論語読みの論語知らず【第91回】 「已みなん已みなん 今の政に従う者は、あやうし」
勝ち戦には乗り遅れないように。負け戦では逃げ遅れないように。歴史を眺めていると少なくとも傍流にはこうしたものが付随しているようだ。たとえば、同工異曲で何度もつくられてきた幕末物では、最後の将軍だった徳川慶喜が、1868年(慶応4年)の戊辰戦争初戦の京都を中心とした鳥羽伏見の戦いにおいて、旧幕府軍と薩長連合の軍が衝突している間に、大阪城から闇夜に紛れて軍艦開陽丸で江戸に逃亡した史実はあまりにも有名だ。この戦い自体は十分に研究しつくされている感もあり、今更どうこう論じる気はない。ただ、1万5千対5千と兵力規模では旧幕府軍が上回るも、有能な前線指揮官不在で作戦も指揮も統一を欠き、各藩諸隊がバラバラに各個戦闘をし苦戦するうちに、薩長連合が作った「錦の御旗」が上がり旧幕府軍に動揺が走り総崩れとなった。その報を受けて徳川慶喜が老中や会津藩主などの一部側近のみを引き連れて逃亡したというのが一般的事実だ。この後、江戸城に戻った徳川慶喜は二度と政治的な求心力を取り戻すことはなかった。
タリバンがアフガニスタン首都カブールに迫るなかで、ガニー大統領が突如空路で逃亡した事実は世界にニュースとして駆け巡った。ロシアメディアの8月16日付報道では車4台に分乗して現金を運び、ヘリで逃亡する際に積み込めない分を放置していったなどと報じられもした。このいささか間抜けな絵図は悪意あるイメージを持たせる誇張であったとしても、ガニー大統領が守るべき国民と指揮するべき政府軍を置いて逃亡したことだけは紛れもない事実だ。当人はカブールに残れば殉教者になり(要は処刑され)、国内に混乱を引き起こすだけであり選択肢がなかったと弁明してはいるが、最後までタリバンと妥協線を探ろうとしていた者たちからは、「この先100年は唾を吐きかけられる存在になるだろう」「彼はこれからどの面で生きていけるのか」などと強い非難の声が上がっている。いろいろな考え方はあると思うが、首都に留まって政府を継続させてこそ穏健な政権委譲、事実上の条件付き降伏などの政治的決着をつけられた可能性もあっただろうが、逃亡して首都に政治的空白をつくれば全てご破算になるのは明らかだった。身の危険を感じ国内からの脱出を求めて空港に群がった人々に対しての少なくとも最後の責任を果たすべきであったし、ガニー大統領には自らの一命を引き換えにしてでもそれを支援する覚悟が求められたとも思う。
未来のアフガニスタンがどうなるかは誰にもわからないが、ガニー大統領の統治・執務スタイルや「裸の王様」であった実態などが米メディアではいろいろと出始めている。混乱時の情報ゆえにどれほど信ぴょう性があるかなどは時間が経ってみないとわからないが、コロンビア大学で人類学博士号を取得し、世界銀行に勤務し、カルザイ政権(前政権)で財務相を経験したガニー大統領は、きわめて孤立した存在であったともいわれる。大統領と側近、閣僚との関係は、彼がよく癇癪を起すことで緊張を孕み、険悪なムードであったという。大統領が信用できる者はごく限られ、軍事指揮もよい人材をトップに据えることができずに苦しんだなどとも漏れ伝わってきている。
既にいわれているように、米国政府は当初アフガンから米軍の撤収が完了しても、アフガン政府は2年程度持ちこたえられると見積もっていた。それが今年の春から夏にかけて軌道修正がかけられ、1年、あるいは半年と次第に変わっていた。バイデン大統領はこれほど急速にアフガン政府が崩壊するとは思わなかったとし、インテリジェンスの不備を一部認めた。ただ、複数ある情報機関のうち一部が提出していたインテリジェンスには、アフガン政府の脆さと瓦解の可能性を指摘していたものもあったと最近になってリークされはじめている。CIAなどはアフガン政府と政府軍について悲観的な見解に傾くが、米国防総省と米軍は自らがヒトモノカネを大量につぎ込んでアフガン政府軍をトレーニングしていたことから、どうしてもそうした自らの努力を否定しにくく、楽観的な見解を出しがちであったなどもいわれている(こうしたことを匿名で発する人間にはいろいろな意図があるだろう)。
