兵は国の大事なり~戦略の業~ 【第9回】 「アテナイとスパルタの外交前哨戦が見せるもの」

・生々しい外交戦と現代への教訓

台湾有事の可能性を巡る日本の国会でのやり取り、そこからの諸々のリアクション、今もなお日本と中国の外交当局の応酬が注視されている。各所で「発言」の切り取りや拡大解釈、法的・技術的な正しさを競い合うような議論もみられる。ただ、国会での言質だけを焦点にし、それらの応酬だけを追っていると、国家同士が本当に恐れ、求め、守ろうとしている本質が見えにくくなるのではないだろうか。こうしたとき、私のようなクラッシックな思考タイプは自然と昔の外交戦を思い返してしまう。それは、ペロポネソス戦争開戦前夜―アテナイ、スパルタ、コリントス、ケルキュラが交わした言葉による厳しい攻防である。


前回、アテナイとスパルタの間に起きた戦争は30年近く続き、勝者と敗者は形式的には定まったが、実質的にはどちらも覇権を失ったことに触れた。これは結果論であって、双方がこの結果を予想して戦争に突入したわけではなく、長くて数年くらいの内に講和を迎えるというのが指導者間での暗黙の了解だったともいわれる。もちろん、戦争の結末を知っている現代からはいかようの批判もできるし、それで満足を覚えることもできようが、他方では、アテナイとスパルタの開戦前夜の外交戦を知ることは、現代にも知恵や教訓を与えてくれるだろう。


ツキディデスは国家間を動かしたのは「恐怖」、「名誉」、「利害」だとしたが、ペロポネソス戦争の当事者の主張にもこれらの要素は露骨に表れてくる。もっともそれらは、本音と建前が入り乱れ、虚々実々の駆け引きの文脈の中に散りばめられている。


・都市国家の言い方のそれぞれ

【ケルキュラ:弱者の論理 → “利害”を正面に、恐怖を隠す】

スパルタと親しいコリントスという都市国家、ここから攻撃と圧力を受けていたケルキュラという小さな島国がアテナイに助けを求めた。アテナイと同盟を結ぶことで自国の生存を図ろうとしたわけだが、土下座外交などは行わずに、堂々と自分たちの論理でもって弁明をしている。アテナイを訪れたケルキュラの外交団は、本音ともいえるコリントスからの「恐怖」を隠して、アテナイの「利害」を説き、その「名誉」へ訴える弁舌を駆使した。

「アテナイ人諸君、同盟国としてのよしみもなく、利益をもたらしたこともない国が、今日の我々のごとくにその隣人に援助を求めるには、まず第一にいかにその申入れが有利な条件であるか、あるいは少なくともそれが災いをもたらすものでないことを明らかにし、次いでいかに不変の好意をその援助が生むかを明示すべきである。そしてもしまずこの点を納得させることができないならば、たとえその交渉が不成功に終わっても憤慨の余地はない。…」(ツキディデス『歴史』小西晴雄訳,ちくま学芸文庫)



【コリントス:被害者の論理 → “名誉”を梃子に怒りを燃やす】

アテナイの指導者であったペリクレスは熟慮した上でケルキュラとの同盟を結んだ。アテナイ側が新たな同盟国を増やすことは、ルール違反ではなかったが、勢力均衡に変化を与えた。ケルキュラに出し抜かれたコリントスは、元々積年の恨みをアテナイに抱いてもいた。ある時、コリントスは、スパルタにおいてアテナイを弾劾する機会を掴み、そこでは、アテナイへの「恐怖」を隠して、スパルタの「利害」を説き、その「名誉」へ訴える論理を駆使した。

「ラケダイモン人(スパルタ人)諸君 諸君は自らの政治機構を過信するあまり、我々が何か発言すればするほど人々に対して不信の目を向けようとする。なるほどこのために諸君は慎重であろう。しかし外部事情に関してはますます疎くなっている。・・・今や諸君が見ているのは諸都市のアテナイへの隷属である。…」(同)



【アテナイ:強者の論理 → “恐怖・利害・名誉”の三本柱を露骨に認める】

この発言を受けたアテナイの外交団は、自らの勢力圏での支配の正当性を訴えた後で、「恐怖」「利害」「名誉」の要素を堂々と示して反論をしている。

「…一旦、与えられた支配圏を引き受けた以上は、体面と恐怖と利益の三大動機にとらえられて我々は支配圏を手放せなくなったのだ。しかしこの例は我々を持って嚆矢とするのではない。弱肉強食は永遠不変の原則である。そして我々にはその価値があると自負している。しかも諸君でさえこの事実を従来認めてきた。ところが今になって正義論が都合よくなったためにそれを盾にして我々を攻撃している。…」
(同)

もちろん、このアテナイ側が示した露骨さは、今日の国際情勢にそのまま適用はできない。しかし、国家が持つ言葉の裏にある本音を語るときの構造を読み解く手がかりにはなるだろう。


・法と制度の裏面として「恐怖」「利害」「名誉」

当時、アテナイとスパルタの二大国家は、それぞれに同盟を持ち勢力圏を抱え、互いの接触や摩擦が増え、互いに我慢ならないと感じていた。故に、一つの契機が勢力均衡を崩して衝突しかねない緊張感は強く漂っていたことだろう。


さて、ツキディデスの描く世界は互いの「恐怖」「利害」「名誉」を軸にして、歴史の営みを記録している。これは勢力均衡という言葉が学術で適用される近代欧州の歴史よりも露骨な諸々が際立ち、法と制度が発展した現代からみると生々しさばかりが目立つとも感じられるだろう。だが、古代の外交戦が強い臭気を放つある種の生々しさは、今日の私たちにとっては結局のところ示唆の宝庫ともいえる。


ツキディデスが軸とした「恐怖」「利害」「名誉」などで考えてみることは、それぞれの本音を知り、互いに甘い幻想を抱かないためにも有効であり、これを敷衍して現代の日本と中国の関係を捉えるのは許容の範疇だろう。現代では外交上の発言は法と制度に基づいたものが前面に出ては焦点となり、これらの言質のテクニカルな解釈が重視されることは理解できるが、ツキディデスが論じた要素が国家間の裏面から消え去ったわけでもない。国家同士が本当に恐れているもの、求めている利害、どこに名誉や面子の軸を置いているのか。この裏面を見ない限り、戦略的な理解には至らず、感情論に流されて、木を見て森を見ずの対応に終始してしまうのではないだろうか。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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