論語読みの論語知らず【第93回】 「微子 之を去り、箕子 之が奴と為り、比干諫めて死す」
9月初頭にネット上で「「仕事は仕事」アフガニスタンの元大臣 ドイツでピザ配達する日々」との見出しで始まる記事を読んだ。サイード・サダート氏なる50歳の男性は2016~18年にかけて、アフガニスタン政府で通信・IT大臣を務めていた。不本意ながら職を去るがその理由は政府内に汚職が蔓延り、公共プロジェクトで露骨に利権を貪ろうとする大統領周辺に対し、適切に予算が使われるのを願うサダート氏との間には埋めようがない溝と緊張が生じた。サダート氏は大統領周辺からの圧力により大臣の地位から去る決断をし、その後アフガニスタン国内で通信コンサルタントの仕事に就いていたが、国内情勢の悪化に伴い20年に出国してドイツへ移住した。
ただ、ドイツ語が出来なかったサダート氏にできる仕事は限られ、自分の身一つで始められるフードデリバリーの仕事を選んだ。毎月1200キロを自転車で東奔西走し、そこからの稼ぎで糊口をしのぐ。サダート氏の最高時給は条件によっては2000円となるので、家賃や生活費をどうにか捻出できているとのことだ。なお、彼の家族の安否消息については口を閉ざしたと報じている。オレンジ色のユニフォームと配達用の大きなバックを背負って働くサダート氏は「この仕事を恥ずかしいとはまったく思わない。仕事は仕事」「仕事があるということは、需要があるということ。誰かがやらなければ」という。また、「このチャレンジは短期的、別の仕事を得られるまでだ」ともいっている。サダート氏は仕事の前に毎日4時間ドイツ語のレッスンを続けており、アフガニスタンの状況が急変している現状にあっては、現地を知る氏はドイツ政府などに助言できるはずと考えている。この記事を読んだときに、次の論語の一文が脳裏に浮かんだ。
「微子 之を去り、箕子 之が奴と為り、比干諫めて死す。孔子曰く、殷に三仁有り、と」(微子篇18-1)
【現代語訳】
(殷王朝のころ)微子(びし)は祖国を去り、箕子(きし)は奴隷となり、比干(ひかん)は諫めて死んだ。孔先生はおっしゃった。(滅亡したが)殷王朝には三人の人格者がいた、と(加地伸行訳)
殷王朝の最後の王であった紂(ちゅう)は暴君で無道の限りを尽くしたとされている。「書経」ではそれを次のよう記す。「・・今、商王受(紂)は、上天を敬わずに、下民に災いを降し、酒に酔いしれ、女色に狂って、勝手気ままに暴虐を行ない、人を罪するにはその一族までも連累させ、官吏を任用するには気に入りの家柄のものだけを取り立てている。また、宮殿・高楼・大池を造営し、華美な衣服を整えて、汝ら万民の生活を害っている・・」(秦誓上第二十七)
微子は紂王の兄にあたるがこの状況を前に亡命を決意する。殷内部では上も下も盗賊のように成り果て、大臣や官吏たちが法を踏み破って平気な顔をしており、殷の衰滅は避けられず、命運もこれまでだと見限った。後に微子は周(周国)へ亡命しそこで殷の祖先を祭り、その血統を残したとされている。箕子は紂王の諸父(しょほ・おじ)にあたり、紂王を諫めるも投獄されたので、精神に異常を来したふりをして奴隷に身を落とした。比干も同じく諸父(しょほ・おじ)にあたり、厳しく諫めた結果、紂の逆鱗に触れて胸を引き裂いて殺害されたとされる。孔子はこれら三人をそれぞれ「仁」を貫いたものとした。
論語の中で「仁」は多く使われその定義は広く、シンプルな言葉ではあるがとても深い意味と意義があるようだ。孔子は人の生き方が仁に適っているかどうかを重視するが、そうそう簡単には人を評するときに仁を貫いたとは認めない。だが、この三人には三仁といってそれを認めている。それぞれが違う身の処し方をしたにもかかわらず、仁が共通してあてはめられる理由はなんであろうか。
殺害された比干は長く命運を保ってきた殷の重みが失われることを受け入れられなかった。歴史という積み重ねを慮るのは、いうなれば「過去」に殉じた生き方ともいえる。次に、気がふれた装いでもって奴隷に身を落としてまで殷の地で生きた箕子は、どのような状態であれ殷と共に今をあることを重んじたのであり、いわば「現在」に殉じた生き方だ。そして、最後に微子は殷が近い将来に滅びることを予見して見限り、自らの命を長らえる代わりに何ができるかを考えて行動したのは「未来」に殉じた生き方とも呼べる。過去、現在、未来とそれぞれどこに重きを置くか三人の選択は異なるわけだが、祖国に対する一筋の思いの丈は同じであり、その発露の仕方が違っただけともいえる。孔子はその誠に敬意を表して殷に三仁ありとしたのかもしれない。
さて、件のサダート氏だが、タリバンは過去に人権や女性の権利を巡って間違いを犯しているし、そこから教訓を学んでほしいと望んでいる。そして、国際社会がアフガニスタンを見捨てずに経済支援を続けてほしいともコメントを残している。アフガニスタンもサダート氏も未来はまだみえないのだが、氏のこれからが仁であるかどうかを証明していく道筋はまだ続いてほしいとつよく願っている。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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