温故知新~今も昔の変わりなく~【第54回】 トゥキュディデス『歴史』(ちくま学芸文庫,2013年)

「トゥキュディデスの罠」という言葉がある。覇権国と新興国が雌雄を決する戦争に至るまでテンションが高まり衝突していく現象を指すものだ。トゥキュディデスとは紀元前460~395年の古代ギリシャに生きた歴史家である。なお、この「トゥキュディデスの罠」は彼が言った言葉ではなくずっと後の時代になってつくられた言葉だ。彼が残した著作として「歴史」(戦史)がある。これはアテナイとスパルタの間に勃発したペロポネソス戦争の経過について可能なかぎり客観的かつ実証的に書かれたものと評されている。全部で8巻に及び構成されており、現代の文庫にすると900ページ超の代物だ。


とある人が「本当に戦略を理解したければトゥキュディデスを読まねばならない」といったとされるが、戦略を知り学ぶことを志しても、今日この本をきちんと通読と精読をする人はさほど多くはないと思う。この書物を本気で読もうとすればそこそこ苦労はする。私の場合は、古代ギリシャの都市国家が記載された地図を用意し、ペロポネソス戦争の通史的なものや思想的な本などもガイドや補助線として読みこみ、自分でそれらを整理したノートやメモを机上に準備し、そしてこれを精読していった。


ある程度準備はしてもその内容はかなり微に入り細を穿つというくらいに詳細が書かれているので、時折深い森に迷い込んだ錯覚を感じる。それでも辛抱強く読み進めていくとまた開けた平原に導かれたように感ずる書物だ。そこまでして読む価値があるかと問われたら私の答えはYesだ。まず、この本が特徴的なのはアテナイとスパルタがギリシャの辺境からはじまる紛争に次第に巻き込まれていく中で、アテナイ、スパルタだけでなく中小の都市国家なども含め、それぞれ登場する政治家、外交官、将軍たちの演説(言い分)が収録されていることなのだ。もっともトゥキュディデスの時代に録音機など無論なく、彼自身がすべての現場に立ち会ったわけではない。これについてこういっている。


「演説に関しては、各演説者が戦争直前かあるいは戦争中に発言したものであるが、私自身が実際に聞いた演説も、また後になって人伝てに報告された演説も、発言された言葉をありのままに記録することは不可能であった。そこで演説については、実際に発言された主旨にできるだけ近づこうとつとめた私にとって、それぞれの演説者がその置かれた環境に関してきわめて適切な発言をしていると思えるような仕方で叙述されている」(第一巻22)


これによって当時どのような論戦がなされていたかが再現されているのだが、これがまた圧巻なのだ。たとえば、辺境のとある都市国家の外交使節がアテナイに救援を求めに来たときの演説に対し、一方、その都市国家と交戦中でアテナイの介入を阻止したい都市の外交使節の演説が収録されている。どちらも最大限論理的に整理して長広舌をふるいアテナイに必死に訴える。読まされている側は少しでも油断する論点が不明になるし、双方の舌戦の火種が飛んでくるような緊張感を覚える。戦争の前の外交戦とはこんなやり取りが始終続くのだろうと想像をたくましくさせるのだ。それでも、トゥキュディデスは真摯かつ謙虚にいう。


「この著作には興味本位の話が皆無であるから聴衆にはおそらく面白く聞えないであろう。しかし過去の出来事や、これに似たことは人間の通有性にしたがって再び将来にも起こるものだということを明確に知ろうとする人には、この本を有益と充分に認めることができるであろう。耳に一時を競うより、不断の財に、とこの本を書いたのである」(同)(「聴衆」とあるが、古代ギリシャでは黙読はせず一人でも音読するのが普通であったことによる)


外交戦に続いて武力戦の経過などもトゥキュディデスは詳細に書いていく。もちろん彼がすべての作戦に参加したわけではない。ではその再現をどのように可能にしたのかといえば、次のようにいう。


「戦争中に行なわれた活動の叙述は、四囲の状況から判断したことや目に適切と映ったようなことにはよらずに、私自身が実際にいあわせた出来事とか、根拠が他の人々にあっても、個々の事実についてそのありのままを私ができるだけ探求した結果とかに基づいて書くことを旨とした。しかしこれは苦労のいることであった。なぜならばそれぞれの場にいあわせた人たちでも、偏見や記憶違いから同じ事実についても同じようには伝えなかったからである」(同)


こうしてトゥキュディデスは外交から戦争、戦争から外交といった経過を複数の因果関係で詳細に叙述した。政治と軍事、外交と軍事の関係とそこから生まれてくる戦略とは何かといった問題を考えるには充分すぎるくらいの材料を確かに提供してくれるのだ。それぞれの言い分とアクションをしっかりと追っていくのは骨が折れる。ただ、それこそ地を這う虫の目で丹念に読み込んでいると、いつの間にか、ふと空から眺める鳥の目のような読み方をしていることに気づく刹那がある。これが戦略といった知見への光明一筋かと思って油断するとまた一気に虫の目に戻る・・・こんな繰り返しではあるがだからこそ精読する価値があるのだと思う。


なお、この「歴史」は未完の作品とされている。それは紀元前431~404年までの27年間続いたペロポネソス戦争のうち411年で叙述が終わっているからだ。これについて翻訳をした小西晴雄氏は次のような言葉を残している。


「・・従来はトゥキュディデスの作品は未完の歴史書として扱われて来ましたが、最近では、これは歴史書ではなくて、「力」の概念を哲学的に史実観察した完結作品であると考えられるようになっています。つまり、シューベルトの「未完成」を完結品と見るか否かの問題に似ているといえましょう・・」


トゥキュディデスは歴史家として知られるが、それに転身する以前は34歳の若さでアテナイの一軍を指揮するストラテゴス(司令官)に選出されスパルタ軍と対峙している。だが武運拙く実質的に敗北してアテナイへと帰国した後、それに怒った市民によって20年間の国外追放を命じられた。若くしての決定的な挫折が彼の心に与えたインパクトはどれほどだったかは想像することしかできない。ただ、逆境からの頑張りがこれだけの作品を残したことは間違いないだろう。「歴史」は客観的に実証的に叙述しているとされ、そればかりが評価されがちである。そもそも客観的かつ実証的なるものが、私個人としては所詮限界のあるものだと思っている。それよりもこの作品の醍醐味は人生の早い段階で失意を味わったトゥキュディデスなる人物がその自らの哲学と思想に基づいて編纂されたところだと思っている。ゆえに叙述スタイルのその紙背にはどこか司馬遷に通じるような情念を感じてしまうのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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