「孫子」第32回 第6章 「管理論」(2)

第3節 マネジメント層の責任と権限


「戦力論」で静的戦力について考察したが、そこでは静的戦力を構成する要素として「五事」挙げた。そのなかの第1項が「道」、第4項が「将」となっており、「五事」に続く「七計」の第1項は「主孰れか賢なるや」、第2項は「将孰れか能あるや」であった。これらは、政治指導者たる「君」が国内に道義と公平を浸透させて統治し、有事の際に団結できるべく努め、軍事については優秀な軍事的指導者たる「将」を選んで任じる。政治指導者は軍事的指導者に与える任務を明らかにし、その権限を適切な範囲で認めることができる賢明さを持っているのを規範的に期待している。先に政治指導者と軍事的指導者の関係性の難しさについて触れたが、孫武は有事における両者の責任と権限について次のようにいう。


「将の能にして君の御せざれば勝つ」(謀攻篇)
(訳:将軍が有能で、君主が干渉しなければ勝つ)

「故に、君の軍に患(うれ)うる所以の者には三あり。軍の以て進む可からざるを知らずして、之れに進めと謂い、軍の以て退く可からざるを知らずして、之れに退けと謂う。是れ、軍を縻(び)すと謂う。三軍の事を知らずして、三軍の政を同じうすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして、三軍の任を同じうすれば、則ち軍士疑う。三軍既に惑い且つ疑うときは、則ち諸侯の難至る。是れを、軍を乱して勝ちを引くと謂う」(謀攻篇)
(訳:故に、君主の立場から軍隊の患となる行為が3つある。1つは軍隊が進んではいけない状況を知らないで、軍隊に進めと言い、軍隊が退いてはいけない状況を知らないで軍隊に退けというのである。これは軍隊の行動の自由を拘束することになる。2つは、軍隊の実情を知らないで、軍隊指揮官と同じように行政を行うことである。こうすると兵士達はどちらの指令に従うか迷い、混乱を起こすことになる。3つは、軍隊の臨機応変の処置がわからないのに、軍隊指揮官と同じように指揮しようとすることである。こうすると兵士達はどちらの命令に従うか疑念を持ってしまう。兵士達が迷い疑うことになると、軍隊は混乱して実力を発揮することができないので、外国からの侵略を受けることになる。これを自ら軍隊を混乱させて敗北を招く、というのである)


孫武は政治指導者が軍事について精通しているといったことはあまり想定していない。古代の武力戦は現代と比較すればシンプルではあるが、それでも軍事は専門性が必要とされる複雑な領域であり、君主自らが部隊を指揮統率して戦場に赴き、戦機の看破、前進・後退、攻勢・防勢の判断を巧みに行うことは難しいと考えた。君主の仕事は有能な将軍の任命と任務付与であり、武力戦自体の進め方については干渉するべきではないとする。これは、君主が首都ではなく戦場に将軍を帯同して赴いてきたときも同様の考えのようだ。要するに、政治指導者と軍事的指導者の間では、武力戦における「純軍事的」な領域とされるものについて政治指導者の干渉の抑制を求めた構図である。加えて、孫武はさらに次のようにもいう。


「故に、戦道の必ず勝たば、主は戦うこと無かれと曰うとも、必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも、戦うこと無くして可なり」(地形篇)
(訳:故に、当面の状況が戦理上必ず勝つと判断される場合は、君主が戦ってはならないといっても、必ず戦ってよい。当面の状況が戦理上勝てないのであれば、君主が必ず戦えといっても、戦わないのがよろしい)


この文の解釈には注意を要する。ある局地や前線において「戦道必ず勝つ」状況であったとしても、他の局地や前線の状況、あるいは戦略レベルで全局を判断したときに戦端を開かない方がよいこともある。君主がある局地や前線での戦闘に突入することを明確に禁じているにも関わらず、勝算があるからといって、現場の将軍の独断で戦い勝利を収めたとしても、それが全局ではむしろ不利に働くような場合も考えられる。たとえば、別の前線が決戦場でそこに主力を投入しなければならないときに、新たなところに無用な前線をつくる必要がない場合がある。


また、戦争の全局を考えたときに、ある局地や前線において「戦道勝たず」であり勝算が立たないとしても、全滅覚悟で戦闘へ突入しなければならないことも考えられる。たとえば、別の地点において総反撃の準備を進めており、そのために時間を稼ぐ必要がある場合などである。孫武が兵法者としてこれらの可能性を理解していなかったはずはなく、この一文はどこまで将軍に裁量を委ねたものとして理解するべきであろうか。おそらくその回答となり得るのは別の一文だと思われる。「孫子」は次のようにいう。


「途(みち)には由らざる所あり、軍には撃たざる所あり、城には攻めざる所あり、地には争わざる所あり、君令には行なわざる所あり」(九変篇)
(訳:道路には通ってはならない道路もあり、敵軍には撃ってはならない敵軍もあり、敵城には攻めてはならない敵城もあり、土地には争奪してはならない土地もあり、君主の命令には実行してはならない命令もある)


「君令には行なわざる所あり」として、君主の命令には実行してはならないものがあると明確に言っている。ただ、その前提として「途には由らざる所あり、軍には撃たざる所あり、城には攻めざる所あり、地には争わざる所あり」といった4つの事例、これらは行軍経路の選択、敵軍、敵基地、要地要点などの作戦目標に限っている。これは作戦や戦術レベルの範囲において、現場にいない君主に適切な判断はできないと思われることに関しての自由裁量を認めたが、他方でこうした次元を超えて戦略レベルに直結し得る場合には、その自由裁量を認めていないとも理解できる。孫武のいう「戦道」とは全局を阻害しない「純軍事的」な限度においてとして捉えるのが適切だと思われる。「孫子」では、政治指導者と軍事的指導者を分けており、政治指導者の「純軍事的」な領域への不必要な干渉を自制させた。他方で、軍事的指導者についてもまた政治といった要素が絡む戦略レベルの判断について容喙することに線を引き、軍事といった専門性には精通した将軍が政治についての知見までを持っているとは期待をしていなかったともいえる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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