温故知新~今も昔も変わりなく~【第90回】 佐々木毅『プラトンの呪縛~二十世紀の哲学と政治』(講談社,1998年)

「スーパーマン」の実写映画の一つに「マン・オヴ・スティール」(2013)という作品がある。スーパーマンになる前のクラーク・ケントが、自らが持つ超能力の隠匿と制御に葛藤する少年・青年時代を描く内容を含むものだ。特異であるがゆえに孤立しがちなクラーク少年はときにいじめにあう。ある時、彼の超人的な力を知らない学校の不良グループが、父親を待つ車のなかで静かに本を読んでいたクラークを車から引きずり出して突き倒す。その乱暴に反撃することなくじっと耐えていたクラークの手に一冊の本が握られており、表紙をよく見ると「PLATO」と記されていた。まだスーパーヒーローになる前のクラークにとって哲学者プラトンが大切な対話の相手であったことを仄めかす象徴的なシーンだ。この演出が誰によってなされたのか制作過程の詳細は知らないが、圧倒的な力を正義のために純粋に使っていくスーパーヒーローの予兆をプラトンの哲学とクロスさせて相乗効果を狙うやり方は巧だなと感じたものだ。


ただ、プラトン哲学の評価は批判から礼賛まで歴史のなかで相当の振れ幅があるのが事実だ。その流れを詳細に追いながら、プラトン哲学が現代に放つ価値や意義を問い直した本として、東大総長を務めた政治学者・佐々木毅氏の書き上げた『プラトンの呪縛』がある。初版が出たのが98年1月10日であり、私はその直後に購入して読み、これまでに何度も読み返してきた本である。そのせいもあって手元の一冊は随分と色がくすみ傷んでしまったが、いま読み返してみても学ぶところが多いことに変わりはない。


「本書はプラトンという西欧思想の定立者をめぐる激しい論戦とドラマを省みることを通して、二十世紀における哲学と政治の交錯に光を当てようとするものである。それは思想的に見て、二十世紀とはいかなる世紀であったかを浮彫りにする興味深い手掛かりになるからである」(『プラトンの呪縛』「はじめに」より)


私がプラトンの作品で最初に手を付けたのは『国家』(ポリティア)(岩波文庫)であり、10代後半の夏休みにじっくりと時間をかけて読んだ。読み終えてそのスケールや世界観に衝撃を受けたものの、これをどう受け止めて消化すればよいのか戸惑っているなかで『プラトンの呪縛』を書店で偶然見つけて買い求めた。本書は三部構成で、第一部「プラトンの政治的解釈」第二部「プラトン批判の砲列」第三部「プラトン論争の波紋」となっている。著者である佐々木毅氏の言いたいことは第三部の後半で一気にヒートアップしてくるが、結論を知りたいからといってそこをいきなり読むようなことはせずに、本書は最初から丁寧にアプローチする読み方が良いと思う。なお、第一部の前に序章があるのだが、それはやや刺激的なタイトル「プラトンはファシストだった!?」と銘が打たれ、プラトンがナチズムの礼賛の手段として使われた歴史から入る。


そこではヨハキム・バネスなる人物が1933年に出した「ヒトラーの闘争とプラトンの国家―国家社会主義の自由のための運動のイデオロギー的構造についての一研究」という小冊子が取り上げられる。この著者はヒトラーの『我が闘争』に含まれる理念とプラトンのそれを比較し得るものだとの前提でプラトンの哲学を解釈していく。まず、プラトンが師であるソクラテスから国家の統治に携わる少数エリート集団を育成する任務を引き継いだものとし、そのために純粋に学問を志向するよりは、指導者の選抜に重きを置いて知己訓練を施すことになったとする。そして、それまでアテナイに浸透していた社会的ドグマの解体を志向し、新しい世界観を生み出したとする。また、これらに並行してコスモス(秩序ある実在の世界)に対する愛、エロスなどは新たな倫理を実際につくり上げていくダイナミックな原理との解釈もしている。その上で、バネスは1933年周辺の国家社会主義運動を取り上げて、そこで現れている「新しい世界観」や「少数エリート」といった論点にフォーカスし、プラトンはこれらに支持を与え得るものだと言いたげな論調で小冊子を構成したと本書はいう。


私が『プラトンの呪縛』を21歳で初めて読んだとき、それまで『国家』を十分に理解はできていなくとも、そこに高尚さを感じていた。ゆえに、ヒトラーとプラトンを並列に取り上げてこじつけるといった知的作業には正直なところショックを覚えた。なお、本書ではバネスのこの小冊子を要約したあとで、次のように本文が続く。


