温故知新~今も昔も変わりなく~【第68回】 平間洋一『日英同盟~同盟の選択と国家の盛衰~』(角川ソフィア文庫,2015年)

日米首脳会談では同盟関係のさらなる強化の必要性が確認され、共同声明において日本は「自らの防衛力強化を決意した」との文言を盛り込んだ。そして、この安全保障ネタに紐づくような形で新聞やメディアなどで繰り返されるパターンは、東アジアの地図を抜き出してきて、中国、日本、在日米軍などのミリタリーバランスを数字の上で論じるものだ。今回、目新しいものがあるとすれば、共同声明で「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する」と52年ぶりに台湾という言葉が入ったことで、ミリタリーバランスに台湾の軍(中華民国国軍)について言及されたくらいだ。
4月21日付の日経新聞特集記事によれば、中国:陸上兵力98万人、艦艇750隻、作戦機3020機 台湾:陸上兵力9万人、艦艇230隻、作戦機520機 在日米軍:陸上兵力2.3万人、艦艇30隻(第7艦隊)、作戦機150機などの数字をわかりやすいビジュアルであげている。そして、2000年以降中国が軍事予算を急激に増やしたことで、米中台の軍事力が数字の上では中国が優位になっていることを解説する。加えて、台湾をめぐって中国と米国が衝突した場合に、日本の対応については2015年に成立した安全保障関連法を持ち出して説明をしている。同法では重要影響事態、存立危機事態、武力攻撃事態の3つの事態を定めている。この順番で日本にとってはより深刻な事態を意味して、それぞれ米艦への後方支援、米国を攻撃するミサイルの迎撃、海上封鎖時の機雷掃海、武力を用いた日米共同対処など出来ることの段階が上がっていく。


さて、こうした記事は何かを読者に教えてくれてはいる。他方で、何を読者に教えてくれてないか明示はしてない。少しばかり俯瞰しての話をしたい。日米同盟という言葉が市民権を得て結構な年月が経ち、近年、この言葉が多用されるに比して具体的な法整備などが一見すれば進歩したように思えるが、他方でどこかいまだ無菌状態の中での都合のよい観念論を弄んでいるようにも感じてしまうのだ。兵法家・孫子は、「故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ」(現代語訳:そこで軍事力の最高の運用法は、敵の策謀を未然に打ち破ることであり、その次は敵国と友好国との同盟関係を断ち切ることであり、その次は敵の野戦軍を撃破することであり・・(浅野祐一訳)という。敵国からすると同盟が強化されており、その紐帯がしっかりしているほどに脅威になるわけであり、武力戦を仕掛ける以前にその同盟に楔を打ち込むべくあらゆる謀略をしかけることは常識的なセオリーである。ただ、敵に楔を打ち込まれる以前に、同盟を組むものが互いにその意義と利害や限界を認識していなければ外圧などによらずしても機能しなくなる。同盟を強化することはある部分では他国と運命を一緒にする運命共同体の覚悟が問われる反面、所詮は異なる国家がその利益やエゴをベースにして結合する側面も強く、戦略をすべて共有することなどは難しい(戦略の定義にもよる)。 国の成り立ち、歴史、理念、文化、慣習、国民性、地理的特性など異なる国家が、同盟を組み共通の軍事目的をもち得てもなお、政治、経済、社会などあらゆる領域で同盟の間に利害の対立はある。中長期的な安全保障を考えてのベターな選択として60年以上続いてきた日米同盟はどこか当たり前の存在のようになっているが、その存在価値や意義はこれから本当に問われていく。国家間の同盟は実のところもっと生々しくエゴが入り乱れ、互いに美辞麗句を外交儀礼上つかう反面、現実の事態を目前にすれば揺らぎやすく、感情論が交じり互いの要求もエスカレートするなかでギリギリの運用が求められるようなもので、それを維持するのはかなり困難なのだ。そんな事実を忘れながら、自分たちの内輪の論理と事情で法制備を重ねても、それがいざというときに免罪符として機能するわけでもないのだ。


同盟とは一体何だろうか。そんなことを考える材料を近代史の中に求めるとすれば、日英同盟の歩みが良いのではと思う。日本史の教科書でも扱われ、次のようなイメージで記憶している人も多いだろう。1902年に始まり、当初はロシアの極東進出を抑える目的で日英双方の利害が一致し、同盟は05年、11年にわたって更新されるも、第一次大戦が終わり21年のワシントン海軍軍縮会議の流れで四か国条約が結ばれて、日英同盟は23年に失効した。事実関係としては間違ってはいない。ただ、この20年間の同盟を維持するために互いにどのような努力、摩擦、誤解、対立、協同、謀略があったかはあまりスポットを浴びない。この流れをコンパクトにまとめた本として「日英同盟~同盟の選択と国家の盛衰~」(角川ソフィア文庫)がある。著者の平間洋一氏は海上自衛官出身で防衛大学校の教授も歴任した人だ。本書の「はじめに」には次のように書かれている。「また、日英同盟二〇年の歴史を学べば、国際機関の限界や同盟国選定の要件、同盟の利点や問題点、それを解決する対策など、今後の日本の針路を考究するうえに、学ぶべき多くの遺訓が見出せるのではないか」


本書の読みどころは色々とあるのだが、一つは同盟が改訂されるときの内容やそれを巡っての当事者同士の環境や思惑の変化がフォローされているところだ。日露戦争を巡っては日英同盟の下で日英が互いに厳正中立を維持するのが条約内容であった。したがって、これに反する武器弾薬の援助などは不可であった。他方で「同盟国ニ対シテ他国が交戦ニ加ハルヲ妨グルコトニ務ムベシ」との取り決めから、仏独の日本に対する干渉が排されて、日本は満州でロシアに対して攻勢作戦をとることができた。この同盟は05年には改訂されて、互いに協同で戦闘にあたる攻守同盟になり、その適用範囲も英の求めがありインドにまで拡大されている。11年の改訂ではロシアという共通の敵が実質的に消え、日露協約、日仏協約、英露協商の締結、米国と人種問題をめぐる紛糾などもあり日英同盟は存続の危機を迎えながらも、米国を同盟の適用外として存続することになった。こうした中で第一次世界大戦が勃発すると、日本は欧州への派兵を要請されることになる。「手を変え品を変え」といってよいくらいに英国をはじめとして列国から派兵を期待する声があがり、日本はインドまでとの条約の範囲を逸脱して地中海への軍艦派遣などに務めるも、列国の反応はそれではまったくもって不十分と大規模な派兵を何度も要求している。これに応じなかったことが、列国の世論は感情的にも硬化して、日本は独善的に自己の利益のみを追求していると非難されることになる。そして、後の日英同盟の終了の遠因となっていくのだ。日本は日英同盟の条約の下でその法的限界を基本は遵守しつつも、少しの逸脱のみで力を尽くしても、深刻な事態において同盟相手が満足しなかったのだ。


さて、現代に戻ると日米同盟がこれから形を変えていく。条約や法律の範囲で物事を進められるように整備しておくことは大切ではある。ただ、それだけで同盟関係が機能維持できるとは到底思えないし、日英同盟がどのようにその性質を変えていったかを鑑として改めて知識を深めておくのは悪くはない。あまりコンパクトという言葉は使いたくないが、本書はその知識を授けてはくれる。ただ、結局のところ同盟を結ぶに際して、自国が相手と結ぶ条約の範疇だけではなく、戦略思想の上で味方や敵に対してどう向き合うのか肚をくくっていなければ意味がないことだとも思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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