温故知新~今も昔も変わりなく~【第74回】 岡崎久彦『戦略的思考とは何か』(中公新書,2019年)

1983年に初版が出されたとき私は7歳。1997年に20版が出されて購入したとき私は20歳だった。香港が中国に返還された直後の夏の日に「戦略的思考とは何か」(中公新書)を読んだ記憶がある。著者の岡崎久彦氏は駐タイ大使や情報調査局長を務めた外交官であり論客として当時から有名であり、この本はいまでもロングセラーとして扱われる一冊だ。初めて読み終えたときの感想は岡崎氏の徹底したリアリストぶりに深い敬意を覚えつつも少しばかり引き気味だったとも思う。


冒頭の「はじめに」はかなり厳しい物言いではじまる。「日本人というのは、過去の経緯ででき上がっているものを工夫して改善していく点ではおそらく世界一といえるくらいの能力を発揮するのですが、肌で感じないとなかなか理解しない国民なので、何もないところに論理的な整合性のある構築物をつくり上げるということになると、はたと当惑してしまうところがあるそうです」
岡崎氏の国家に対するものの見方は、イデオロギーや思想などよりもパワーポリティックス(権力政治)や国益を中心にみておけばまず間違いがないといったものだ。それを元にインテリジェンスを冷静に分析してしかるべき決断をしていけば国家の安全保障は保たれうるともいう。そして、同盟を組む相手の外交儀礼などではなく能力と本音をきちんと見据えたうえで何を互いに成しえるかを知るべきだと冷静に説く。


本書の半分は岡崎氏のこうした歴史観に基づく日本近代史であり、その中で日清・日露戦争から大東亜戦争に至る経緯を展開して、「アングロ・サクソン」(アメリカ・イギリス)との不即不離であるべきだと語る。その理由の一つとして「アングロ・サクソン」が持っているインテリジェンスが入ってくる限りにおいては常識的判断を失わないでいられるが、それが絶たれると常識を失いどこまで堕ちゆくかわからないとしている。第四章「アングロ・サクソンとスラブの選択」の最後でこのことを次のように締めくくっている。「普通の交友関係でも、学校や職場の中でいちばんエリートのグループ、何でも知っているグループに入っていれば、的はずれの勉強をしたり、怪しい情報にふりまわされたりすることはない、というのと同じ単純な話です」


いま手元にある同書をめくり返してみると、いたるところに乱雑に線が引かれ、書き込みがなされており、これまでに何度か読み返してきているのがわかる。冷戦時代、今とは大きく違った時代に外交官という実務担当者として真摯に向き合った岡崎氏の戦略論は今でもしかと受け止めるべき内容が多くある。ただ、このインテリジェンスと常識の部分についてだけ若干なりとも思うところがある。どれほど有益なインテリジェンスがもたらされたところで、結局のところ自分で考える基礎体力がなければそもそも常識的判断を行うことができない。そして、考える力とは論理的整合性をつけるのに長けているだけでは十分ではない。(もちろんこの能力は必要である。)岡崎氏がいう常識にはイデオロギーや思想に過度に曇らされていないパワーポリティックスに基づく歴史観といったものも含まれるだろう。ただ、これでもって解決するかといえばそれほどたやすい話でもないとも思うのだ。


この本の第一章の終わりに次のような文章がある。「一般的に日本の旧軍の欠点として、アングロ・サクソン風の情報重視戦略でなく、プロイセン型の任務遂行型戦略を採用したことが指摘されています。つまり勝てそうかどうかの見極めをつけてから戦闘を行うのでなく、与えられた兵力で与えられた任務をいかに遂行するかを考えるということです」


この文脈をさらっと読み流してしまえばそれで終わりだが、たとえば、ここに書いている一般論がどの程度妥当かをじっくりと解体して考えていくとする。論理性を中心に事実関係の整理はできるし、パワーポリティックスに基づく歴史観によって自国の判断の甘さといったものは浮かび上がるだろう。だが、この中で使われる二つの「戦略」という用語をそもそも同じ概念で扱ってよいかはまた別の次元の話なのだ。そして、「戦略」といった概念をどう定義するかが問われるし、それは結局のところ思想の問題がどうしても入ってくる。


一般的な歴史の本ではあまり問題にされないが、人類の長い歴史の中で飽きもせずに繰り返してきた戦争から日陰者のように生み出されてきた戦略思想・用兵思想といったものがある。たとえば、孫子、マキャベリ、ジョミニ、クラウゼヴィッツ、マハン、リデルハートなどがそうした一部だが、それぞれの時代に凄惨な戦争を見せつけられて、そこから思うところ書き連ねた知的遺産ともいえる。こうしたものをある程度糧にしなければ「戦略」の意味合いをどう扱うかは見えてこないと思っている。実のところ戦略なる言葉は多用されるが、一方でどのような意味合いで使っているかはあまり問題にされないことが多い。私個人としては「戦略的思考とは何か」は名著だと思っている。これを前提としたうえで「戦略とは何か」が問われ続けねばならないし、そのためにも「戦略思想とは何か」を学ばねばならないと思うのだ。そうした下敷きがあってインテリジェンスとそれらを天秤にかけてなおのこと適切な常識的判断ができると感じている。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

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