温故知新~今も昔も変わりなく~【第59回】 小林秀雄『歴史について・対談集』(文春文庫,1978年)

何人かの作家や研究者から引き継いだ蔵書が手元にあり、それらを時折整理しているときなどについつい面白そうだと思って手に取り、少し読んでみると結局最後までページを進めてしまうことがある。そのなかの一冊が「歴史について 小林秀雄 対談集」だった。紙はすでに日焼けしてしまったボロボロの文庫本で「1978年12月25日第1刷」とあり、裏表紙をみれば値段は¥260と記されていた。既に故人となって久しい文芸評論家の小林秀雄が色々な著名人等と対談しているもので、その巻頭対談が同じく文芸評論家の江藤淳との「歴史について」でありこれが面白かった。40年と少し前に行われた対談はこうも自由な議論が許容され、ある意味では放言も許されたことに隔世の感を覚えたのだ。対談の冒頭では歴史についてより、人間が未来を考えるとは何かといったところから話が始まる。


江藤「未来学者の人がしゃべっているのをききますと、人情味などというものはあまり感じられませんね。人間らしくないというか、ロボットがしゃべっているみたいなんです。」

江藤「・・・テクノクラートという人種を見てますと、たいへん元気がよくて、ものすごく勤勉のようですが、しかし、ほとんどだれ一人として、豊かな人間にあっているという感じがしない。非常に貧相に見えるんですね・・」

小林「会ったこともないけども、そうだろうね。(笑)そういうことはみんな観察するまでもないこと、非常にやさしい。子供がなつかないとか、そういったことでしょう」


今現在だとこうした「放言」は炎上するかもしれない。だが当時はそんな心配などしなかったのだろう。そして本題に入る前に対談は脱線していく。


江藤「・・イギリスでは犬と人間のつきあい方というのが、非常によくできていまして、公園なんかにいても、堂々たる紳士が、みすぼらしい犬を連れて歩いていることもあるし、匹夫下郎が案外すばらしい犬を連れて歩いたりすることもある」 


このあたりはかなりきわどい表現とコンテクストで、多分今日だと割愛か削除か自主規制をされてしまうだろう。こうしたやり取りを経て歴史とは何かとの本質に入って対談はヒートアップしていく。小林はときおり本居宣長や荻生徂徠などの生きざまを引き合いに出しつつ歴史論をぶつのだ。


小林 「・・サイエンスというものは事実研究でしょう。事実に関する論理をいうのでしょう。その論理とは因果論でしょう、物の原因が解ったって物が解ったことにはならない。」

江藤「サイエンスはものの動き、または物と物との関係の記述ですからね」

小林「・・だから、物を理解しようと認識しようと思ったら、科学に頼ってもだめでしょう。こういうものはこういう意味だということを教えることが、物を理解することでしょう。そうすれば、それは道の学問になる。道を知ることは歴史を知ることだ。それを一番先に日本で気づいた人が徂徠なんです。・・・歴史的な出来事というものがありますね。歴史的な出来事は、人間の一つの行為だろう。行為というものは外から見れば物的です。外から見れば、出来事は時間的な連続だ。だけど、それは、外から見てそうなんだけれども、言葉は外にないだろう。出来事の中にあるだろう、意味だからな。そして歴史家っていうのは、どうしたって出来事の中に入らなきゃならない。入ると、言葉しかないんだよ。だから事(こと)というのは言(こと)なんです。宣長もそういったろう。「事ハ言ナリ」。これは、徂徠の思想をそのまま受け継いだんだ。事というのは行為ですね。行為というものは、外から見れば物的なものだ。けれども、物的なものは、みんな自然に属するだろう、そこには歴史はないよね。これが歴史になるのには、その中の事の意味が問題なんだよね。事を、どういうふうに人間が経験して、どういうふうに解釈したかということが歴史だろう。その解釈というのは言葉なんだね。・・・」


ここらでやめておくが、このようなやり取りが続いていくのだ。小林は年表を列記して並べてそれを暗記したところでそれは歴史ではなく、事を記述した言葉をどう解釈していくかだという。この対談を読んだのは実のところ最近であり、私の意志とは関係なく年に一度順番が廻って来る「日本クラウゼヴィッツ学会」の研究発表の準備をしていたときの合間だった。毎年毎年、はっきりいえば私の手に余るテーマをやりますよと相当事前に事務局に連絡しては、暫くしてもう少し簡単なものにしておけばよかったかなと悔いて、それでもグダグダと準備しているうちに本番を迎えるのが恒例となっている。


ちなみに今回選んだテーマはツキティディスの「歴史」(ペロポネソス戦争史)だった。ツキティディスは古代ギリシャ・アテナイの人で、スパルタとアテナイが27年にわたって繰り広げたペロポネソス戦争に将軍として出征し、武運拙く失敗して祖国アテナイから追放され歴史家に転じた人だ。歴史家となってからはひたすらに当時現在進行形の戦争についてあらゆる資料を集めて因果関係を記述して後世の教訓となるべく残した。この「歴史」は実証主義的ともいわれるがその所以はまさしく微に入り細を穿つような記述のスタイルだ。スパルタとアテナイが本格的に軍事衝突する前にお互いが繰り広げた舌戦(外交戦)についても、その場にいなかったはずのツキティディスはあらゆる調査や聞き取りなどで当時の論戦や演説を復元している。読み応えはあるが一つ一つがものすごく長く理解整理するのが大変で、それらと共にツキティディスなりの説明と解釈が加わる。なお、「歴史」上下巻(ちくま学芸文庫版)は900ページほどだ。
今回、私はツキティディスを通してアテナイとスパルタがなぜ衝突していったのかをポイントを読み解き、その視座を現代にどう活かすかを心がけて研究発表をした。そのために面倒なツキティディスとじっくりと向き合い、文章を味わい、その入り組んだ文脈を自分のノートに整理しながら考えた。同時に、古代ギリシャの地図とにらめっこし、年表を整理しながら進めたが、正直、これは大変だなと思ったことが何度もあった。ただ、そんなとき、本居宣長の「事ハ言ナリ」を思い返しては励みにした。


小林秀雄がいうように歴史の出来事の中に入るには言葉しかないし、そして、2500年近く前の古代ギリシャなど言葉でしか追えないのだ。ツキティディスの中に入って、その意味を自身の能力の範囲で真摯に解釈して、それが妥当かどうかは分からないが発言の場がある以上は伝えるしかないのだ。なお、アテナイとスパルタは互いに言葉の限りを尽くして外交戦を試みたが結局のところ長い武力戦へと突入した。そこにはお互い言葉の意味は分かっても、お互いに越えられない余りに多くのものを抱え過ぎていた。ちなみに学会発表終盤の締めのクールダウンで、私はこのツキティディスの「歴史」と向き合うことで人に対して寛容さが増すという余禄に預かりうると会員に伝えた。
世間に生きていれば言葉を尽くしてもどうしても理解し合えない、ダイレクトにいえば話せば必ず喧嘩になるような人間が誰にでも一人や二人いるだろうが、そんなときスパルタとアテナイの関係を思い出して、相手のことをスパルタのような頑固な奴だと思えば優しくなれますよと冗談めかして伝えた。一定の笑いはおきたし会員の中にはツキティディスをしっかりと読み込みたいといってくれた人もいた。その言葉からは一応の研究発表の成功との意味で解釈してしまうことにしたい。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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