論語読みの論語知らず【第13回】「童子 命をおこなう」

ルールやマナーが定まりそれを守らせること自体は、徹底すれば難しいことではない。ルールやマナーが存在しない中で、ゆるくダラダラと生きることもさほど難しくはないかもしれない。ただ、ルールやマナーが存在しているが、それをどの程度遵守するかを各人の自由裁量に任せられている場合、実のところある難しさがあり、同時に面白さが垣間見えてくる。論語に次のような言葉がある。

 

「闕党の童子 命をおこなう。或ひと之を問うて曰く、益ある者か、と。子曰く、吾 其の位に居るを見る。其の先生と並び行くを見る。益を求むる者に非ず。速やかに成らんと欲する者なり、と」(憲問篇14-44)

 

【現代語訳】

闕という地方出身の童子が客の取り次ぎをしていた。ある人が、(客の取り次ぎをするくらいであるから)「なにか良いところのある少年ですか」と質問したところ、老先生はこうお答えになられた。「この子は子供なのに隅に坐らず、上席に平気で坐っている。成人には一歩退って随行すべきなのに、並んで歩く。そういうのを私は見ている。良いものを学ぼうとする者ではない。ただ速く成人なみになりたいと思っているだけの子である。(だから、礼儀作法を教えるために取り次ぎをさせ訓練しているのである)と(加地伸行訳)

 

一読するかぎりでは、孔子はこの童子の行状をダイレクトに叱っているわけではないようだ。無礼を知りつつもとりあえずは放置しているようにもみえる。こうした理由はなにかと問えば、孔子はこの童子の素質や器量を見極めようとしたのだと思う。もっともこの発言がこの童子の耳に人を介して間接的に届き、その行いを徐々に正すことくらいは期待していたかもしれない。

孔子一門に入門して、仮にいきなりスパルタ式にビシビシとしつければ、若いほど案外はやく順応してしまう。ただ、それによって礼儀作法のカタチは守ることは覚えるかもしれないが、教育する側はその子の素質や器量を見出す大きな機会を失ってしまうことがある。まずはある程度の自由のなかで様子をみる。その中で童子が礼儀作法をどの程度守るかでその子の了見を知るのであれば、これまた孔子の人の育て方の一端だろう。若さが純粋無垢だけではなく、速成願望があり、その裏に傲岸不遜の萌芽がないかを見抜き、その後で適切なカタチをもって教育をしていく。論語のこの一文はそれを仄めかしているのだろう。

 

こうした手法は現代においても参考になるかもしれない。企業の多くが新入社員教育に苦労しているようだ。一方で20代のうちから責任のあるポストや仕事を任せようとする一定の傾向の中で、いかに速成させるかが命題となっている。ただ、初期段階のアメとムチ、その緩急が難しいようでどこも試行錯誤を繰り返している。カタチだけの速成ではなく、真に速成を考えるならば、自由と規律のはざまで泳がせて相手の了見を知りその都度やり方を更新しながら鍛えていくしかない。無論、教育する側はかなりの負担となる。なお、「速やかに成らんと欲し」、それを速成させることが本当に良いかどうかについてはまた別の議論が必要だろう。

 

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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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