温故知新~今も昔も変わりなく~【第91回】 加地伸行『中国学の散歩道~独り読む中国学入門~』(研文選書,2015年)

高校時代に手元にあった『論語』は、金谷治先生が訳注した岩波文庫版だった。今、卓上に常時あって開くのは加地伸行先生が訳注した講談社学術文庫版の方だ。どちらも大切に読ませてもらってきた。ただ、ここ10年くらいは、加地先生訳注の『論語』を読むことが多いと思う。漢文学者の加地先生には随分とお世話になっている。とはいっても実のところその謦咳に接したことはなく、全て本を通してのことだ。若い頃に出版された『漢文法基礎』(講談社学術文庫)は今も机上にあり、研究論考を集めた『加地伸行著作集』全3巻は本棚にきちんと収まっている。私のような独学を基本とする者にも大変にありがたい存在なのだ。


加地先生が研究者としての引退を宣言した後、「確信犯」的に「毒気」と「諧謔」を込めて出版された一冊があり、これを時折読み返している。本のタイトルは『中国学の散歩道~独り読む中国学入門~』(研文出版)である。「大道」「正道」ではなく「散歩道」を付けた理由としては、中国研究という大道、正道といった道ではなく、そこから少しばかり転じた道を歩いているような原稿を集めたものだからと、まず「はじめに」の末尾で断っている。これが一応のエクスキューズなのだろうか、「はじめに」の書き出しから面白い。


「私は、人に嫌われている。なぜ嫌われるのかと言えば、本当のことをはっきりと言うからである。本当のこととは、いいものはいい、だめなものはだめ、ということに尽きる。それを私ははっきりと言うものだから、大体において人は私を避ける。怖いからであろう。と言うわけで、私には研究者の友人は意外と少ない。いやそれだけではない。世人に向けた文章を書ける人とのつきあいも少ない。・・」


ちなみに加地先生の「号」は「孤剣楼」、のっけから斬り込みをかけてくるようだ。ただ、融通がきかない道学先生のようなことをいいながらも、生活者であるから無償の研究論考ばかりを書いてはおられず、多少の「売文」もしてきたことを告白もする。そして、本書は売文原稿をもとに編纂したものだというのだ。この調子で舌鋒は続く。


「このところ(いや、かなり昔からそうであるが)、例えば『論語』に関する本がぞろぞろ刊行されている。しかし、著者には中国哲学史研究者以外の人が多く、『論語』という文献を扱うときに必要な基礎的手続きが分かっていない。要は、そこらへんに転がっている『論語』本をネタに、素人談義、素人解釈をあれこれと付け足しているにすぎない。にもかかわらず、かれら著者は、<私の愛読書、論語>とか、<論語、いのち>とかいった調子で熱っぽく、しかも下手な文章であれこれ書きなぐっている。おそらく、かれら著者は、わが愛読書『論語』という高揚した気分となっているのだろう。この種の書は、超主観的であり、立ち読み専門の私は、その著者に対して思わず一言、「偉い人やなあ」と」


なかなか手厳しい。ただし、孤剣楼は専門知識のない論語読みの全てを否定しているわけでなく、別の著書において、ときに専門研究者が実証的解釈に熱中して形式的意味を知ったところで、そこからの意図や価値を引き出せずにいると批判もする。それと、同時に素人が『論語』を座右の書とし、自分の人生において大切に活かしていく読み方があり、そうした活学する好事家(素人)の中には抜群の名訳をする者もいて無視はできないといったことも書いているのだ。なるほど、たしかに孤剣楼は「本当のことをはっきりいう」けど、もしかしたらとても「照れ屋」でもあるように思えてくる。


さて、本書は全9章で各章の見出しは「中国学の通り道」「中国学—老いの細道」「中国学の寄り道」「中国学の曲り道」「中国学の畦道」「中国学の離れ道」「中国学—易への近道」「中国学の横道」「中国学の野道」といった具合だ。軽妙なエッセイ、真面目な論考、講演録などいろいろな形態のものが収録されており、内容も『論語』だけでなく、『韓非子』『老子』『孫子』などの哲学・兵法はもとより、『史記』、諸葛孔明、王陽明、詩作、など様々なのだ。どれも読んでいて面白いのだが、そのなかでも孤剣楼が白川静氏や『字通』について真摯に語るところがとても印象的だった。


その節の見出しは「白川静著『字通』—壮大な漢文の世界」とある。ここでは、若い人が辞書を引いてそれを根拠とするようなことがあるが、辞書は手っ取り早く物を知る入り口に過ぎないとする。そして、辞書はそれが編纂されていく過程で多くの人によって文章が書かれており、なかにはアルバイト学生が書いたものも含まれる代物だという。そうしたものがあふれるが、白川氏の『字通』(漢和辞典)は多数の手による原稿の寄せ集めではなく、準備段階で弟子が関係していたとしても、最終的には白川氏自身が書いたものである。白川静著といえる『字通』は一貫した体系性を持つものだという。


