論語読みの論語知らず【第42回】「学は及ばざる如くせよ」

「職業は何ですか」と聞かれると、いつもどう答えようかと少し考える。そして、結局のところ相手次第で答えを変える。いや、決して詐欺師などではないのだが、いくつかの仕事を掛け持ちしているというのが実情なのだ。それを一つ一つ丁寧に説明しても、それぞれの仕事に脈絡が見出されないものもあり、相手に私事の理解で手間をとらせるのも申し訳ないので、その場にもっとも適した仕事をつい答えてしまう。少し前にある人に言われた「あなたは、職業のポートフォリオが極めてユニークですね」という言葉が妙に記憶に残っている。もっとも、私自身はどの仕事も一生懸命にやっているだけで、いわれるまでユニークという意識もなかったのだ。


先日、顧問先の企業で内定式に出て話をしてきた。来年から入社予定の彼ら彼女らにとって多くが希望した職業であり、キャリアをスタートすることになる。入社して研修期間を経て、希望する部署に配属される者、そうではない者いろいろあるだろうが、同期入社でも何年かすればその仕事の仕方は良くも悪くもかなり差異が出てくる。その理由の多くは結局のところ学ぶ姿勢にあるようだ。だから、どんなに忙しくても学ぶことを自らに課すべきだというような硬い話だ。彼ら彼女らはまだキャリアをスタートさせてないので、あまり説教臭くならないように配慮しながら、助走にでもなればよいくらいの気持ちで話をする。論語にこんな言葉がある。


子曰く、学は及ばざるが如くせよ。猶之を失わんことを恐れよ」(泰伯篇8-17)


【現代語訳】

老先生の教え。学問をするとき、自分はまだ十分でないという気持ちをいつも持て。しかも、得たものは失わないと心掛けよ(加地伸行訳)


過去、現在、未来、それらをどのような意識で捉えているかは人それぞれなのかもしれない。私自身の10年前のことを問われたら、手元に何もなければ正確には答えることはできない。だが、3年くらい前ならおそらく相当程度正確には覚えている。ただ、私の自宅と事務所には書棚が複数あり、おさめられた蔵書を眺めていると、それらをいつ読んだものかは不思議と思い出してくる。たとえば、ある本の背表紙を眺めれば、20年前の夏、そのときどんなことを考えて、どんな行動をしていたか思い返されてくる。その上で、これから何を学んでいきたいか、学ぶべきかもみえてくる。本を読むこと、そして考えること、このことだけは変わりなく続いてきた。そして、最近は書くことが増えてきた。実のところ、この文を徒然なるままに書いているが、別の原稿の仕上げに追われている。それは多分幸せなことなのだろう。


さて、私自身何かをさほど知っているとは思ってない。どちらかといえば、知らないことを思い知らされることのほうが多い。ただ、忘れてしまうとしても、学ぶことはやはり好きではある。そんな生活を続けているうちに自然と職業が増えて、仕事の範囲が広がった。それが良いかどうかはともかく、こうした「脈略」もあるのかもしれない。だから、私自身のなかでは複数の職業と仕事について折り合いはついている。こんな話を軽くしながら、これからキャリアを積む人たちには、とにかく学び続けることだけは放棄しないでほしいと祈りにも似た思いで話す。

さて、私事ばかりを述べているけども、これから先、まだ、職業も仕事もさらに増え、さらに深まるだろうと予感しているし、私自身はまだ相当の余力を残している。「論語」でいう天命を知る50歳は、まだかなり先で、そして、まだ学びの日々が続くのだろう。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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