「孫子」第24回 第5章 「戦術論」(3)

第4節 軍争 ― 機先を制する


「孫子」のなかにある軍争篇。この軍争という用語の解釈について山鹿素行は「軍争は彼れと我れと両軍相対して勝を争ふ也」と説明している。金谷治氏は「機先を制するための争い」と解釈する。


「凡そ、将命を君に受け、軍を合わせ衆を聚(あつ)め、和を交えて舎まるに、軍争より難きは莫し。軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に、其の途を迂にして、之れを誘うに利を以てし、人に後れて発し、人に先んじて至る者は、迂直の計を知る者なり。軍争は利と為り、軍争は危と為る」(軍争篇)
(訳:そもそも、将軍が、君主の命令を受けてから、軍隊を編合し、兵士を集め、敵と向かい合って対陣するまでに、「軍争」よりもむつかしいものはない。「軍争」のむつかしさは、迂路を近道にし、害を利に転ずることである。そこで、迂路をとったように見せかけ、敵に有利な餌を与えて行動を渋滞させ、敵より後れて出発し、敵より先に戦場に到着するのであるが、これが「迂直の計」を知る者である。だから、「軍争」は、そのやり方により、その後の本戦のために、有利な条件を作ることにもなるし、不利な条件を作ることにもなる)


「故に、其の疾きことは風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷震の如くにして、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて動く。先に、迂直の計を知る者は勝つ。此れ、軍争の法なり」(軍争篇)
(訳:だから、行動は疾風のように敏速にし、待機するときは林のように静かにし、侵掠するときは火のように猛烈にし、動かないときは山のようにどっしりとし、態勢企図は暗のように秘匿し、兵力を分かって地方の兵粮を集め、占領地を拡大するには要点を守らせ、状況に応じて最適の行動をとる。先んじて「迂直の計」を知って行動する者が勝つ。これが「軍争」の原則である)


この2つの文章から考えると、軍争とは山鹿素行のいう「本戦」よりも、金谷治氏の「機先を制すための争い」として解釈するのが適切であり、要は「本戦」を有利にするための初動であり、決戦などが見込まれる地点へ部隊を機動させて集中を図る段階をさす。「孫子」は「勝兵は、先ず勝ちて而る後に戦いを求め」るべきを基本とし、戦争の勝利を左右するであろう本戦に突入する前に、敵を撃破できるだけの態勢を構築することを重視する。この「軍争」を実行する際に、重視されるべき1つのポイントが先の文にある「迂直の計」である。


これは「人に後れて発し、人に先んじて至る」とされるように、いわゆる「後の先」を狙うことになる。「後の先」とは、まず敵が如何に動くかを見てから味方が動くことになり、敵の手の内が判明した後で、それに対する処置対策を施すことが出来る有利さを見込める。他方で、その時に味方の動きが敵よりも迅速であっても機動力が伴わなければ、後手に陥って一気に不利にもなりかねない。それに加えて、「之れを誘うに利を以てす」とあるように、敵を欺くことができる策を打ち出し、敵の行動や判断を誤らせるといった方法を講じる工夫が求められる。


「迂を以て直と為し、患を以て利と為す」ことが「迂直の計」の核心であるが、「軍争の難きは」とあるように実行には相当の困難が生ずる。指揮統率を取る指揮官の知力が敵のそれよりも相当程度凌いでいなければ、こちらの企図を逆に看破されることになる。更には、「迂直の計」に耐えられるだけの精強さを部隊が持っていなければならない。


「軍争」を実行するなかで、もう1つ重視されるポイントは戦力の維持となる。近代を例にすれば、戦闘部隊が携行している弾薬などは、会戦においてすぐに使い果たされて、継続的な補給がなければその戦闘力は低下し、最後にはまったく用をなさなくなる。故に、戦闘部隊への補給の確保が極めて重要な問題となる。弾薬の使用など無かった春秋戦国時代においても、やはり武器、器材、食料などの補給は戦闘力を維持する上で大きな問題であった。


「軍に輜重無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積無ければ則ち亡ぶ」(軍争篇)
(訳:軍隊は、輜重(軍需品)が無ければ敗亡し、糧食が無ければ敗亡し、委積(財貨のたくわえ)が無ければ敗亡する)


古代においては、戦闘部隊に比べると補給部隊はどうしても機動力が落ちるといった弱点があった。また、現代においても戦闘部隊の前方展開に補給が追いつかないことはある。大東亜戦争における日本軍などはこの問題で前線の将兵は散々苦しんでいる。孫武は、全軍で遅くとも着実な前進をして目標地点に達するか、迅速な戦闘部隊を先行させて、鈍重な補給部隊を後続させるかなどの有利不利についても触れる。


「軍を挙げて利を争えば、則ち及ばず。軍を委てて利を争えば、則ち輜重捐てらる」(軍争篇)
(訳:全軍こぞって有利な地に到達しようと競争すれば、行動が鈍重になって、相手より遅れてしまう。かといって全般情勢を考えずに有利な地に到達しようと競争すれば、鈍重な輜重は取り残されてしまう)


機先を制するために重要地点(要点)を敵よりも先に占拠することが、本戦を優勢に運ぶための核心だとすれば、戦闘部隊の一部だけを先行させることが時に必要となる。その場合は、そこの地形等の条件に適した部隊を臨時編成し急進させる。そうせずにあくまでも全軍で進軍を選べば、敵に要点を占拠されている状態で本戦に突入することになり、味方は戦闘で劣勢となる公算が高い。これを回避したければ全軍がそもそもの高い機動力を保ち、それを可能とするだけの補給体制を平時から整えておくことがハードルは高いが条件となる。


ただ、「孫子」は「軍争」のために戦闘部隊の一部だけを先行させる選択肢を示しもするが、同時にその戦力の維持の難しさやリスクも指摘する。その際に臨時の部隊編成における将兵の選抜、当面の戦力維持の手段と工夫、加えて、後続してくる部隊、補給部隊との連携の在り方について熟慮を強く促す一文がある。


「是の故に、甲を巻きて趨り、日夜処らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争えば、則ち三将を擒(とりこ)にせらる。勁(つよ)き者は先だち、疲るる者は後れ、法、十に一を以て至る。五十里にして利を争えば、則ち上将を蹷(たお)さる。法、半ばを以て至る。三十里にして利を争えば、則ち三分の二を以て至る」(軍争篇)
(訳:だから、鎧を脱いで軽装で走り、昼夜休まず、道程を倍にして強行軍するような方法で、百里(約60キロメートル)先の要点を先取しようと急進すれば、前衛、本隊、後衛の指揮官すべてが捕虜になるような大敗北を喫することになる。それは、強健な者は先になり、疲労した者はおくれ、目的地には十分の一の戦力しか到着しないからである。50里先の要点占領を強行すれば、前衛の指揮官が戦死するような破目になる。それは、半分しか目的地に到着できないからである。30里先の要点占領を強行すれば、三分の二程の戦力が到着するだけである)


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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