温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第18回】 呉競 守屋 洋 訳『貞観政要』(ちくま学芸文庫,2015年)
モンスターペアレンツと定義される存在がいる。直面、相対しなければならない人たちは大変だろうが、そのダメージ範囲はせいぜい学校のなかに限られる。だが、これがモンスターキング、モンスターエンペラー、モンスタープレジデント・・となってくると、その被害の範囲は国全体に及ぶから大変なことだ。そんなモンスターを生み出さないためにも、古代から智恵を絞ってつくられたのが「帝王学」だ。それは、圧倒的な権威権力をほしいままに、とかく自由気ままに振舞いたがるトップたちに対して、なんとか「お仕着せのユニフォーム」に満足してもらうために歴史のなかで精錬されてきた。
帝王学の代表的教科書の一冊としてよくあげられるのが「貞観政要」。この本は、名君といわれた唐の太宗(李世民・在位626~649年)とそれを支えた重臣たちとの政治問答集という体裁をとっている。もっともこの本が編纂されたのは、太宗が没して半世紀ほどたってからのことだ。「貞観政要」は時の流れのなかで次第に権威を帯びてその立ち位置を確保し、いつしか日本にも輸入されて権力者たちもまた読むようになった。鎌倉時代、「尼将軍」と呼ばれた北条政子、徳川時代、家康や吉宗なども好んで読んだ。(または、読まされた)
このテキストからよく引用されるのが、「創業か守成か」というものだ。太宗が重臣たちを呼び「草創(創業)と守成といずれが難き」と尋ねると、随に代わり唐を創業するに功績があり、宰相の立場にあった房玄齢は、「創業こそ困難」とし、同じく重臣の魏徴は「守成こそ困難」と答えた。太宗は両者の言い分を是としながらも、創業の困難はすでに過去のものであり、これからは、守成の困難をしっかり克服していかなければならないと答えた。
この「貞観政要」は、地位、名誉、権力、経済などをすでに有し、それらをある程度自由に扱える人間に、いかに身を処していくかの知恵を授ける。ゆえに、現代のビジネスでいえば、創業社長よりも、2代目社長以降が読む「帝王学」のテキストとしての位置づけが強い。この一冊を通して繰り返して貫かれるのは、要は常に広く人の意見や助言に耳を傾けなさいというものだ。
「貞観五年、太宗が宰相の房玄齢らに語った。「昔から、帝王には、自分の感情のままに振舞う者が多かった。機嫌のよいときは、功績のない者にまで賞を与え、怒りにかられたときは、平気で罪のない人間まで殺した。天下の大乱はすべてこういうことが原因となって起こったのである。わたしは、現在、日夜やそのことに思いを致している。どうか気づいたことがあれば、遠慮なく申し述べてほしい。またそちたちも、部下の諫言は喜んで受け入れるがよい。部下の意見が自分の意見と違っているといって、拒否してはならぬ。部下の諫言を受け入れない者がどうして上司に諫言することができようぞ」(求諫篇)
さて、筆者が貞観政要に初めて触れたのは10代後半で、山本七平の「帝王学~貞観政要の読み方~」というものを古本屋で買い求めたことがきっかけだ。当時、トップだけはこのようにしっかりと身を律することを迫られる一方で、部下たちはしっかりと自分を律するものなのだろうかと疑問がわき、どこか「キレイごと」の理想論にも聞こえた。いま読み返して思うのは、どのくらい信じて「キレイごと」を貫くかが案外大切で、それを信じ貫く迫力は周囲へ伝播していくようには思う。
ただ、右手に「貞観政要」を持つならば、左手に何を持つかもやはり大切なようには思うのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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