「・・何ゆえにそれとプラトンの議論とを並べてその世界観やイデオロギーを比較する必然性と必要性があったのであろうか。プラトンを血なまぐさいヒトラーと比較し、その親近性が沢山あるかのように説くこうした議論自体、牽強付会の最たるものであって、プラトンあるいはプラトン研究者にしてみれば、静穏な世界に土足で上がられたような、迷惑至極な話ということになりはしないであろうか。しかし、バネスのこの小論を孤立した、偶然的な出来事であると片付けるわけにはいかないようである。そのよって来たる所以をプラトン像に即して尋ねてみることは、哲学と政治の絡み合いを見ていくうえで、一つの手がかりになろう。実際、今世紀前半におけるプラトンをめぐる数多くの論争はこれがハプニングでないことを示唆しているからである・・」(同書・序章)


本章を読み進めていくと、様々な立ち位置からプラトンへのアプローチ・活用・利用と評価が歴史のなかに存在してきたのを知らされる。たとえば、ニーチェを徹底的に批判したのでも知られるベルリン大学教授ヴィラモーヴィッツなどは、哲学者プラトンとして祭り上げられる存在から、行動しては悩み、間違いを犯す人間プラトンとしての側面に強くアプローチした。ゲオルゲ派(ゲオルゲ・クライス)などのプラトン論は、プラトンを普通の学者などとは異なる「精神の国の王」であり、「カオスからの指導者」「規範理念の担い手」として強く位置づけた。また、ときにナチズムだけでなく、共産主義との関係においてもプラトンがどのように活用されてきたのかなどの詳細にも言及されている。


そうした中でも著者がもっとも力を入れて展開しているのは、第二部後半のカール・ポパーのプラトン批判を取り上げているところだ。反証可能性や科学的手法に重きを置いたポパーは『開かれた社会とその論敵』(1945)の作品で有名であり、そこでは人間らしさと合理性、平等と自由への志向といったものを「われわれの文明」と位置づけ、それへと解放されてゆくのが「開かれた社会」とし、それと対する呪術的な力への服従を伴う部族的ないし「閉じた社会」といった構図で物事を捉える。この作品の中では、プラトン、ヘーゲル、マルクスが同列に取り上げられ、「われわれの文明」の視座から強く批判されていく。本書ではポパーの批判論旨の要約を丁寧にフォローしながら、ポパーの立ち位置の欠陥について鋭く切り込んでいく。たとえば、プラトン哲学の肝ともなってくる「善のイデア」に対するポパーの解釈とそこから敷衍については次のように言及している。


「・・・ところが、ポパーによれば、善のイデアは極めて形式的な役割しか果たしておらず、何が具体的に善であるかといったことについては全く情報を与えてくれない。そこからポパーは、善とは事物の変化しない状態、静止状態を指すという唐突で強引な結論を導き出す。・・・」(同書第二部より)


本書を読んで改めて思うのは、生きている時代や環境、自らの立ち位置や信念(自覚していないものも含む)によって、古典哲学がどれだけ自由に都合よく使われ得るものなのかであり、そこからの脱却はとても難しいということだ。特にプラトンのような体系的にみえて、論理の力だけではとても追いきれない書物となると、理屈はその気になればどちらにもくっ付けることができる。過去よりも現代の方が優れているといった意識・無意識のとらわれや驕りもまた、プラトンを解釈するときにハードルにもなっているようにも思う。なお、本書での佐々木氏はプラトンに対しての評価は、「警告者としてのプラトン」といった結論を導き出している。その論旨詳細については熟読する価値は大いにある。


ところで冒頭の映画「マン・オヴ・スティール」に話は戻る。少年時代にプラトン哲学に影響を受けたスーパーマンは、米軍に協力して宇宙からの「悪」を倒すまでに成長した。ただ、平和が戻った地球でクラーク・ケントは米軍から危険視されて監視される対象になる。エンディングの一コマで、クラークは追尾してくる高額な無人偵察機を誰も傷つけずに破壊して地上に降り立つと、その後を車で追ってきた米陸軍中将と向き合う。クラークは「僕の居場所を知ろうとしても無駄だ」と通告する。中将は「証拠はあるのか?お前が我々に敵対しないという」と尋ねると、クラークは「僕はカンザス育ち、生粋のアメリカ人だ。君たちの味方だがやり方は任せてくれ。政府に説明を」という。「俺が連中を説得できると思うか」と中将があきれながらいうと、クラークは「さあね。信じるしかない」といって一気に飛び立っていく。あきらめのため息をつきながら中将が振り返ると、そこに運転担当の女性大尉が笑顔を浮かべて、去りゆくクラークのことを「セクシーだな」と呟くと、中将は苦笑いで「早く車に乗れ、大尉」といってシーンが終わるのだ。それぞれ背負うものは違う者たちの、なんとなく調和を見出しての結びともいえるが、古典哲学を読むときに深いところで求められる一つには調和に向かう態度であったりもするのだ。違和感からの批判、持論の補強手段としての借用より、素直に調和しつつの助言を探すのもまたプラトンに対するアプローチの仕方である。その意味では個人的にはプラトンのことを「助言者としてのプラトン」と位置づけて大切にしている。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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