温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第58回】 鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫,1981年)
和歌山県を訪問したときのことだ。実のところ「南方熊楠記念館」に行くつもりだったが旅先の都合でご縁を頂けなかった。HPを見る限りそれなりに資料展示もしているようだから次回こそはリベンジと期待をしている。南方熊楠という人を端的に表現するのは容易ではない。南方は知の巨人であり柳田国男と並ぶ日本の民俗学の創始者と表現することもできるが、前者は後者に比べて一言でいえばとんでもなくぶっ飛んでいる。その知的関心領域も広く深くて、社会学、民俗学、民俗誌、歴史学、人類学、心理学、宗教学、植物学、生物学に及び、社会科学と自然科学を融合させて物事を理解しようとした人だ。そして、南方が残した書簡などをみればどの領域もそれぞれの一流専門家とのやりとりをしている。その点でいえば柳田のカバーした領域はこれほどの拡がりはない。学問の専門化が進んだ今日ではこれだけのフィールドを網羅する人などは大学などの学界にはまずいないだろうし、仮にいてもいろいろと生きづらいだけかもしれない。なお、知の巨人たる南方の正式な学歴は「中卒」であり、大学などの機関には一切所属せずに「大学者」となり、一生涯を知的関心の風が吹くままに研究没頭してものを書き残した人なのだ。
南方はおそろしく知力が高かった人だと思っている。そうした人の思想や思考の仕方に私は多少なりとも興味がある。独創的とも突飛ともいえるそれらのスタート地点はどこにあり、どのように学び、どうつくられていったのか。それらの疑問にわりとコンパクトに答えてくれる本が「南方熊楠」(鶴見和子・講談社学術文庫)だ。「南方熊楠全集」(全8巻)や資料を丹念に読み込み要点がまとめて書かれているので読む価値はある。さて、南方は幼少の頃には父母が素朴に信ずる真言密教、街の周囲の人からは心学(陽明学)の教えなどを物語のかたちで学んだ。そして8歳9歳ともなると読書に目覚め書籍を求めては読み込み、覚えて、写すという作業をした。「和漢三図会」「本草綱目」「諸国名産図会」「大和本草」「太平記」などを12歳まで写本を終えた。中学に入ると「漢訳大蔵経」2千冊(7千巻)、博物学、解剖学、人類学などの洋書を読破していた。
ただ、一方で学校の成績はふるわず、そしてときに授業を勝手にスキップして野山に入り動物や植物の研究に一人勤しんでいたという。卒業して一時上京するも結局は大学には行くことはなかった。学問は好きだが学校は好まないそうした性格が南方には一生ついてまわる。その後、アメリカやイギリスにも長らく留まるがこれもまた大学に入らずに好き勝手に学び、当然ながら学位を授けられることもなかった。何故学校を嫌うのかといえば、南方自身は、「これは生来事物を実地に観察することを好み、師匠のいうことなどは毎々間違い多きものと知りたるゆえ、一向傾聴せざりし・・」と書き残している。先生の権威や知識などはそもそも信頼せずに、自分で本を読み考え物事を耳目でもって確かめるというスタンスだ。こうした姿勢でものを学び続け、権威やお仕着せによって自然と馴染む思考の枠組みなどにはまらずに、自由闊達、融通無碍に学び歩んだ。
このような南方が行き着いたひとつの極地ともいえる思考方法の一つが「南方曼荼羅」と呼ばれるものかもしれない。一見すると〇と×で子供がいたずら書きをしたような「南方曼荼羅」の図が残っており、詳細な説明は省くがこの発想の仕方と説明が複雑であり面白くもある。南方によると宇宙には事不思議、物不思議、心不思議、理不思議があるという。近代科学が対処できるのは物不思議で、数学や論理学は事不思議に解を与える。だが、心不思議や理不思議などは近代科学ではまだ解明できないことが多くある。物不思議は人間の意志や意識と関係なく存在する客観的法則をさし、心不思議は人間の意志や意識についての法則をさす。南方はこの物と心との相互作用から生ずる事不思議に関する法則について深い関心を示した。
「この心界が物界とまじわりて生ずる事(すなわち、手を持もって紙をとり鼻をかむより、教えを立て人を利するに至るまで)という事にはそれぞれ因果のあることと知らる。・・・今の学者(科学者および欧州の哲学者の一大部分)、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり・・」
南方はここで因果という言葉をつかっている。因果律とは広い意味では「ある結果あれば必ず原因がある」となり、この感覚は常識的に理解できる。ただ、ニュートン力学がひとつの前提とした因果律は「同じ原因があれば必ず同じ結果が生じる」というもので、この考え方は現代では量子力学などの極微のフィールドでは成立しないとされている。なお、南方のいう因果律とはこれを両方の意味で用いており、この因果律が物界で機能しても、心界では確かなことはいえず、物と心が接して生ずる事の世界ではどのような法則が見いだせるのかを知りたいと考えたのである。南方がきわめてぶっ飛んでいるな(決して否定的な意味ではない)と思うのは、同じ原因から異なる結果を生じること、異なる原因から同じ結果が生じること、それらがありえるならば、なぜなのかをさらに考えはじめたことだ。ここで南方は「因果律」とは区別して「縁」を持ち出してくる。一つの因果律が進行していても、そこに新たな因果律が入り込んだ場合には、一つの因果律で進行していたものとは別の結果が生じることがあると考えた。これらについて南方はつぎのようにいっている。
「今日の科学、因果は分かるが(もしくはわかるべき見込みあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかし、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり」
常識的にわかりやすい科学的思考、合理的思考などそんな枠組みをそもそも持ち合わせない南方の真骨頂のあらわれかもしれない。ただ、縁を研究といったところでこれはもはや実証的に学べる領域でもなく、ある意味で極地にふれたであろう南方は何を感じたのかまではよく分からない。よく「縁があった」「縁がなかった」「縁は引き寄せるもの」などと我々は日常的かつ慣用的さらにはテキトーにたいして意識せずに使うが、それを知力の限り向き合おうと思った南方の生真面目で真摯な凄みを感じさせる一文なのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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