「孫子」第6回 第1章 兵法書「孫子」について(4)
第2節 その時代の特性 ③
「孫子」の時代の第3の特性は、当時の中国はそのほとんどが農耕経済によって構成されていたことである。この経済構造にあっては土地に対して人々が労働力を投入し、そこから生存していくために必要な資源・エネルギーを得ることになる。広大な土地があるだけでは価値はなく、そこに一定の技術による農耕作業が施されて生産物を得ることになり、国家には土地、農民、技術とこれらを組織的に管理する力が求められた。なお、技術の進歩が大きくは期待できなかった当時、国力を高めるためには土地を多く獲得することが国力拡大の基盤となり、その争奪を巡っての紛争が戦争へと発展することになった。
このときに戦力となるのが徴兵された人々(その大半は農民)であったが、戦争でその戦力である兵士を多く失うことは、農耕のための労働力を失うことを意味した。したがって、君主はこのことを十分に配慮して戦争遂行をしなければならないとし、「孫子」は兵法書として勝利追求の方法を述べる一方で「不戦」「不殺」の思想を大切にもしている。ただし、これは「墨子」が説く兼愛思想、現代でいう博愛主義などに基づくものではなく、国力としての軍事力と経済発展に必要な労働力とのバランスに配慮するところから来ている。
第4の特性としては、この時代の人々の平均的な教育程度や人権意識などは現代とは比べものにならないくらい低かったことだ。農民から徴用された兵士たちの練度は低く、愛国心や忠誠心に溢れていたとはいえなかった。こうした兵士たちを率いて戦いに勝利するのを可能とする組織化とマネジメントとを効率的に行うために、兵士たちの心理を利用し、峻厳な軍律の運用といったものに重心を置くことになった。これらの特性は現代のように教育水準が上がり、国家などへの帰属意識が強くなった部分とは相違するが、そのことを踏まえた上で「孫子」を参考にしていくことが求められる。
第5の特性として、科学技術などの発達が未熟な時代であったことが挙げられる。当時の武器は弓矢や戟などがメインであり、弓矢の射程は数十メートル、戟は接近格闘用の武器であるが、小銃、火砲、戦車、航空機、ミサイルなどが用いられる現代戦とは、その戦争様相は異なる。輸送手段は、馬車、牛車、舟であり、指揮通信、コミュニケーションの手段は、伝令、掛け声、旗、鐘、太鼓、狼煙程度に限られていた。
政策は戦略を、戦略は戦術を、戦術は技術へとそれぞれ枠をはめることになるが、逆に技術の可能範囲で戦術が成立し、戦術のそれで戦略は成立し、戦略のそれで政策は成立するということもいえる。これらの関係があまりに乖離すればただの空理空論になる。「孫子」は科学技術が未熟な中から現実主義に基づいて編み出された兵法書といった側面があり、そこにある種の限界があるのは事実だ。その上で、原始的な武器や運用といった部分にこだわりすぎることなく、高度に抽象化された知的産物として学ぶ態度が求められる。
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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