「孫子」第4回 第1章 兵法書「孫子」について(2)
第2節 その時代の特性 ①
「孫子」は現代まで読み継がれており、命脈を十分に保っているが、その内容をそのまま現代に適用するわけにはいかない。適用するならば、「孫子」が生じた時代背景や特性といったものを理解した上で、現代に応用するといった態度が求められる。『竹簡孫子』以前の「孫子」が生じた時代の特性について触れておきたい。
第一の特性としてこの時代(春秋時代後半)は群雄割拠、弱肉強食といった特性を持ち、支配王朝は周であり、周王は洛陽付近の限られた範囲は支配こそするが、中国の広きにわたっては実権を失い名目上の存在になり始めていた。諸侯たちは周王から封じられた形ではあるが、日本の戦国大名のように実態はそれぞれが独立国としての国家経営を迫られていた。そのために近隣の弱小国家を併呑し国土の拡大や、同盟締結による集団防衛力の強化などに勤しみ、自国の生存と繁栄を確保しようとするのが普通であった。こうした特性のため、周王朝が開かれた時には1800余りを数えた国も、孫武が活躍した頃には140余りになり、その末裔である孫臏の時代には10を数える程度になった。
ただ、強大な力を持つ有力国家なども、孫武の時代にはまだ周王朝を積極的に転覆させて自らが天下の支配権を狙うといった志向は少なく、基本的には自国の生存と繁栄を求める範疇での行動であった。したがって、戦争は、大規模征服や天下統一のためよりも、自国の安全保障の延長で行われるのが軸であった。容易に併呑できる弱小国は別として、一定以上の意志と能力を持った国家は競争相手ではあるが、征服・絶滅させる対象にはならず、自国の生存と繁栄が阻害されないように抑止することに重きが置かれていた。こうした特性を踏まえた上で、「孫子」の戦略思想の基本的なスタンスは「対多敵配慮」と「自己保全」にあったといえる。
要するに、群雄割拠、弱肉強食の環境において、自国が弱体化すればたちまちに近隣諸国に併呑される可能性があり、昨日の友は今日の敵とばかりに、同盟関係もそれほど頼りにならない状況下において、常に多数を意識しながら自らの保全に配慮することが求められた。そのために一つの戦争で自らの戦力を全て投入して戦うといったことは難しく、徹底的な勝利の追求をするよりも、潜在的に敵になり得る多数の国に対しての備えと戦力を常に保つことを要した。「孫子」はこうした考え方を基本としている。
「善く守る者は、九地の下に蔵(かく)れ、九天の上に動く。故に、能く自ら保ちて勝ちを全うするなり」(形篇)
(訳:よく防衛するものは、守れば大地の下にひそむように堅実に守り、攻めれば天空を駆けるように果敢奔放に攻める。故に自分の安全を保って、完全な勝利を収めるのである)
この一文は戦争が「防衛」を軸として発動され、その主たる目的が「保全」にあることを表している。その上で、武力戦に過度に期待することを戒め、可能な限り戦わずして勝つ「不戦屈敵」を説く。
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」(謀攻篇)
(訳:百回戦闘して百回とも勝っても、それは最良ではない。戦闘しないで敵を屈服させるのが最良のやり方である)
また、戦いに訴えるとしてもそれが「短期戦」を目指すべきだとしている。
「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧の久しきを覩(み)ざるなり」(作戦篇)
(訳:戦争は拙でも速くやるのがよいのであって、巧妙でも長びいてはよくない)
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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