温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第97回】 野中郁次郎他『知識創造企業』(東洋経済,1996年)

現在、明治大学リバティアカデミーで「『失敗の本質』を軍事・経営戦略の視点から読み解く」(教養としての戦略学)と銘打った公開講座を担当している。これまで『失敗の本質』(ダイヤモンド社・中公文庫)に関する講座を幾度か持ってきたが、今回は「組織論」といった切り口が持つ可能性と限界を明らかにすることを目指している。


『失敗の本質』のはしがきには次のように書かれている。「戦史研究に社会科学的方法論を導入してより科学的な戦史分析ができないものかと・・もちかけた」「・・本書に実をむすんだわれわれの共同研究は、異なった分野の研究者から成る文字どおりの学際的なものである。それゆえわれわれは、本書でもところどころで強調している「価値の共有」を図ったが、それでもしばしば、それぞれの専攻分野の特殊性に由来する、ものの見方やアプローチの仕方をめぐって論争が生じた。たとえば、組織論専攻の者は理論化・一般化を強く志向し、これに対して歴史専攻の者は「理論」というものに本能的な警戒心あるいは懐疑心を持ち、個々の事象の特殊性・個別性・独自性を強調して理論化に抵抗し続けた・・」


戦史(歴史)専攻と組織論(経営学)専攻の学者陣が真摯な「ぶつかり合い」を重ねた上で結実した『失敗の本質』。私自身は20代半ばで同書を初めて読み、その後何度も読み返すなかで体系的な理解に努め、次第に批判的な視座も持ちながら読むようになった。ロングセラーとなっている同書の構成は重厚であって実のところ読みやすいとはいえない。理由の一つは、戦史に社会科学的方法論、組織論でもってアプローチしたとするが、その社会科学的方法論や組織論とは何かといった部分が各論的に散りばめられており、それを拾い集めながら読むにはそれなりの知的労力を要するからだ(だからといってこの本をもっとシンプルな構成にして、大元のクオリティを維持したままの入門書の類を書けというのは無理筋だとは思っている)。


『失敗の本質』をある程度理解して読むためには、社会科学的方法論や組織論の一般的な意味合い、それが持つ可能性と限界を踏まえることが要点となる。前者の社会科学については、少し古いものとなるがマックス・ヴェーバーや大塚久雄などの著作を文庫・新書で出されている程度のものを読んでおくのが良い。そして、後者の組織論については、『失敗の本質』における組織論専攻の主著者であった野中郁次郎氏が説く「組織論」のエッセンスを全般的に知っておくことが必要となる。そのための良き一冊として1996年に出版された『知識創造企業』(東洋経済)を挙げたい。なお、『失敗の本質』は1984年の出版であり、そこから12年の時を経た野中氏の組織論は『失敗の本質』の時点よりも進化発展しており、より体系的になっている。


私自身は、『失敗の本質』よりも先に『知識創造企業』を購入して手を付けている。10代の終わりにある経済学者から面白いから読んでみなさいと薦められたのがきっかけであったが、内容や構成もやはり重厚で時間をかけて読んだ記憶がある。こうした本の感想を一言でいうのは難しいのだが、いくつもの具体的事象を研究していくなかで確実に抽象化していき、それを体系的な理論にまとめ上げていく圧倒的な情熱と実力を学ばせてもらったと感じている。自然科学と異なり、人間の主観が入り交じるビジネスのような事象を理論化して扱うことにネガティブな意見を持つ人もいるが、一定の水準で理論化して物事を掌握する力はやはり人間が物を考える上でベーシックかつ本質的なものだと思っている。物事の理論化を面倒くさいとして忌避すれば、行き着くのは限られた個人の経験を真理の如く強弁する雑駁な議論とになる(もちろん、理論化の過程で多くのことが捨象されていくのであり、その限界を常に踏まえておく必要がある)。


さて、全部で8章立ての『知識創造企業』のはじまりは時代背景を感じさせるスタートになっている。


「・・なぜ日本企業は成功したのだろうか?この本は、そのような疑問への新たな説明を提示する。よくいわれる製造力、安い資本コスト、企業と顧客、下請け、官庁との緊密な協力関係、終身雇用・年功制などの人事慣行などが重要なのはもちろんである。しかし、「組織的知識創造」の技能・技術こそが日本企業成功の最大要因なのだ、というのが我々の主張である。組織的知識創造とは、組織成員が創り出した知識を、組織全体で製品やサービスあるいは業務システムに具現化することである」(『知識創造企業』第1章・組織における知識)


