温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第66回】 レッシング『賢人ナータン』(岩波文庫,1958年)
「合理主義者」という用語はきわめて都合よく使われる気がする。この用語の意味がカバーする範囲が一般的にとても広いのだ。どうしようもないほどに頑固で自分の経験と偏見にこりかたまっており、物事を因果関係・因果律で捉えているようで、実のところものすごく狭い範囲でしかみていなくても、自分を合理主義者だと自認している人はいる。相手にしなければよいし、それで済むなら楽だが、何かしらの組織に所属してこうした人と渡り合わなければならない実務担当者の苦労は計り知れない。これは「合理主義者」なる言葉の誤用であるとして置いておき、歴史的にみて合理主義はその生まれも育ちももう少し高潔なものであったはずだ。
ある哲学者は18世紀を「理性の世紀」と呼んだ。森羅万象のすべてにはしかるべき理由があるはずだと信じたのはライプニッツで、その考え方をさらに推し進めたクリスチャン・ヴォルフは、「理性は自然の法の教師である」といって、物事の理由をしっかりと調べて、究明していけば必ず帰結が導きだされると考えた。このような物言いは自然を超越した「超自然」の世界、たとえば神が起こす奇跡や恩寵などの世界とときに対立し、ヴォルフは「仮に神がいなくとも、自然の法がある」と公言していたこともあり、神学を生業とするものたちが怒って大学教授の地位を一度失っている。だが、合理主義の流れはそれで止まることなく、モーゼス・メンデルスゾーン(「結婚行進曲」などで知られるメンデルスゾーンの祖父)あたりがそれを引き継いで合理主義の価値と意味を世に問うていった。(後にカントがそれをひっくり返す試みをするがここではその話はしない)
このメンデルスゾーンはドイツ生まれであったが、ユダヤ人でありユダヤ式の教育を受けたことでドイツ語自体はあまり得意ではなかった。日々の生活のなかでユダヤ人であることを理由に色々と差別や嫌がらせを受けたが、それでも生まれたドイツの地で文化の向上や啓蒙活動に勤しんだ。このメンデルスゾーンを友人として一生懸命に応援したのがドイツ人のレッシングだった。レッシングの「肩書」は現在では詩人、劇作家、思想家などと表記されるが、当時、ドイツ文学や思想(ゲーテやカントなども含む)にとても大きな影響を与えた人物だ。このレッシングの代表的な戯曲に「賢人ナータン」(賢者ナータン)という作品がある。私はこの作品を知ったのはカントについて色々と本を読んでいたときであり、興味をもったので購入して読んでみた。
「賢人ナータン」は今でもドイツでは舞台で演じられるとのことだが、私はこれまでのところそれを観劇はできていない。なお、戯曲を文章で読むと、時々、何とも言えないセリフの冗長さに少しばかりくたびれもするが、実際の舞台で役者がそれを演ずるのをみるとまた違ってみえてくるのが戯曲の面白いところだ。主人公のナータンはメンデルスゾーンをモデルにして書かれており、テーマは合理主義による宗教的寛容である。この戯曲は12世紀のエルサレルムを舞台とした物語であり、ナータンはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの代表的宗教をその異なる形式を超えて本質を自らの内に和合した人物として描かれている。戯曲ストーリーの全体の話は長くなるからしないが、ナータンが物語のなかである寓話を語り始める。それはユダヤ教、イスラム教、キリスト教のうちどれが真の宗教といえるかとの問いに対して、ナータンはある「3つの指輪の物語」を語り始める。(あらすじはウィキペディアあたりにも掲載されているから控えたい) なお、この「3つの指輪の物語」は中世イタリアの文豪であったボカッチョの「デカメロン」に載っていた話をレッシングは使っている。
「賢人ナータン」の戯曲自体はハッピーエンドで終わる。この作品を通じてのテーマは繰り返すが宗教的寛容であり、それを合理主義、理性的態度でもって貫いていくナータンを主軸に描いている。理性と信仰という二つのものがときに矛盾(二律背反)するような捉え方をする人がいるが、「賢人ナータン」が仄めかすのは理性と信仰は融和できるものとして扱うのだ。いうなれば、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、それぞれの形式の違いはあるが、これらの宗教とそれへの信仰は合理主義、理性的態度でもって向き合うことでより形式の違いを超越して本質を尊重することが可能との含意がある。
これらは哲学・思想史の中での一コマであり、歴史の現実の歩みは時として真逆のコースを歩んできているが、思想史のなかでは合理主義はこのような道筋も存在した。そして、先に少し触れたがカントがこの合理主義の大元である理性について限界と疑義を掲げて以降合理主義は独断的な輝きを享受できるわけでもなくなった。さて、今日はこのような哲学・思想史を踏まえた上でいちいち「合理主義」などの用語を使っているわけでもない。組織などで「物事を合理的に進めていこう」などとの声があがり議論するのは多いに結構なのだが、合理主義は基本的に徹底的に頭を使ってその限界まで何かしらを考えるのが前提のはずだ。それが、どうも頭を使って考えることを拒否して、論理的な議論を途中で感情的な理屈に差し替えてしまうのも合理主義に含まれるのは嫌だなというのが正直な気持ちだ。もっともその当人たちはこの陥穽に気づかないことも多いし、私としてはそうした場面を他山の石として受けとめていたい。私自身は合理主義一辺倒ではないし、その限界もわりと弁えているつもりだが、合理主義の思想史的な歩みが高潔なものであったことに敬意をもっていたい。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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