首都大学東京オープンユニバーシティ 『孫子と戦争論を比較する』(春期)

クラウゼヴィッツ 『戦争論』 と ドイツ観念論 (カント)


講義録


1. 『戦争論』が難しい理由

・クラウゼヴィッツは1831年にコレラで急逝し、未完成の草稿が夫人らによって出版された。
・背景にはカントやヘーゲルなどドイツ観念論があり、用語や思考法が哲学的である。
・「絶対的戦争」と「現実の戦争」の対立を、単純に「弁証法的=殲滅戦の理論」と理解した後世の誤解が広まった。

→ つまり、難解さの理由は「未完成性」と「哲学的背景」にある。


2. 当時の思想的文脈

・18世紀は「理性の世紀」、19世紀は「歴史の世紀」と呼ばれる。
・ライプニッツ・ヴォルフらが「十分理由の法則」で因果律を絶対視した。
・しかしヒュームが因果律を懐疑、そこからカントが登場し、「理性批判」を展開した。

→ 因果関係や理性の限界をどう扱うかが大きなテーマとなった。


3. カント哲学の要点

・アンチノミー(二律背反):有限/無限、自由/必然など、理性が自己矛盾を生む。
・カントは「時間・空間は主観的形式(超越論的観念論)」とし、矛盾を整理した。
・倫理学の核心は「善意志」。そこから「無条件の命法(定言命法)」を打ち立てる。
  例:「嘘をついてはならない」— 見返りや条件なしに成立する道徳。

→ カントは理性の限界を示しつつ、自由と道徳の基盤を確立した。


4. 『戦争論』との関係

・クラウゼヴィッツは「絶対的戦争」と「現実の戦争」という二項を提示。
・ただし「殲滅戦至上」の学説にするのではなく、経験を重んじる姿勢を取った。
・戦争理論は「積極的学説」にはなり得ず、むしろ将帥の思考を鍛えるための道具であると位置づけた。

→ これは、カントが「体系知としての哲学」を批判した態度に重なる。


5. まとめ

・『戦争論』はドイツ観念論の影響を受けつつも、単純な弁証法モデルで理解しては誤り。
・本質は「戦争の本質を求める思考プロセス」と「態度表明」にある。
・読者自身がクラウゼヴィッツのプロセスを追い、自らの結論にたどり着くことが求められている。

要するに、『戦争論』は「戦争をめぐる哲学的思考の実践」であり、カントの哲学と同じく「問いを開く」書物である。

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