「孫子」第15回 第3章 「戦力論」(3)

将の「智・信・仁・勇・厳」。まず、この智とは文字通り知力のことであり、そこには目的を見定める能力、課題を発見する能力、必要となる情報を整理して要求する能力、加えて、分析、考察、決断、マネジメントに資する能力などを含む。これらの能力に共通するのは、個別具体的な物事や現象に直面した後、限られた時間でそれらを適切に抽象化し、組織としての方向性を決めるといったことになる。これは高度な期待と要求であるが、将の備える資質としてはもっとも重要であるとして、この「智」を五徳のはじめに持ってきている。「孫子」に次のような文がある。


「将に五危あり。必死は殺さる可く、必生は虜にさる可く、忿(いかり)速きは侮らる可く、潔廉は辱しめらる可く、愛民は煩わさる可し。凡そ此の五者は、将の過ちにして、用兵の災なり。軍を覆えし、将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり」
(訳:将には五つの危険な性格がある。必死の気持ちが先走って駆け引きを心得ない者は殺され、生きることばかり考えて勇断の気に欠ける者は捕虜にされ、短気で怒りっぽい者は侮辱されてカッとなって冷静さを失い、あまり廉潔にすぎてコチコチの者は恥辱をうけると冷静さを失い、部下を偏愛する者は部下のことに思い煩わされて決断力を失う。この五つは、将の過失であり、用兵上の害になることである。軍隊を崩壊させ、将を戦死させるには、必ずこの五危の弱点を利用する。十分留意すべきである)


これらの陥穽にはまらないようにするための根源的な力が知力、「智」であり、これを涵養し具備することを孫武は説いたのである。なお、クラウゼヴィッツも戦場に身を置く軍事指揮官が備えておくべき知力の特徴について「クードゥイユ」(精神的眼力)という単語を挙げ次のように言及している。「普通の精神的眼力ではとうてい見ることはできない、あるいは長時間の考察と熟考の後にはじめて見ることのできるような真実の迅速・適切に把握する能力にほかならない」(『戦争論』)


「智」が将にとって最も大切な資質であるとしても、それだけで十分とはいえない。「智」だけに長けた人間は先走りが過ぎて独善的になり、「智」があっても人間関係が淡泊に過ぎれば薄情ともなる。「智」があることで緻密に過ぎる計画もつくれるが、それが部下との共有に失敗すれば計画倒れとなり、結局遂行できなくなる。そのために「孫子」では、上からも下からも信頼を受ける「信」(まこと)を持たねばならないとし、下からは敬服されるだけの「仁愛」、果敢に実行するための「勇気」「厳しさ」を備えなければならないとする。


「法」とは組織体制や法制度を整備し、それが適切に管理運用されるべく整えることであり、それによって平時より武器、装備、補給品などが準備されるとした。これら「道・天・地・将・法」をあわせて「五事」と呼ぶ。これら5つの要素をもとに構成・整備された静的戦力を、自国と他国で比較し考える際に、さらに別の考慮要因として7つの条件を挙げてインテリジェンスとして精度を上げることを提起している。なお、この7つの条件を「七計」と呼ぶ。


「主孰れか賢なるや」(君主はどちらが賢明であるか)、「将孰れか能あるや」(将はどちらがすぐれた能力を持っているか)、「天地孰れか得たるや」(天地の条件をどちらが巧みに使用しているか)、「法令孰れか行なわるるや」(法令はどちらがよく施行されているか)、「兵衆孰れか強きか」(兵器や国民はどちらが精強健全であるか」、「士卒孰れか練いたるや」(士卒はどちらが立派に訓練されているか)、「賞罰孰れか明らかなるや」(賞罰はどちらが厳正公明に行なわれているか)、これら「七計」の後に「吾れ此れを以て勝負を知る」(私は、この比較測定の結果により、戦うまでもなく、勝敗を判定することができる)の文が加わる。


静的戦力の優劣を比べて、自国が他国よりも優れていれば、相手は侵略を踏みとどまり、同時にこちらが政治目的に紐づく要求をしても、それが受け入れられることも考えられる。しかしながら、「五事」「七計」といった合理的な思考方式を、相手も同じく採用するとは限らず、仮に採用したところで双方の静的戦力を正確に掌握できる保証はない。武器などのハードについてミリタリーバランスのように数値化してそれを比較するものはまだ容易であるが、それぞれの意志や精神的な能力といったソフトな部分の比較は数値化できずに古来困難を伴う。また、相手が静的戦力の優劣を認識し、自分が劣位にあってもなお僥倖に期待して戦争に訴える可能性は常にある。自国が静的戦力を充実させてその優位を明らかにすることは、戦争抑止の一つの手段ではあるが、そこには常に限界があり人類の歴史は戦争に被われてきたのも事実なのだ。


***

(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

~ 誠実に対話を行い 真剣に戦略を考え 目的の達成へ繋ぐ ~ We are committed to … Frame the scheme by a "back and forth" dialogue Invite participants in the strategic timing Advance the objective for your further success

0コメント

  • 1000 / 1000