温故知新~今も昔も変わりなく~【第79回】 中村元『東洋のこころ』(講談社学術文庫,2005年)

中国の「老子」は「知っているものは、しゃべらない。しゃべるものは、知っていない」(知者不言、言者不知)といっている。同じようなことが「ウパニシャッド」にもある。「賢明なバラモンはそれのみ知っていて、智慧を起こすべし。多くの言葉に思慮を費やすな。何となればそれはことばの浪費にすぎないからである」。 「ウパニシャッド」は古代インドのヴェーダ聖典(リグ・ヴェーダ)の一部であり、これら二つの文言は、言葉ではあらゆる根本をなすものを言い表せないことを示したものとされる。


あらゆる根本のことはひとまず置いておき、日々の生活のなかでも知らないことは多くある。一連のコロナ禍を通しても政治家、役人、専門家、学者、医者も知らない、分からないことが多くあることが露呈された。未知のものに対してのこと故に当然の結果だが、どうにも知らない、分からないことを正直に言えない風潮となっている。その反面、因果関係のわからないことを、傍から聞いていても無理筋だなと思うような因果を持ち出して強弁することにもなりがちだ(いうなれば単なる憶測ということになる)。 


今日では現在進行形の物事を外から知ろうとするときにはネットを使って調べるのが普通だが、その性質上、情報と知識の量だけは膨大に形を変えて複製され続けている空間を泳ぐことになる。何かを調べていくなかで次々と量は「足し算」されていくが、それを「引き算」してインテリジェンス化へと昇華する暇が十分に与えられぬまま答えを求められがちでもある。その結果として一見すると「千差万別」で実のところ「同工異曲」の情報を机上にたくさん並べて満足していることもある。こうした場合、何かを決断するための参考としては役には立つことなく終わるのだ。


現在進行形ではなく、過去形の知識となるとこちらはネットではなく紙ベース(本)で膨大な蓄積となる。古来、宗教書といえば文字通り万巻となるが、「如是我聞」(このように私は聞きました)との断り書きとともに、様々な僧侶が生み出すことを許容した仏教の経典などは驚愕の量となっている。たとえば「大般若経」などは600巻に達するが、今日の僧侶たちは全部を誦経すれば途方もない時間となるので、「転読」といって経典を素早くパラパラとめくりながら一部を読むことで全部を読んだことにしている。それが可能だということは、決して軽々にいうのではないが、すべての仏典もまた千差万別に見えて同工異曲の性質を有しているのだろう。


インド哲学者で仏教学者であった中村元氏(1912~99)は、30年近くかけて仕上げた佛教語大辞典の編纂、仏典のなかでも最古に属する「スッタニパータ」(ブッタ最後の言葉・岩波文庫)などの翻訳でよく知られている(「スッタニパータ」のなかの「犀の角のようにただ独り歩め」はよく引用される)。サンスクリット語、パーリ語、初期の仏典に通じた中村氏は間違いなく大学者であったが、NHKの「こころの時代」(91年)にシリーズ出演していた温厚篤実な語り口は深い親しみやすさを感じさせるものだった。その中村氏の著作の一つに「東洋のこころ」(講談社文庫)がある。


東洋のこころといわれても雑多で掴みどころのない感じのタイトルだが、読み終えてみるとこのタイトルが適切だなと思わせる広範な内容なのだ。仏教や仏典を軸に古代インドから始まり、釈尊が古代インドで何と向き合ったか、何を説いたかを明らかにしていく。釈尊が説いた理法、慈悲へと言及し、それが広く深く展開されて、やがて日本の聖徳太子の仏教受容と活用などにも及んでいく。そこでは、仏教を厚く信仰した聖徳太子と古代インドのアショーカ王を対比しながら政治と仏教がどのような関係性にあったかを叙述していく。たとえば、聖徳太子が国家運営のために官吏に向けて打ち出した十七条憲法の「和を以て貴しと為す・・」について、この文言自体は「論語」からの借用ではあるが、仏教の「和敬」や「和合」から影響を深く受けていた太子が、それを表すための適切な言葉として論語を用いた部分もあるのではないかと仏教の影響を語っていく(なお、「論語」では「和を以て貴しと為す」の前に「主語」がつき、「礼之用 和為貴」(礼の用は、和を以て貴しと為す)となる)。


「東洋のこころ」と題する本書の原著は1985年に出されており、中村氏の晩年の執筆となるが、その自由闊達な展開は著者の境涯を見事に反映しているように感ずる。膨大な仏典を研究しその著訳書を残した中村氏ではあるが、他方で仏典の限界と、人間には知りえないこと、分かりえないこと、言葉では語りえないことがあるのを、釈尊の思想を引きつつ述べている。「こころの時代」などでも平易に語られているが、何かのドグマ(教義)を絶対とするような生き方は原始仏教の本質からは逸脱しており、社会的意義や歴史的意義を失ったドグマは捨てられていくべきものだとする。他方、あらゆる仏典は結局のところ釈尊の影をどこかに留めおいているものだともいう。


中村氏の一生は、言語で表現される知の体系の限界を知りつつも、それへと全身全霊で向かっていく。膨大な仏典にあたり続けての「足し算」もするが、不要だと思えば「引き算」を躊躇なくしてしまう。先に中村氏の業績として佛教大辞典を30年近くかけて仕上げたと書いたが、実際は20年近くかけて一度完成間近となったが、出版社の不手際で原稿が紛失している。それを聞いたときに中村氏は怒りを示さずに、翌日から再度編纂を始めて、そこから8年かけて完成させている。中村氏の境涯を象徴するような逸話だと思うが、言語で表される仏典の価値を信じればこその再起であり、同時に、その仏典の限界を世に知らしめるための再起でもあったように思う。どちらかに偏り過ぎていたならばそこから8年の歩みは難しかったのでないだろうか。そうした意味では中村氏は身をもって「中道」を体現されていたようで、言語の限界を弁えつつも、それを超えた道(法)を篤実に信じていたのだと思うのだ。その境涯で書いたと思われる「東洋のこころ」は知識や教養としても学びの良き糧になってくれる。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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