兵は国の大事なり~戦略の業~ 【第8回】 「ペリクレスの戦略と歴史が残した静かな問い」
・お互いに感じる恐怖、譲れない名誉
「戦争の歴史」と聞けば、剣や槍が行き交う戦いから、銃声や砲声が際限なく轟くような戦いの世界への歩みを思い浮かべがちなのかもしれない。あるいはどこか血なまぐさい者たちが戦争の勝ち負けを、机上や戦場でそれぞれの立場で必死の追求をする姿を想起するかもしれない。しかしながら、この歴史をもう少し冷静に振り返ってみると、もうひとつの側面が静かに立ち上がってくるともいえるようだ。
それは、戦争の歴史とは、人間が“いかに秩序や制度を生み出してきたか”という営みでもあるということだ。実のところ大学での戦略講座の準備を進める中で、改めてそのようなことを考えている。
講座第1回は古代ギリシャの都市国家(ポリス)を取り扱う予定で、ツキディデス(トゥキュディデス)の『歴史』などを読み直しているが、そこではポリスが互いへの恐怖や名誉がそのまま政治に反映されては戦争を誘発したことや、現代に比べると制度や法はまだまだ未整備で未熟なものであったことが、それらの一つの原因であったことなどが思い知らされる。
有名なアテナイとスパルタの対立などもその典型であり、互いの“勢力均衡”が崩れ始めて、お互いがそれを我慢ならないと強く意識したときに緊張がピークに達して、やがて大戦に雪崩れ込み長期間の戦争となった。結果として双方が国力を削ぎ落として、形式上の勝者と敗者はあったが、その後で北方のマケドニアによって両者が駆逐されてしまった。
・制度や法がマネジメントするもの
一方で、その数千年後のヨーロッパでは、ナポレオン戦争の破局を経て、ウィーン体制という大国が協調しての秩序が生まれた。より洗練された“勢力均衡”や“国際法”といった考え方が整っていく起点になったのは、衝撃的で破滅的な戦争からの反省の積み重ねからでもあったといえる。このように歴史を見ると、古代と近代では随分と違うようにも思えるが、よくよく見れば、人間社会の根底に横たわるもの――恐怖、利益、名誉といった情念の力は、時代を超えて変わらないのかもしれない。他方では、制度や法はその情念を管理しようとする試みであり、その緊張の中で歴史は動いてきたともいえるだろう。
2500年前のアテナイも、18世紀のヨーロッパも、そして21世紀の国際社会も、実は同じ問題に向き合っている。
「どこまで制度で戦争を抑えられるのか」
「どこから先は、人間の情念が制度を突き破ってしまうのか」
その最も古いケーススタディのひとつが、ペリクレスの戦略とペロポネソス戦争の開戦前夜だろう。アテナイの政治的指導者であったペリクレスは、陸の覇権国家スパルタに対して安易に決戦を挑まず、海軍力と城壁を活かした長期戦略を選んだ。クラウゼヴィッツの「戦争は政治の延長である」という哲学に照らせば、まさに政治目的と軍事手段を緻密に結びつけた上で、現実的戦争を追求した戦略家とも言えるだろう(ただしその戦略は実際の摩擦を前に崩れてもいった)。
・繰り返し現れる歴史の問い
なお、開戦へと至る過程では、都市国家同士が互いに感じる恐怖からの敵意、譲れない誇りを巡って激しく言論を交わし、外交戦が展開された。ツキディデスの『歴史』を読むと再現されているケルキュラ、コリントス、アテナイ――その弁論の応酬は、現代の国際政治を窺うようでもあり、弱者の立場にある者が誇りを失わずに同盟を求めるやり取りは、現代のアジア地域の安全保障にも通じる示唆があるようにも思う。私個人としては歴史が繰り返すというような単純な物言いはしないが、歴史が生み出してくる「問い」は繰り返し現れてくるともいえる。
制度と情念。
秩序と恐怖。
理性と名誉。
理念と利益。
戦争と政治。
これらの関係はとても複雑であり、とても定量化はできず、ややするとすぐに互いの文脈が入り乱れてしまうから、知的に掌握しようとする努力も安易に放棄されてしまいもする。だが、ツキディデスの『歴史』を読み、ペリクレスの戦略を振り返ることは、人間の戦略的な営みの中でも、恐怖、利益、名誉といった少し油断するとその相貌をすぐに隠して糊塗されてしまうものの強さを知ることができ、それは現代の世界を現実的に読み解く静かな手がかりにもなるように思うのだ。また改めて、この戦略の営みの中心にあったアテナイ、スパルタ、コリントスの外交戦を少しだけ覗いてみたい。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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