「孫子」第26回 第5章 「戦術論」(5)

先に、味方の指揮官が常に敵部隊の士気、気勢、指揮官の心理などを掌握するべく努め、その上で戦術上の戦闘に臨むことに言及した。それらは主導権を確保するための「治気」「治心」といった表現でまとめるとすれば、次の一文は部隊が組織として具体的な力を発揮するための配慮、変化への柔軟な対応など「治力」「治変」といったものになる。


「近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ、力を治むる者なり。正々の旗を要(さえぎ)ること無く、堂々の陣を撃つこと無し。此れ、変を治むる者なり」(軍争篇)
(訳:戦場の近くに居て遠くからやって来る敵を待ちうけ、安楽にしていて疲労した敵に対し、飽食していて飢えた敵に対する。これが戦力の優劣によって主導権をとる方法である。よく整った旗の下にある敵軍を要撃してはならず、堂々たる構えの敵陣を攻撃してはならない。これが、変化を利用して主導権をとる方法である)


これまで主導権を確保するための「治気」「治心」「治力」「治変」の4つの考え方を述べてきたが、「孫子」はこれらをもとに更に戦術について具体的に展開していく。


「十なれば則ち之れを囲み、五なれば則ち之れを攻む」(謀攻篇)
(訳:味方の戦力が敵の戦力の10倍であれば、敵軍を包囲し、5倍なら攻撃する)


戦場において味方が10倍程の圧倒的な戦力を持つならば、そのまま包囲して敵を撃破するべく指向する。敵はまったく勝ち目がないと思えば、戦闘を行なわずに抵抗をあきらめて降伏する可能性がある。獅子は兎を捕食するのにも全力を尽くすといわれるが、敵を圧倒できる戦力で戦いに臨めるならば、主導権を握る上でもそれが最善である。ただ、それでも戦闘を挑んでくるならば、包囲網を保ったまま攻勢をかけて敵を撃破することになる。


敵に対して5倍程度の戦力を味方が集中機動しても、敵はその抵抗意志を保ち続けるかもしれない。この場合は戦術上の小細工はあまりせずに、正攻法で攻勢に出れば良く、味方が優勢に攻勢を続ければ次第に敵を追い込み屈服させることが可能である。これらはいずれも戦場における戦力差が味方優位に大きく傾いている状況であり憂慮があまりないといえる。ただ、問題なのは敵と味方の戦力差があまり異ならないときであり、孫武はそうした場合の考え方について次のようにいう。


「兵を運(めぐ)らして謀を計り、賊(はか)る可からざるを為す」(九地篇)
(訳:部隊の運用を巧妙にし、深い策謀をめぐらせ、敵の予測できないような方策をとる)


「其の戦い勝つも復(くりか)えさずして、形に無窮に応ず」(実虚篇)
(訳:ある戦いに勝っても、そのやり方は二度とは使わず、その場その場の状況に応じた新しい方法を創造して対応するのである)


「其の備え無きを攻め、其の不意に出ず」(計篇)
(訳:敵の防備していない所を攻め、敵の思いもよらない所に出てゆくのである)


これらは1つの戦術に必勝手段などと称して拘泥せず、柔軟に変化させることを常とし、敵側の予測を困難にさせ、心理的な動揺を誘導して主導権を奪い続けることを述べている。

また、味方にとって有利な反応を敵から誘導するための手段として、敵に対して認識や認知の操作を仕掛けることを説きその心得については次のようにいう。


「故に、善く敵を動かす者は、之れに形すれば、敵必ず之れに従い、之れに予(あた)うれば、敵必ず之れを取る。此れを以て之れを動かし、卒を以て之れを待つ」(勢篇)
(訳:だから、巧みに敵を操るには、敵に分かるような態勢をとって見せれば、敵は必ずそれに応じた行動をとるし、敵に餌を与えると敵は必ずこれを取ろうとする。このようにして敵を誘い出し、部隊を配置しておいてこれに当たるのである)


「能く敵人をして自ら至ら使むる者は、之れを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざら使むる者は、之れを害すればなり」(実虚篇)
(訳:敵に自分から、こちらの都合のよい所へ来るようにさせるのは、利を示して誘うからである。敵に来させないのは、害を示して拘束するからである)


戦術上の地形の特性などについても、これを巧みに活用して主導権を保持するために次のようにいう。


「凡そ地に、天井・天牢・天羅・天陥・天隙有らば、必ず亟(すみや)かに之れを去りて、近づくこと勿かれ。吾れは之れを遠ざかり、敵には之れに近づかしめよ。吾れは之れを迎え、敵には之れを背にせしめよ」(行軍篇)
(訳:そもそも土地に、水をたたえた深い谷間、自然の牢獄のような狭間、草木の繁茂した低湿地、足のぬかるむ湿地帯、断続地など、障害地帯があれば、必ず速かに立ち去って近づいてはならない。自分は、このような障害地帯を遠ざかり、あるいは前面にして行動の自由を確保し、敵には、これに近づかせ、あるいはこれを後方にさせて行動の自由が拘束されるようにせよ)


また、戦術上の重要ポイントとして、味方の部隊が十分な態勢による主体性の保持を挙げており、それを次のようにいう。


「寡とは、人に備うる者なり。衆とは、人をして己れに備え使むる者なり」(実虚篇)
(訳:少数になるというのは、防備の立場にあって、あちらこちらに兵力を分散しなければならないからである。多数になるというのは、主体性をもつ立場を堅持し、相手に備えさせるからである)


この一文などは敵が攻勢をかけてくるだろう地点や目標に、味方部隊を隈なく配置して防備を完了したように思えても、実のところそれは薄く広く味方部隊を分散させているだけで、主体性を大きく失う状態だと戒めている。


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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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