『失敗の本質』が出来上がるまでに参加者の間では激論が繰り返されたと思うが、『知識創造企業』では、歴史・戦史専攻からの「攻め」がない分だけに、野中氏は「守り」の必要がなく自由闊達に経営学視座からの組織論を展開しており、このことが本書の魅力となっている。組織が知識をいかに扱うことができるかをテーマとし、そもそも知識とは何かという哲学的なところから議論を始める。プラトン、アリストテレスが登場し、デカルトやロックなどへ展開し、やがて西田幾多郎などにも言及されていく。その上で、経営、組織理論における知識の定義に入り、組織ではなく個人だけが生み出すことのできる知識、この知識創造の場をいかに組織が用意できるのかといった流れで書かれている。


「・・我々は組織的知識創造という言葉を使うが、個人の自発的行動とグループ・レベルでの相互作用がないかぎり、組織それ自体では知識を創ることはできない。グループ・レベルでは、知識が対話、討論、体験共有、観察などによって増幅され、具体的なものに結晶化される・・」(同)


『失敗の本質』において組織とイノベーションの関係が一つの論点になっているが、『知識創造企業』ではよりドリルダウンされて論じられている。経営学の初期の組織論では、イノベーションが生まれてくる理屈を十分に網羅出来ていなかったとして、同書では組織内で起きる知識の変容を「知識のスパイラル」として挙げている。それらを暗黙知(主観的な知(個人知)、経験知(身体))と形式知(客観的な知(組織知)、理性知(精神)、デジタルな知(理論))が相互に作用する過程と捉え、共同化、表出化、連結化、内面化といった4つのモードを使って説明している。


『失敗の本質』では戦史を取り上げながら、組織の「自律性」といった問題について論じているが、『知識創造企業』ではこの自律性について知識のスパイラルと絡めながら説明していく。


「知識スパイラルを促進する第二の要件は、自律性(autonomy)である。組織のメンバーには、事情が許すかぎり、個人のレベルで自由な行動を認めるようにするべきである。そうすることによって、組織は思いがけない機会を取り込むチャンスを増やすことができる。また自律性によって、個人が新しい知識を創造するために自分を動機づけることが容易になる」(同 第3章・組織的知識創造を促進する要件)


自律性を持つ組織がイノベーションという運動を弛むことなく続けるのを是として、そのことを理論的に考察していくスタイルの同書は、後半で組織構造の問題に至り、改めて官僚制や軍事組織について言及されていく。そこでは次のような一文が出てくる。


「・・それは平時には官僚制的であるが、戦時にはきわめてタスクフォース志向のアメリカ軍である。第二次世界大戦のアメリカの日本に対する勝利は、二つのタイプを統合した組織構造(アメリカ軍)が官僚制だけの組織構造(日本軍)に組織的に勝ったのだ、と我々は見る・・・」(同 第6章・新しい組織構造)


このあたりは経営学の組織論視座から、大東亜戦争(戦史)へのアプローチとしては先鋭的の最たるものかもしれない。この視座が一定の妥当さを持つとして、留保と考慮をしておかねばならないのは、この視座が日本の敗戦理由としてどの程度の割合を占めるものなのかといったことである。ただ、これについては学問の限界もあり、実証され得る科学的な数字のような形で明確な答えを引き出すことはできない。出来るとすれば、組織論をしっかり学ぶとともに、組織論以外からのアプローチではどのようなことがいえるのかを考え抜く程度のことでしかない。そして、仮に組織論的な欠陥を修正することができたなら、どの程度の敗北で済んだか(あるいは勝利し得たか)を想像してみるくらいのことである。これは学問の範疇を超えているかもしれない。ただ、軍事に関しては理論化の過程で方法論として捨象してしまっているものに大切なエッセンスがあるとも考えている。もっとも、こうした主張をするためには組織論をしっかりと学び、理論化していくプロセスを追体験するくらい考え抜くことがマナーではあろうから、私個人は鋭意努力の途上なのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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