論語読みの論語知らず【第84回】 「之を知るは之を知ると為し、知らざるは知らずと為す」

中国南宋が滅亡するときにこんなエピソードがある。文天祥、張世傑とならんで南宋の「三忠臣」(亡宋の三傑)にかぞえられる陸秀夫の話だ。話をシンプルにするが女真族を主体とする「金」が華北を奪い、「宋」王朝は南に追いやられて南宋を打ち立てたのが1127年。その南宋が1279年にはモンゴル帝国の圧迫を受けて正式に滅亡している。この数年前には重要な防衛拠点を失い、続いて首都を開城し皇帝(恭帝)が降伏して実質的に滅亡していたのだが、陸秀夫などの一部の遺臣はそれを受け入れず、恭帝の兄弟を皇帝にして抵抗運動を続けた。この抵抗は最後には海上を舞台に展開されて、南宋艦隊とモンゴル(元)の艦隊との戦いとなった。南宋艦隊は善戦するが消耗戦の前に力尽きて敗北していく。


絶望した家臣たちが海へと次々に入水して自決していくなかで、宰相となっていた陸秀夫は幼い皇帝に船内で『大学』の講義を続けていた。そして完全なる敗北を悟った刹那に皇帝を抱えて入水している。このエピソードは詩や歌になり今でも哀しみを抱えたものとして語られて人々の涙をさそうともいう。そして、平氏が滅亡した壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の話と重ねられもする。なお、『大学』とは「修身斉家治国平天下」で知られる『論語』『中庸』『孟子』とならんで儒教の四書の一つだ。勝ち目がない戦いと完全なる滅亡が目前に迫ったときに、宰相陸秀夫は幼き皇帝に倫理徳目を教えていた。死を前に理念に殉ずる高潔さを示したことが時を超えて人々から一種の感動を呼ぶことがある(別の観点もあるだろう)。


さて、話は大きく変わる。5月13日付日経新聞を読んでいるとこんな記事が報じられていた。タイトルと見出しは「入国後待機「管理強化を」」「自民要求、要請の実効性低く」「厚労省慎重「憲法の制約」」。記事は「変異型の新型コロナウィルスを巡る日本の水際対策が課題に浮上してきた。自民党の外交部会は12日、入国者の管理を強化するように政府に要求した。・・・厚生労働省は「移動の自由」を記す憲法の制約を理由に厳しい措置に慎重だ」と書かれていた。そして、記事は最後のほうで憲法学者の数名からコメントをもらい、「移動の自由」に枠をはめる私権の制限についてそれぞれ賛否を並列して締めていた。


私個人としては誰か一人をあげつらってその人の責任に帰するといった議論には賛同しない。ただ、一方で責任のある者たちが、物事を並び立ててどれも大事であるからそれぞれ一生懸命にやりますというのは決断をしてないことに等しい。有事において何を活かして何を棄てるかの徹底的な議論をして、それで理念に殉ずるのか、反対に理念を一時棄てでも別のものを選ぶのか。そうした討議をしないのは民主政体においては許されるものではない。迂遠にみえる議論のなかに何を知っていて、何を知らないのかが見えてくるし、それで次の世代に引き継がれていくべきものが浮かび上がりもするだろう。無論、有事には時間的制約があるから、決断をして議論は後ほどという歴史も我々は知っている。ふと、論語の次の一文を思いだした。


「子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るは之を知ると為し、知らざるは知らずと為す、是れ知るなり」(為政篇2-17)


【現代語訳】

老先生の講義。由(仲由。子路の名)君よ、君に「知る」とは何か、教えよう。知っていることは知っているとし、知らないことは正直に知らないとする。それが真に「知る」ということなのだ(加地伸行訳)


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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