論語読みの論語知らず【第1回】「怪力乱神を語らず」

論語については書かれた本は正直数えきれない。でも、本気で論語や孔子に迫った本となると数が限られてくる。ましてやその知恵を生き方に反映させていこうという気合の入った本となるととても少ない・・正直そんな風に感じている。私自身、「論語読みの論語知らず」を文字通りやらかすことになろうが、これからときどき論語について感ずるところを自由に語ってゆきたい。論語の有名な一文。


「子は怪力・乱神を語らず」(述而篇7-20)


【現代語訳】

老先生(孔子)は、怪力や乱神(怪しげな超常現象。オカルト)についてはお話にならなかった


この表現を引き合いに、孔子という人が合理主義者で、超自然的なことに無関心であり、悲宗教的な立場の人であったとされる場合がある。日本の思想家として有名な和辻哲郎先生。その名著『孔子』(岩波文庫)のなかで、「孔子が死や魂の問題を取り上げなかった・・・むしろ彼の特徴をなすものとみられなければならぬ」と主張されている。私個人としては和辻作品には敬意を払っているし、主宰する読書会でも、『倫理学』『日本倫理思想史』などをテキストとして用いてきている。ただ、この和辻先生の孔子評だけは正直トンチンカンだなというのが素直な思いだ。

 

孔子がガチガチの合理主義者であったとは思えない。むしろ、ガチガチの合理主義者がそのように信奉したがっているだけと思っている。孔子の母は、原儒集団と呼ばれるいわばシャーマン(巫覡・ふげき)の一人であったとされる。そこではあらゆる礼式・葬礼を通して、死者の「魂」をあつかい祈祷することを生業としていた。孔子は幼少からそのなかで育ち、知識を身に着けながら、「礼」と「祈」の意味を深く問い続ける道を選んだ人だと思う。

孔子は弟子たちに、天を敬い祈ることを大切にすることと、私欲の実現を祈ることは違うと戒めた。それをほのめかすやりとりが論語にはいくつか散見される。ただ、この違いをわからせることは相当難儀であったと思われる。俗信や迷信が強い影響力を有した時代、一定以上の知的水準を期待してよい孔子の弟子たちもまた、その軛から無縁ではなかったのだろう。 

弟子は多くいたけれども、「祈」と「礼」の意味を本質的に共有できるものはほとんどいなかったのでないか。「祈」と「礼」が容易に「怪力乱神」という語感に変化して矮小化してしまうリスクを慎重に配慮して、深遠なところよりも身近なところから説き続けたのではなかろうか。弟子に「怪力・乱神を語らず」は、裏返せば弟子と「本質を語り合えず」であり、孔子のなんともいえない孤独と寂しさだけを際立たせる一文だと、ときに感じてしまうのだ。

 

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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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