「孫子」第31回 第6章 「管理論」(1)
第1節 概 説
「孫子」は組織管理やマネジメントの在り方を広く深く言及しているところに1つの特徴がある。本章ではこの問題にフォーカスしていきたい。組織管理やマネジメント能力は戦力を構成する要素の1つであり、戦略、戦術が持つ政治目的・行動目的を達成するためにも欠かすことができない。これまでに戦力論、戦略論、戦術論といった章立てで論じてきたなかで重複する部分もあるが、組織管理とマネジメントの視座からのアプローチに必要なものについて改めて取り上げたい。「孫子」の管理論・マネジメント論は、管理者・マネジメント層の地位と役割、責任と権限の範囲、資質と能力、組織化と統制・マネジメントの手段、状況判断の方法、部下への対応、厳格な管理手法、マネジメント上の失敗などに分けて考えることができる。
第2節 管理者・マネジメント層の地位と役割
「孫子」では、「主」「君」「将」「将軍」「大吏」「吏」「士卒」「卒」といった用語が使われている。この「主」「君」とは国王や諸侯といった政治指導者であり、ビジネスの領域でいえば代表取締役などの最高経営責任者が当てはまる。「将」「将軍」は、軍隊の軍事的指導者であり、参謀総長などの軍事最高スタッフ、軍隊の各単位(軍、軍団、師団、旅団)の指揮官(将軍)、それ以下の単位(連隊)の指揮官くらいまでを含む。ビジネスの領域では取締役、執行役員などから部長級までの上級マネジメント層が当てはまる。「大吏」は軍隊の単位では大隊、中隊の指揮官クラスのミドルマネージャー、ビジネスの領域では課長級が主に当てはまる。「吏」は軍隊で小隊クラスの指揮者であり、ビジネスでは係長、主査といった現場の管理監督者の立ち位置が当てはまる。「卒」は兵士であり、企業などの社員に当たる。
「孫子」のマネジメント論は、主に上級マネジメント層である「将」の立ち位置について言及するところが多い。ただ、組織がヒエラルキー構造を持つ以上は、「将」に適用されるマネジメント論の在り方は、それより下位の管理者・マネジメント層についてもある程度該当する。「孫子」は「将」について次のようにいう。
「夫れ、将とは国の輔なり。輔周なれば則ち国必ず強く、輔隙あれば則ち国必ず弱し」(謀攻篇)
(訳:そもそも将は国家の助け役である。君主と将との関係が周密ならば国家は必ず強く、その関係に隙があると国家は必ず弱い)
孫武は政治指導者である君主と軍事的指導者の将軍との関係性について、君主を車輪とるすならば、将軍は車輪に必要な添え木になぞらえ、両者が巧くはまっていなければ車は機能しないと戒める。この一文は政治と軍事の関係に規範的、教訓的な立ち位置から触れたものであり、政治指導者と軍事的指導者が息を合わせて歩むことの難しさを表している。たとえば、戦争が起きた際に、君主は首都に留まり、将軍に軍隊を率いさせ前線に赴かせた場合、その軍隊の指揮命令系統がどのように保たれるかといった問題が出てくる。
武力戦に勝利するために、将軍は前線の変化する状況に対応するべく可能な限りの自由裁量と権限を求める。他方で首都にいる君主は、リアルタイムで戦況を掌握できない一方で、全局のなかで一前線を観なければならないといったこともあり、将軍の裁量を一定の範疇に制限しようという心理が働きやすく、結果的に区々たる作戦も指導するといったことが起きやすい。この問題の調整は難しく歴史のなかで常に問題となってきた。なお、「孫子」では、政治指導者である「君」によって、軍事的指導者である「将」が任免されることを原則としている。その命令に基づいて「将」は武力戦の準備を開始し、それを遂行していく存在であるとし、政治の軍事に対する優位を明確にしている。
「凡そ、将命を君に受け、軍を合わせ衆を聚め、和を交えて舎まるに、軍争より難きは莫し」(軍争篇)
(訳:そもそも将軍は、君主の命令を受けて、軍隊を編合し、兵士を集め、敵と対陣するまでに、機先を制するための争いほどむつかしいものはない)
孫武は君主を車輪、将軍を添え木になぞらえているが、車輪の大きさを超えた添え木では用をなさず、それが小さすぎてもまた役に立たない。政治指導者と軍事的指導者の能力が互いに見合っているかどうか、つり合いがとれているかどうかをマネジメント論の観点から重視したといえる。両者の間に摩擦は起こり得るが、後述するように権限や裁量を線引きすることでこれの克服は可能だと考えている。その上で、軍事とは専門性を要する領域であり、それに精通した人材である「将」があってこそ武力戦に勝利を収めることが見込まれるので、君主が始める戦争のためには欠かすことが出来ない存在だとする。
「兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり」(作戦篇)
(訳:軍事に精通した将軍は、国民の運命を司る者であり、国家の安危を決める主宰者である)
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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