「孫子」第40回 第6章 「管理論」(10)

第9節 マネジメント上の失策


軍事的指導者によるマネジメント上の失策によって組織が崩壊していくとき、それが何に起因してどのような崩壊の流れを辿るかなど、孫武は6つにわけて論じている。


「故に、兵には、走る者有り、弛む者有り、陥る者あり、崩るる者有り、乱るる者有り、北ぐる者有り。凡そ此の六者は、天地の災に非ず、将の過ちなり」(地形篇)
(訳:だから軍隊には、走・弛・陥・崩・乱・北・という組織崩壊の状態がある。この6つは、天災ではなく、将軍の過失によるものである)


1つ目の「走」については、

「勢の均しきとき、一を以て十を撃つを、走ると曰う」
(訳:敵味方の勢がほぼ同じ時に、兵力十倍の敵を攻撃するという無謀なことをすれば、全く勝目がないから、兵士は戦うまでもなく逃走してしまう)

ここでは味方の兵士たちは対峙する敵が十倍の兵力量があることを理解している。このような状況下で指揮官がそれを理解していないとは考えにくいが、それでもなお攻撃を命じるのは無謀の極みであり、最初から敗北が見えている戦いには兵士たちは付き従わないとする。十倍の兵力差に直面し、そもそも戦いを挑み勝利を収めるのは至難ではあるが、それでも仮に味方の「勢」が敵の十倍になるべく有形・無形戦力を結集させ、作戦方針などの在り方によっては負けない戦いを展開することは少ないながら可能性はある。孫武は特に無形戦力の価値を高く評価するといった特徴があるが、火力が発達した現代の戦理では無形戦力を過度に評価することは戒めている。この一文は圧倒的に不利な状況において局面の指揮を任せられた指揮官の努力を問うている内容ともいえる。


2つ目の「弛」については、

「卒の強くして吏の弱きを、弛むと曰う」
(訳:兵士の方が実力が強く、監督者の吏の方が実力が弱い部隊は、兵士が監督者を馬鹿にするので、規律が弛緩する)

軍隊としては兵士が精強であるのは歓迎するべきことだが、それを管理監督する側である「将」が統率できなければ、ただ荒くれ者の集まりとなる。兵士たちが実力を持つほどに、それの管理監督にあたる者たちもまた実力本位で抜擢される必要があり、コネや門閥家柄などだけを基準にしてはいけないと説いている。


3つめの「陥」については、

「吏の強くして卒の弱きを、陥ると曰う」
(訳:監督者の吏が強く、兵士の方が弱い部隊は、兵士が監督者を恐れ、自信をなくし、実力が発揮できず、欠陥部隊となる)

軍隊が弱兵ばかりで構成されないよう事前に訓練を十分に施すのは当然であるにしても、監督者の性格や実力の発揮の仕方次第で兵士たちが竦んでしまうようになるのは問題だとする。一般論として指揮官が肉体的・精神的に兵士達よりも優れていることは望ましいことであり、統率のための1つの条件ともいえる。ただ、その優位を誇るばかりで部下に劣等感を覚えさせ、巧く教導して実力を高めようといった試みをしない監督者の下では、部下は実力を開発されることなく士気も委縮した部隊となるという。


4つめの「崩」については、

「大吏の怒りて而して服せず、敵に遭えば懟(うら)み而して自ら戦い、将の其の能を知らざるを、崩るると曰う」
(訳:一手の大将である中間管理者の大吏が、怒って将軍の命令に服従せず、将軍に怨恨を抱き、敵に遭遇すると勝手な戦いをし、一方将軍はその大吏の能力を知らず、従ってその人物に応じた指導、接遇をしない場合には、その部隊は崩壊する)

この大吏というのは将軍などに直属する上位の幕僚や参謀などを指し、一定規模以上の部隊においては組織運用をするのに欠かすことのできない存在となる。どれほど将軍が有能であっても、一人で指揮統制ができるものではなく、人事、情報、作戦、兵站といった項目について責任を持って支える幕僚・参謀を要する。これらのポストにあるものは一定の能力や知見が備わっているものと見込まれるので、将軍が階級では上位にあったとしても接遇、諮問、指導、命令には配慮が必要だという。一般の兵士達と同じように扱ったりするとプライドを傷つけ不満を強く持ち、有事の際にサボタージュや最低限の働きしかしないようになれば、その部隊は崩壊することになる。将軍が部下の幕僚・参謀の任務についてどこまで容喙するかなど、その線引きを階級が上にある者が決めて自制しなければ、細部に至るまで指導するマイクロマネジメントを誘発し、中間管理職は押しつぶされるといったリスクについても含めている。


5つめの「乱」については、

「将の弱くして厳ならず、教道の明らかならずして、吏卒は常なく、兵を陣すること縦横なるを、乱るると曰う」
(訳:将軍が柔弱で威厳がなく、指導方針が明らかでなく、従って吏や兵士が規律ある行動ができず、陣だてをしても秩序がなくて放恣な場合は、部隊は乱れて治まらない)

戦場において命がけの武力戦を指揮する将軍には権威や威厳が古来求められてきている。その発揮の仕方には個性があるが、そもそもこうした資質を持っていない人間を軍事的指導者に任命することは不可である。将に必要とされる「智・信・仁・勇・厳」では、「厳」が最後にこそ置かれているが、武力戦は少しの慢心や動揺で勝ち戦が負け戦に転ずることがあり、これを回避するために必要なのが厳を有した指揮統率であることは変わらない。この厳が強く求められるところが、普通の組織体との違いともいえる。


6つ目の「北」については、

「将の敵を料ること能わず、少きを以て衆きに合い、弱きを以て強きを撃ち、兵に選鋒無きを、北ぐると曰う」
(訳:将軍が敵情の実体を料り考えることができず、小勢で多勢の敵と合戦し、弱勢で強大な敵に攻撃を仕掛け、部隊に選りすぐった先鋒を置かないようなことでは、部隊は敗北する)

これは軍事的指導者である将軍の指揮統率、戦略眼、戦術眼について言及している。軍事的能力に長けていない人間を将軍に任ずることは問題外ではあるが、任命する側の政治指導者もまた将軍の個性や能力に応じての選抜が必要になる。攻勢に強いタイプ、防勢に強いタイプ、戦機を看破することに長けたタイプ、地味ではあるが負けないに徹した戦いに長けたタイプなど、将軍の能力も全てがイコールということはなく差異がある。このことを踏まえた上で適当な人事により任命をしなければ、武力戦において戦闘力の分散使用や逐次使用といった優勝劣敗の戦理に反するような指揮をし、敗北を被ることになるとしている。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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