、複数を組み合わせて全体像を描き出すことが不可欠である。

③ 分析
収集された情報はそのままでは利用できない場合が多い。写真の鮮明化や通信の解読、翻訳といった処理を施したうえで、断片的なデータを突き合わせ、敵の意図や行動を推定していく。たとえば、部隊の移動映像、補給状況、通信傍受を組み合わせることで「大規模攻勢の準備が進んでいる」と判断できる。この段階で初めて、生の情報が「知識」として意味を持つようになる。

④ 評価
ただし、どのような分析も不確実性を伴う。そのため、結論には必ず「確度(confidence)」を付して提示する必要がある。一般には「高確度」「中確度」「低確度」といった区分が用いられる。また、情報源の信頼性についても併せて検討することが求められる。これにより、指揮官は分析結果を過信することなく、適切な判断を下すことができる。

⑤ 配布とフィードバック
最終的にまとめられたインテリジェンスは、指揮官や政策決定者に配布される。そこで新たな疑問や要求が生じれば、再び情報要求としてサイクルに組み込まれ、情報活動は継続していく。こうしてインテリジェンス・サイクルは絶えず回り続け、状況認識の精度を高めていくのである。


結語

要するに、インテリジェンスとは単なる情報の集合ではなく、問いの設定から収集・分析・評価を経て、意思決定者にとって意味ある形に再構築された知識である。もしこの処理過程が欠けてしまえば、情報はかえって誤った判断を導く危険すら孕む。インテリジェンスの本質は、まさに「情報を処理して知識へと昇華させるプロセス」にあるといえる。ただし、実際のところは収集についてはテクノロジーの発達でかなり精度があがってはいるが、分析や評価というものについては、必ずしも精度があがっているとは言えない側面もある(今でも困難な部分がある)。そして、「孫子」が何よりも重視したヒューミントの重要性は古代から変わっていない(他方で、情報機関などの多くが公開情報の分析に力をいれて、かなりのことを判明させているのもまた事実である)。

© 2017 Yoyu Co., Ltd. All Rights Reserved.

株式会社 陽雄

~ 誠実に対話を行い 真剣に戦略を考え 目的の達成へ繋ぐ ~ We are committed to … Frame the scheme by a "back and forth" dialogue Invite participants in the strategic timing Advance the objective for your further success