「孫子」第13回 第3章 「戦力論」(1)

第1節 概 説


「孫子」を戦力論といった視座から読み解くと、静的戦力と動的戦力の2つに区分して論じることができる。さらに、動的戦力は一般的動的戦力と相対的動的戦力に区分が可能だ。暴力性を帯びる戦争なる現象において、確立された政治目的をどのように達成していくか、その方法として戦略・戦術の問題が出てくるが、それらを具体的に可能にする基盤が戦力である。


戦力を静的戦力、一般的動的戦力、相対的動的戦力の3段階に分けて考えることは、戦争なる現象、戦略・戦術、それに基盤を提供する戦力といった3つが持つ性質と関係を知る上でも重要である。この分析的なアプローチは、軍事組織に限らず目的の定立、組織の規範、マネジメントの実行などを要するあらゆる組織にとって一定の示唆を含むと思われる。



第2節 静的戦力


静的戦力とは文字通り静止している状態の戦力を指す。先にも触れたように「孫子」が理想と考えたのは「不戦屈敵」である。戦力を動員して用いることなく敵を屈服させ、我の政治目的を達成することを目指すが、いかにそれが可能であるかについて「孫子」は次の一文によって象る。


「彼の王覇の兵、大国に伐たば、則ち其の衆聚(あつ)まることを得ず。威、敵に加われば、則ち其の交り合することを得ず。是の故に、天下の交を争わず、天下の権を養わず、己れの私を信べて、威は敵に加わる。故に、国は抜くべきなり。城は隋(おと)すべきなり」(九地篇)
(訳:かの王覇の軍隊が、云う事を聞かない横暴な大国を討伐しようとすると、恐れのためにその大国の兵士達は逃散して集合できなくなる。その威力が敵国に加えられると、他の国々は敬遠するので、その国は同盟を結ぶことができずに孤立してしまう。そこで降服せざるを得なくなってしまうのである。だから王覇たるものは、天下の国々と同盟を結ぶことにあくせくしたり、天下の権力を集中しようと苦心することなく、ただ自分の信ずる所を行っていて、自ら威力が敵国に及んでゆくのである。だから無理しなくても敵国を降服させることもできるし、敵城を開城させることもできる)


この一文は、強力な力をバックとして持つことが「不戦屈敵」を可能にする基盤であり、そうした力が無くとも道義国家としての態度だけを頑なに守ること、権謀術数に通じる外交手段を駆使するだけでは、「不戦屈敵」は不可能で絵空事であることを示唆する。換言すれば、存在するだけの「静的戦力」によって、道義や外交が機能することを担保し、目的達成へ帰結するとの論理である。「静的戦力」が他国よりも優位にあれば、自国への妨害・侵略行為を抑止することが可能であり、抑止戦略の基盤として大きな役割を果たすものとなる。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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