「孫子」第35回 第6章 「管理論」(5)

第6節 状況判断の仕方


「孫子」が生み出された時代、国家はそれぞれが直面する重要な問題を、君主、重臣、将軍が一堂に会する場で議論の限りを尽くし決定を行ったとされる。会議に際しては、君主の祖先を祀る祖廟を詣でて事態をまず報告し、それから議論を始めるのが慣例であった。これは君主、重臣、将軍たちが個人的な利害関係を超えて一致団結するための儀式であり、会議において冷静な知性を発揮されるのを期待したものだった。


戦争の可否は国家の運命を左右する大事であり、この会議を経て決断されることになる。軍事力を行使した武力戦は古代においても複雑な大事業であり、その勝算を見極めるためには客観性を持った思考過程を要求する。孫武はこの一連の会議を「廟算」といった用語で説明する。


「夫れ、未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況んや算無きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見(あら)わる」(計篇)
(訳:一体、開戦前に祖廟に詣って状況判断し勝つというのは、種々の条件上敵よりも勝ち目が多いからである。開戦前に祖廟に詣って状況判断し勝てないというのは、敵よりも勝ち目が少ないからである。勝ち目が多い者は勝ち、勝ち目の少ない者は勝たない。まして勝ち目が無いのは勝てる訳がない。私は、この開戦前の状況判断によって、勝敗をはっきりと予測できるのである)


廟算において勝算の程度を探るため、敵と味方の戦力を比較分析し、作戦計画を練り、幾度もシミュレーションを行うことになる(廟戦ともいう)。そのために、まずはどのような情報が要求されるかについて言及する。


「彼れを知りて、己れを知れば、勝ちは乃ち殆うからず。天を知りて、地を知れば、勝ちは乃ち全うすべし」(地形篇)

「諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず」(軍争篇及び九地篇)


これら2つの文からは、敵と味方のミリタリーバランス、天候や気象条件、時間的条件(見込まれる戦争期間)、地形などの空間的条件、利害を持つ周辺国や第三国の動向(国際関係)などのインテリジェンスが必要となることがわかる。敵と味方の情報の範囲を「五事七計」に基づけば、政治指導者の能力、国内政治の状況、軍事的指導者の能力、政府や軍隊の組織制度の状況、法令・規律の順守程度、武器装備・兵站等の量や能力、軍隊の士気や能力、情報戦・諜報工作に関する能力などの要素が挙げられる。これらの実態がどうであるのか極限まで肉迫していくため、可能な限りの収集手段を用いることになるが、これについて「孫子」は「用間篇」において具体的に言及する。


「孫子」の時代においては、現代のように科学技術が発達しておらず、情報は人的情報(ヒューミント)に限られ、手段としてはスパイの運用がメインとなる。孫武はスパイを「間」と表現し、5つの種類に分けそれらを併せて「五間」と称する。その内容は、「郷間」は土地に住むローカルな人を用いる手段である。「内間」は敵国内部の役人等を用いる手段となる。「反間」は敵のスパイを寝返らせて二重スパイとして用いる。「死間」はプロのスパイであり、偽情報を敵に吹き込むために命を賭して任務にあたる。これについては積極的な諜報工作を仕掛けることになり、任務達成の後は事態によってはスパイであることが暴露され、処刑される可能性が高い存在である。「生間」は、敵国の内部に何かしらの正式な身分を持ってアクセスできる者であり、不自然でない形を装いながら情報収集や諜報工作を行い、敵国内部への「インフルエンサー」としての浸透などを図る。「死間」と異なるは生きて自国へと復命することが期待されている。


軍事作戦を実行する際には、進攻ルートや要地要点についての地形情報が重要となる。これについては普段から地図情報を収集しておくのは当然だが、進攻時にはその地に詳しいローカルの人間のみが知っている情報なども徹底的に収集する必要がある。これについては現地を知る者を案内役として使うことを強く推奨している。


「郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず」(軍争篇及び九地篇)


またこれら「五間」の他にも、軍隊自体が敵の兆候などの情報収集を行うときの判断基準・ポイントについても行軍篇などで言及している。部隊がどのような統制と編成で情報収集や偵察活動を実行するべきかの詳細についてまでは孫武は論じていない。ただ、その敵情判断の基準・ポイントを見る限り、指揮官、幕僚の情報要求、斥候、警戒、偵察などの情報活動は当然なされるものであり、それに資するための基準・ポイントの列挙だと考えられる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)

筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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