論語読みの論語知らず【第35回】「直を以て怨みに報い」

「ストレートな人柄」、「直球勝負の人」、こうした表現がときに褒めコトバとして使われる。勧善懲悪が一般的な時代劇などではこうした主人公が好まれるし、概ね最後は「刀」を引っ提げて斬りこみ、悪玉を蹴散らし、そして一件落着となる。一方で、これらの表現が、ときに人を貶すコトバとして使われる。その場合は融通の利かない奴という意味合いになる。論語のいうところの「君子」は、このようなストレートと直球を是として肯定するかどうか状況と文脈によって異なるかもしれない。


「或ひと曰く、徳を以て怨みに報ゆるは、如何、と。子曰く、何を以て徳に報いん。直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん、と」(憲問篇14-34)


【現代語訳】

ある人が質問した。「仇への怨みに(対して怨みで報復するのではなくて)恩恵(徳)を与えて解決するというのは如何でしょうか」と。老先生はこうお答えになられた。「それなら(自分が受けた他者からの)恩恵に対して、何をもってお返しするのだ。(怨みにも恩恵にも、お返しは同じになってしまうではないか。)怨みには、怨みのそのままの気持ち(直)を、恩恵には恩恵を、ということでよい」と


シンプルに徳と怨みを対比させているところが実にこの一文の面白くもあり、そして意味深な部分でもある。この一文を読むときにこんなことを思った。「昨日の敵は今日の友」

この逆もまた真であろうが、人間関係の移ろいやすさをさす慣用表現としてよくつかわれる。そして、仇と怨みはこうした移ろいやすく近い関係から生ずることも多い。たとえば、「ある人」が、「別の人」から徳(恩恵)を受けていたとする。ときにそれは上下、主従、師弟などの関係かもしれない。二人の間は蜜月のようで盤石にみえたし、互いにそれが良いと思っていた。しかしながら、有為転変の世にあっては変わりゆかないものはない。変わらないように見えるとすれば、それは互いが努力を重ねて、ほぼ同じようなペースで先発・後発の差はあれども道を歩んでいるからだろう。


ただ、それは、さほど簡単なことではなく「ある人」が「別の人」から物別れや訣別していくことがある。このとき、「ある人」によっては自分の器量を知り感謝を持ちつつ別の道を歩む。だが、「ある人」によっては遠ざけられたと強く怨みを持ち、「別の人」に対して復讐のような行動に出ることがある。こうした場合の怨みは自らに落ち度無いものと、つよく思い込んでの逆恨みゆえになかなか手がつけられないのだ。

市井の一般か、高位高官の世界かはあまり関係なくこうしたことはあるだろう。こんなときふたたび徳(恩恵)をもって怨みに報いるのは、仮にそれが表面上は関係を修復できるとして、そして、相手がある程度役に立ってくれるとしても、それが道に適っているかどうかは別の話なのだ。したがって、そんなときストレートにアクションを発動せざるを得ないことがある。いやそれでも、「君子」というならば、わが身を犠牲にしてでも、相手がわかるまで徳をもって怨みに報いるべきではないのかいう物言いもあるかもしれない。


ただ、君子なればこそ道を違ったものからギリギリの保身をしなければならない。誤解をされやすい表現だが、保身する理由は一つ、生きている限り君子としての天命を果たさねばならないからだ。そういう意味では道を違ったものと敵陣に踊りこんで共に討ち死にする発想は論語にはない。それは事前に回避されなければならないのだ。そして、自己保身という言葉も文脈により大きく異なる。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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