「孫子」第7回 第1章 兵法書「孫子」について(5)

第3節 その思想的背景 ①


「孫子」を著した孫武は孔子と同時代の人であるが、儒教の影響はあまり見られないといえる。他方で「管子」などの影響が認められる。なお、「管子」という書物は、孫武よりも後の時代につくられたものだが、「管子」の管仲は孫武よりも130年ほど前の人物である。斉の君主であった桓公を支え、斉の国を列国のなかでも強国に押し上げるのに貢献した宰相である。春秋時代初期において十分に名を知られており、孫武の生国の先輩にあたることから、その事蹟に大いに学んだ可能性は高い。なお、「孫子」には「老子」の「陰陽五行説」の影響が認められるともいえるが、それは主要な部分ではなく、本論を説明する上での比喩的な導入であって、いわば枝葉の部分に限ることであり、これは孫武が書いたというよりも、戦国時代以降に加筆されたものであろう。孫武が呉で活躍したのは10年間程度と思われ、楚に対しての進攻作戦を実施して以降、引退・隠棲をしたのか、その名が歴史には出てこなくなる。「呉子」の呉起などに比較すると、名誉、権勢、金銭などには無欲な人間だったようだ。本人のそうした哲学を示すかのような文が「孫子」にはある。


「善き者の戦いは、奇勝無く、智名無く、勇功無し」(形篇)
(訳:すぐれた人の戦いには、奇勝もなく、智謀による名声もなく、武勇にすぐれた功名もない)


「進むに名を求めず、退くに罪を避けず、唯だ民を是れ保ち、而して主に利するは、国の宝なり」(地形篇)
(訳:徒に功名を求めず進むべき時に進み、罪にふれること恐れずに退くべき時に退き、ひたすら国民の安全に気を配り、国家の利益を考える将軍は、国の宝である)


これらの文は、深いところに救国済民の思いを帯びていた孫武の本音といえる。他方で、


「必ず全き以て天下に争う。故に、兵疲れずして而も利は全かるべし」(謀攻篇)
(訳:必ず敵を無傷で降伏させるという方法で天下の勝利を争うのだから、わが軍隊は疲労せず、しかも完全な勝利が得られるのである)


「勝ちを見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善なる者に非ざるなり。戦い勝ちて天下善しと曰うは、善なる者に非ざるなり」(形篇)
(訳:勝利を読みとるのに、衆人にもわかる程はっきりしているのを読みとるのでは、すぐれた者ではない。戦争に勝っても、天下の人々が立派だと褒めるような勝ち方は、すぐれた者ではない)


これらの文は、孫武が完全勝利を追求する理想を強く持っていたことを窺わせる。「孫子」は救国済民の使命感、完全勝利追求の情熱や気風、他方で隠遁を好むような孫武の個性からつくられており、これらの入り組みを整理すると、目的主義、理想主義、現実主義、創造主義といったそれぞれ異質な4本の柱によって支えられている。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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