「孫子」第21回 第4章 「戦略論」(4)
第4節 拙速 ― 短期戦と単純化
「孫子」の作戦篇には次の一文がある。
「故に、兵は拙速なるを聞くも、未だ巧の久しきを覩(み)ざるなり」
(訳:だから、戦争には「拙速」がよろしいといわれているが、いまだかつて「巧久」がよろしかった例はない)
戦争は長期戦に持ち込まずに、短期戦で終わらせなければならないとする。この一文に至っては、既に「不戦」によって政治目的の達成は見込めず、「用戦」によってそれを目指す段階にある。「不戦屈敵」や「自保全勝」の段階では、外交、謀略、情報戦、戦略的防勢のための態勢強化といったことが含まれ、過度なくらいの慎重さと綿密さを重視していた。しかしながら、この「用戦」を決断して以降は「孫子」はその態度を変えて、「拙」と「速」を要求する。
戦争が長期戦に及んだ場合、その軍事費・戦費などは莫大となり国家経済に大きな負担を与え、有形無形の多くの資源資産を費やして国力もやがて疲弊する。そこに、今度は新たな敵が出現し弱体化した自国を狙って侵略や攻勢をかけてくる可能性もある。このような段階に直面すれば、自国には打つべき手もなす術も無くなり、降伏か滅亡のいずれかの選択を迫られる。これ故に戦争は短期決戦でなければならないとしている。
なお、この一文では「拙速」と「巧久」とが比べられ、「拙速」の方に軍配が上がるとしている。この組み合わせを少し敷衍して考えれば、「巧速」「拙速」「巧久」「拙久」の4つの類型が出揃うことになる。兵法に関しての場合、「速」と「久」とを比べれば、ふつうは「速」の方が良い。そして、「巧」と「拙」とを比べれば、「巧」の方が良いことになる。しかしながら、孫武は考えられる最善の「巧速」と最悪の「拙久」を除外しているようだ。その上で、「拙速」と「巧久」のみで論じて「拙速」を良いとしているが、これは戦争が持つ性質によるところであろう。
戦争とは敵と味方に分かれて、その意志と能力をぶつけ合う相互作用によって状況が次々と転変していく異常な状態である。このなかでは、事前にどれほど周到で緻密な作戦計画を立てたところで、それに則って敵と味方が予定通りに戦闘を重ねていくといった事態にはまずならない。したがって、武力戦が生起してしまっているなかでは、計画準備に久しく時間をかけるよりも、拙くても時節を失わないうちに行動をとるほうが良いとの戒めを含めたものであろう。なお、付け加えるならば、「自保全勝」、不敗の態勢を構築している段階においては、冷静さを保ち知力の限りを尽くして情報収集・分析・計画準備に勤しむことを推奨する「孫子」も、実戦下においては、冷静な知性ばかりではなく、本能的な生存欲求を逆用する必要を説く部分がある。それが次の一文に象徴される。
「之れを亡地に投じ、然り而して後に存し、之れを死地に陥れて、然り而して後に生く」(九地篇)
(訳:部下を滅亡の危険のある条件下に投入してこそ始めて滅亡を免れ、部下を必死の条件下に陥れてこそ始めて生きのびる)
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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