論語読みの論語知らず【第75回】 「必ずや名を正さんか」

「自粛警察」なる造語に加えて、「帰省警察」「移動警察」なる新たなものが生まれているのを知った。これらの言葉の意味や効能を改めて但し書きする必要するはないだろう。ただ、「自粛」、「帰省」、「移動」のあとに「警察」をつなげるのは、警察にたいして大変失礼な気がする。いうまでもないが、警察官になるには各都道府県で採用試験を受けて合格し、一定期間の教育訓練を受けた後で巡査として一線に配属される。その職務遂行にあたっては「警察官職務執行法」などに従い、その権限や義務なども明確にされている。その背負っているものを考慮すれば、素人が独善的衝動に駆られて「取り締まり」を行うものと一緒にされるべきではない。蛇足だが「自宅警備員」なる造語についてもこれもまた警備員に失礼な気がする。警備員とて警備業法に従うことが求められ、所定の教育を定期的に受けなければならない。実質的に非武装でときに他人の生命財産を守るリスクと向き合うことにもう少し敬意が払われてもよい。


さて、再びの緊急事態宣言。この1年世間でどれほどこの言葉が繰り返し使われたかは知る由もないが、言葉が先走る一方で緊急事態の意味合いや理解については政府、野党、メディア、企業、人々の間に相当の幅があると感じている。連日飽きもせずに報道される「本日、新たに0000人の感染」「医療崩壊の危険」などばかりを見ていれば、緊急事態の言葉と紐づけられるのも仕方ないだろう。ただ、緊急事態にもいろいろなタイプがある。法的な視座からいえば、今回のものはあくまでも「新型インフルエンザ特措法」に基づく「緊急事態」だ。他にも日本には警察法に基づく「緊急事態」、災害対策基本法に基づく「災害緊急事態」、国家安全保障会議設置法に基づく「重大緊急事態」などがある。これらは緊急事態という言葉こそ共通するが発動した後は法令で定められている手順や効果には相当の違いがある。


さらには視座を世界に広げてみると通常の法令手続きでは国家の存立や秩序を維持できない事態に対処するために、憲法の一部を停止させて、政府機関などに権力を集中させて事態にあたる国家緊急権といったものもある。(日本はこの考え方の是非を巡りいまだに議論が割れている)いずれにしても緊急事態という言葉や概念、名と実にはいろいろあるのだ。今回の「緊急事態宣言」はそうしたなかのワンオブゼムだ。


やや面倒な法的な視座からもっと常識的な視座にもどり、新型コロナを巡る世界情勢と日本のそれ、通常のインフルエンザとコロナの影響比較、指定感染症2類の妥当性、コロナ自粛と経済活動の存立の問題など冷静な考慮をして緊急事態の名と実をすり合わせる必要があり、さもなければ「命を守る」だけの煽動的な掛け声のなかでいつしか自分たちが発出した緊急事態宣言の言葉によって社会全体が呑み込まれてしまいかねない。言葉が先走るなかでそんなリスクを危惧している。ところで論語の中に次のような一文がある。


「子路曰く、衛君 子を待ちて政を為さば、子 将に爲をか先にせんとする、と。子曰く、必ずや名を正さか、と。子路曰く、是れ有るかな、子の迂なるや。爲んぞ其れ正さん、と。子曰く、野なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於いては、蓋し闕如たり。名正しからざれば、則ち言順ならず。言順ならざれば、則ち事成らず・・」(子路篇13-3)


【現代語訳】
子路がこうおたずねしたことがあった。「衛国の国君が、先生を礼遇して政治を委ねられるとしますならば、先生は何から手をつけようとなされまするか」と。老先生はおっしゃった。決まっている。名(文字・記号)を正すことだ」と。子路は言った。「それですよ。先生のお考えは現実離れしています。どうして名を正すなどという(悠長な)ことでいいものですか」と。すると老先生はこう諭された。「現実的すぎるぞ、由(子路)よ。教養人たる者は、自分がよく知らないことについては、知らないままにすることだ。(もし)名(文字・記号)が正しくなければ、言(ことば・筋・論理)が妥当でない。言が妥当でないと、政事(政治)が達成されない・・」(加地伸行訳)


この一文の「名」を加地伸行先生の訳では文字や記号としているが、他にも「名」は名分(立場や身分に応じて守らなければならない道義上の分限)を示すという解釈もある。それはここに出てくる衛の国は政情不安な時代があり、ときに父と子が戦争をすることもあったのに由来している。個人的にはこの「名」をどちらも含めてより広義の意味で解釈してよいとは思っている。さて、私が今回の緊急事態宣言のなかで思うことの一つはそれを決めた政治決断(政治的決断)についてなのだ。


科学的見地や専門家の助言と意見具申、各種最新のインテリジェンスと世論などなどいろいろなことをトップは考慮しなければならないのだろう。ただ、それでも結局のところ未曾有と思えるような事態にパーフェクトな正解があるわけでもない。そうしたなかでトップがもう一つよりどころにするべき知恵は歴史(歴史観)なのだと考える。日本史・世界史をみてみると感染症と戦争などの有事が幾重にもパラレルしておきた緊急事態などたくさんある。そうしたなかで政治的決断はどうなされてきたのか、いにしえからの歩みを鏡とする学ぶべき事例は多くあるはずだ。そうしたことをしっかりと肚に落とし込み、共有できない孤独を背負った上で、緊急事態宣言の名実を巧みに使いこなすならば一つだが、ただ煽動的な声と専門家の知見だけに押されて宣言を出すのであればどこか危うさを感じる。通常の対応で不十分だから緊急事態なのであって、歴史を見れば政体(王政や民主政など)の形に関係なく、そしてときには大方の意見とは異なるベクトルで政治決断(政治的決断)は関与してきた。これらを踏まえて「緊急事態」の言葉を使うのでなければ、言葉自体に対しても大変失礼な気がするのだ。迂遠かつお堅いことをいっているようだが、「空気」のなかでズルズルと決まってしまうことに大きなリスクがあるのをわかっている人も多いはずだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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