「孫子」第10回 第2章 「目的論」(1)

第1節 概  説


厳しい競争が常態化しているなかで、国家、企業、組織、個人が生存と繁栄を達成していくためには、何かしら意識的で具体的な行動によって支えられていることが必要になる。これらの行動に意味を持たせていくためには、望ましい結果を含む目的が確立されていることが求められ、それによって具体的な行動に向けた基準・規範といったものがみえてくる。この目的とは2種類に分けて考えることができる。1つ目は、その行動が成功したときに、その結果として獲得できる成果であり、これを「政治目的」として定義できる。2つ目は、その行動自体が追求する結果であり、これを「行動目的」として定義する。


『戦争論』を著したプロイセンの将軍であったカール・フォン・クラウゼヴィッツは、同書第1編第1章の2「戦争の定義」の部分で、「してみると戦争は一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意志を強要するにある」と述べ、その上で「かかる強力行為は手段である」と「戦争が手段であること」をはっきりとさせている。さらには「相手が我が意志を強要することが目的である。ところでこの目的を達成するためには、まず敵の防御を完全に無力ならしめねばならない」と説いている。


相手に強要するべき我が意志とは、行動の結果として獲得を期待する政治目的であり、敵の防御を完全に無力にさせることが行動目的に該当する。さて、「孫子」は、クラウゼヴィッツのような叙述スタイルによっては、戦争や目的の定義などはしていないが、全篇に散りばめられている中から、それらについての基本的な考え方を知ることが可能である。生存と繁栄を求める上でも、それらは多くの示唆を含むものであり、「孫子」の政治目的と行動目的についてさらに考察を続けたい。



第2節 政治目的


「孫子」の政治目的について二段階にわけて考えている。

「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり」(計篇)

「兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり」(作戦篇)
(訳:戦争の本質をわきまえ軍事問題に精通した将軍は、国民の生死の運命を司るものであり、国家の安危を決する主宰者である)


「亡国は復た存す可からざるなり。死者は復た生く可からざるなり。故に、明主は之れを慎しみ、賢将は之れを警(いまし)む。此れ、国を安んじ、軍を全うするの道なり」(火攻篇)
(訳:一旦滅亡した国家はもう一度再興することはできない。一旦死んだ人間は再び生きかえることはできない。だから聡明な君主は戦争を起こすことを慎重にし、賢明な将軍は戦争を行うことをいましめるのである。これが、国家を安泰にし、軍隊を保全する道である)


これらの3つの文からは、「政治目的」の第一段階を「生存」の確保に置いているのがわかる。ある意味で常識的なことであるが、「孫子」の時代が群雄割拠、弱肉強食であり、そのなかで油断や錯誤、独善的やうぬぼれた行動、面子や意地の張り合いなどから滅亡していく国がある現実を踏まえて、この常識的なことを改めて強く説いたと考えられる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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