「孫子」第33回 第6章 「管理論」(3)

第4節 管理者の資質


「孫子」が最高責任者である政治指導者の持たねばならない資質として挙げるのは、計篇「五事」の筆頭にある「道」であり、「七計」の筆頭の「主孰れか賢なるや」である。なお、『竹簡孫子』においては「主孰れか賢なるや」となっているが、『今文孫子』(魏の曹操が注釈を入れた孫子)では、「主孰れか道あるや」となっている。政治指導者である「君」が好き勝手に振る舞う専制君主であってはならず、国のなかで保たれてきた制度を尊重し、道義や公平といったものを尊重することで、人々の信頼を得なければならないとする。これは政治指導者に限らず、軍事的指導者についても当てはまるものだ。


ただ、「孫子」は兵法書であり、戦争は詭道といった騙し合いを本質的に孕むものだと喝破していることはこれまでに何度か触れた。権謀術数といった言葉に象徴されるように情報戦、外交戦、そして武力戦において必要とあれば詭道を積極的に取り入れていくことを推奨する。したがって、政治指導者である「君」は道義を保ちつつも、必要に応じて詭道を行える存在ということになる。こうした考え方は、そもそも道義に反して矛盾するといった評価もあり、「孫子」が一部の人々から忌まれてきた理由にもなった。


これについて、道義と詭道は二律背反となり矛盾するものではないという見解を本書ではとる。むしろ、詭道を巧みに行う上で道義が存在していなければ、詭道のみでは自国や味方が最終的に自壊しかねない。たとえば、「敵を欺くにはまず味方から」といった俗諺にもあるように、「君」の企図や計画を味方にも秘匿し、ごく限られた一部の人間だけで謀略を進めることがある。後にそれらが奏功し戦わずに勝つことができても、その計画を知らされなかった人間は、自分が信用されていないから共有をされなかったと思うかもしれない。


こうしたことが積み重なると互いに不信感が強く生じ、そこに嫉妬、怨嗟が絡み、組織体が機能不全を起こしてくる。「君」が他国に対してだけでなく、自国の部下に対しても積極的に詭道を駆使しても平気な人間だと思われると、深く恐れられる存在にはなる。それは一つの統治スタイルともいえるが、「君」を恐れることだけを覚えた部下・臣下たちは不信を持ち、粛清を危ぶみ正しい情報を上げることを躊躇するようになる。そうなると他国に対してやむを得なく詭道を発動して謀略戦を仕掛けるにしても、正しい情報に基づかない工作をしかけて失敗する可能性も出てくる。詭道は敵の看破によって失敗することだけでなく、味方内部の問題で瓦解することもあるのだ。要するに、政治指導者である「君」は「道」を基本として統治し、「詭道」はやむを得ない場合の非常手段であり、それを行うことを恥じているといったくらいの態度を保つことが必要になる。こうした平素からの倫理的な態度があってはじめて詭道を使いこなせるものになる。


次に上級マネジメント層である軍事的指導者「将」についてだが、「将とは、智・信・仁・勇・厳」とある。これについては「戦力論」のなかで静的戦力の1つの要素として既に説明をしている。そこでは、このなかでも智(知力)がもっとも「将」にとっては重要であり、それは目的を見定める能力、課題を発見する能力、必要となる情報を整理して要求する能力、加えて、分析、考察、決断、マネジメントに資する能力を含むものとした。この智に加えて「信・仁・勇・厳」がバランスよく伴って「将」として機能するのであり、山鹿素行などはこれが1つでも欠けるならば将としては不十分だともいっている。「智」を「勇」よりも優位にしていることで、孫武はいわゆる勇猛果敢な猛将タイプよりも、合理的な知性と沈着さを強く持つ「将」を好んだともいえる。これは戦場での指揮統率において、あらゆるストレスとプレッシャーが襲い掛かってくるなかで、「勇」は一局面を打開する力にはなるが、「智」は局面が変化するなかでも最後まで戦い続ける力になると捉えていたからであろう。これによって、孫武がいう「将」の「五危」を回避することもできる。


「将に五危あり。必死は殺さる可く、必生は虜にさる可く、忿(いかり)速きは侮らる可く、潔廉は辱しめらる可く、愛民は煩わさる可し。凡そ此の五者は、将の過ちにして、用兵の災なり。軍を覆えし、将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり」
(訳:将には五つの危険な性格がある。必死の気持ちが先走って駆け引きを心得ない者は殺され、生きることばかり考えて勇断の気に欠ける者は捕虜にされ、短気で怒りっぽい者は侮辱されてカッとなって冷静さを失い、あまりに廉潔にすぎてコチコチの者は恥辱をうけると冷静さを失い、部下を偏愛する者は部下のことに思い煩わされて決断力を失う。この五つは、将の過失であり、用兵上の害になることである。軍隊を崩壊させ、将を戦死させるには、必ずこの五危の弱点を利用する。十分留意すべきである)


先に政治指導者と軍事的指導者の役割と権限の違いについて触れた際に、孫武は「将」が「君」と同じレベルで政治的知見に精通していることは期待しなかったと述べた。加えて「将」は「純軍事的」領域においてのみ決断することに限られるものともした。これは「将」の知力が「君」のそれに及ばないといった意味ではなく、「将」の行動基準が「君」のそれとは究極においては異なるからでもある。このことについて「孫子」は次のようにいう。


「故に、進むに名を求めず、退くに罪を避けず、唯だ民を是れ保ち、而して主に利するは、国の宝なり」(地形篇)
(訳:それ故に、自分の功名のために進むのではなく進むべき時に進み、処罰をもおそれず退くべき時に退き、ただ国民の保全のみを考えて進退し、その進退が国家の利益に合致する将軍は国家の宝である)


この一文を素直に読む限り孫武は「将」に政治目的や政治的知見を十分に理解し保有できるだけの知性を求めている。その上で、自らの名誉や保身は捨てて、与えられている裁量のなかで適切な決断をするべきだとしている。また、読み方によっては爾後に最も厳しい処罰を受ける覚悟であるならば、「純軍事的」領域を超えて、国家・国民のためになると思われる決断をすることを許容しているともとれる。なお、孫武自体は「将」であり、「将」が持つ究極の倫理的態度と美学や信念をこの一文に込めたとも考えられる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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