これからどれほどの時間が経過しても、CIAや国防総省がどのように情報収集して分析評価したかの過程が表に出ることはないだろう。ただ、それはわからずとも常識的なラインから想像できることもある。たとえば、「集めやすい情報」と「集めにくい情報」の二つに分けるとすれば、前者が後者を量の上では大きく凌ぐことは論理的な帰結だ。アフガン政府軍の兵力規模や武器・兵器などのハード・有形戦力、対するタリバンのそれらを収集することは現代のテクノロジーを駆使すれば難しくはないだろう。結果的に戦力としては政府軍がかなり上回っているので、それをベースに消極的にでもアフガン政府軍が防勢作戦に徹すればそう簡単に負けはしないはずだとの結論に傾く。他方で、政府軍やタリバンのソフトの部分、指揮官の質、兵士の戦意や士気、作戦遂行の能力など無形戦力についての情報収集と分析評価はどれほどテクノロジーが発達しても生身の人間が絡むことである以上、結局のところ容易ではないはずだ(情報機関の情報分析官たちは常に苦しんだと想像する)。
特に、人間と人間を介した肌感覚で掴むしかない情報、人的情報となるとある程度の信頼関係に左右され、米軍が費やした20年と引き換えにどれほどこうしたものが培われていたのか次第となる。「集めやすい情報」と「集めにくい情報」をまな板に載せて「加減乗除」してひとつのインテリジェンスレポートができるのだろうが、ここには絶対の方程式はないのだ。
さて、これまでの報道と結果だけをみる限り、細部はまだ不明だが政府軍は交戦らしい交戦をほとんど行わずに降伏や逃亡により総崩れとなり、最高指揮官であったガニー大統領は最後の政治的努力をせずに逃亡し自ら政府崩壊の引き金を引いた。そこに至るまでガニー大統領自身にもどの程度のインテリジェンスが上げられていたのかは不明だ。ただ、命を長らえた以上はそうしたこともきちんと告白して後世への教訓を残してほしいとは思う。
それから、これはもうだいぶ前に現地にいた者から側聞したもので、その後はどうなったかはわからないが、90年代に政権を握っていたタリバンが駆逐され、アフガニスタンに新たな政府ができて間もない頃の話だ。治安維持任務などに派遣されていた米軍とカナダ軍のお金の使い方を巡る違いがあった。不幸にして交戦に巻き込まれ犠牲や損害を被った現地の民間人は金銭で補償を受けるが、カナダ軍は自らの責任で被害を及ぼしたケースについて、可能な限りその場で軍が直接対応して金銭補償をしていたという。他方で当時の米軍はそれが後日対応でそのプロセスも複雑なものだったと聞いた。被害を受けた側からすれば所詮は金銭補償ではあるが、両者の対応の違いから現地の人々の気持ちの変化は出てくるはずだ。こうした地道な積み重ね次第で、ときに大局に影響する小さく囁くような情報がもたらされるか否かを分けるのかもしれない。そして、それは情報を受ける側の求心力にもつながってくるはずだ。さて、論語の中でもなんとなく妙でインテリジェンスにまつわる不思議な一文を付言して終わりとしたい。
「楚の狂接輿(きょうせつよ)歌いて孔子を過ぐ。曰く、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諫む可からず、来たる者は猶追う可し。已(や)みなん已みなん。今の政に従う者は、殆(あや)うし、と。孔子下りて之と言わんと欲すも、趨(こばし)りて之を避く。之と言うを得ず」(微子篇18-5)
【現代語訳】
楚国の狂接輿という者が歌いながら孔先生の(乗られた車の)そばを通り過ぎた。「大鳥さんよ大鳥さん、世の中まっ暗。すんだことはそれまで。これから先ゃなんとでも。止めなされ、止めること。お上はみな、やばいよ」と。孔先生は下車してその者と話そうされたが、その者は小走りして敬意をはらいながら先へ行ってしまった。その者とお話なさることはかなわなかった(加地伸行訳)
(鳳=大鳥 孔子のこと、往者=過去、来者=未来)
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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