孤剣楼は本節の『字通』を礼賛する流れのなかでまず次のように語る。

「・・・とにかくどんなものかをまず知るには、漢漢辞典よりも漢和辞典のほうがてっとり早い。・・・これは結局、日本人による翻訳がどうであったかということである。われわれの父祖は、とにもかくにも中国文献をよく読んできた。いや、中国文献を外国文献の大半として読んできたと言うべきであろう。その遺産の最大のものが訓であり、その訓を駆使しての訓読技術である。仮に日本文化独自のすぐれたものを挙げるとすれば、訓と訓読技術とは五指の内の一指を屈するに足ると私は思っている。・・・われわれは日本人である。現代中国語による音読は、所詮、物まねにすぎない。・・どんなに感情移入をして読んでも、頭で音を捉えているだけであって、心で音を感じとれる境地に達することができない。・・・われわれには訓読がある。古文の微妙な雰囲気を、日本語のテニヲハや訓によって、食い下ってゆくことが可能である。その訓は、漢字の持つ語感を摑み出したものである。われわれの父祖の中の天才的な語学感覚の持主が充てた翻訳である」


そして、『字通』という存在はその音から訓への流れを辿ることを可能にしてくれるものだという。たとえば「杜」(ト)という音の字が、どのような字源を経て「杜」(フサグ、トヅ)といった古訓になるのか『字通』はその経緯を明らかにする。これによってたとえば「杜門」を「門を杜(とざ)す」と訓読する根拠なども得られてくるのだ。普段、あまり深く考えずに使っている熟語などを、字源・訓を踏まえて理解させるというのは、体系的、システマチックに分からせてくれることになる。孤剣楼は訓読の復権を目的とした『字通』を持ち上げ、それを成し遂げた白川静氏を高く評価し、ある賞が白川氏に贈呈されたことに触れている。ただ、孤剣楼はこうも付け加える。

「・・それ自身は慶賀すべきことであるが、私個人の気持から言えば、遅いと思う。もっと早く贈呈すべきであった。要するに世人には眼識がなかったということである」


『中国学の散歩道』には、孤剣楼自身の研究態度やポリシーなどを書いている部分もあり、私個人としては深い印象を覚えた逸話があった。孤剣楼は若い頃から原典を必ず見るといったことを貫いたとする。クラッシックなものに挑む以上、引用や論拠には原典を調べることが必須といわれながらも、これを徹頭徹尾やりきることはかなり大変なことである。思わず唸ったのは、その姿勢を貫いてきたことで、昔日のとある古典研究者の「考証」について虚言ではないが、不誠実さの表れと思しきものを見つけて、容赦なく実名を挙げているところだ。


また、本書には孤剣楼が中国哲学などを専攻する学生の前で講演した記録が収録されている。それは叱咤激励、指南、助言、付託を含む内容なのだが、そのなかで学問への姿勢を学生たちに質すシーンがある。

「・・今の状況のなかでは、大変苦しいと思います。ただ、私はそういう場合に、若い人に突きつける言葉があります。「次のうち二つから選びなさい。あなたは研究者になりたいのですか? 大学の教員になりたいのですか?」この質問です。研究者になりたいのか、大学の教員になりたいのか、これを突きつけた場合にどちらを選ぶかということです。本当に研究者になりたいというのなら、働く場所は辛いけれども、色々なところで頑張ればいいのです。いい仕事をしていれば、必ず誰かが見ています。私は確信を持っております。そういう気持ちをもってするべきではないかと思っております。大学の教員になりたいという人、そういう人はおそらく挫折していくと思います。・・」(同書第9章)


これを聴いた学生たちが心の中でどのような態度表明をしたかはわからない。ところで、冒頭で私個人は、金谷治氏訳注『論語』、加地伸行氏訳注『論語』の両方を大切にしてきたこと、近年は加地氏の方を読むのが多いことを述べた。理由は実のところシンプルなのだ。


加地氏は、若い頃に中国古典の研究者であることを志し、その道に入ったからには何か一つでも古典を己の解釈に従って訳を行い後世に伝えたいと願った。それが叶って『論語』の全訳注を講談社学術文庫から出版された。ただ、その作業は原文との熾烈な格闘でもあり、結局十年を要している。


加地氏が『論語』全文を訳すなかで、原文のまま訓(よ)むほうが胸に響くとして、唯一現代語訳を拒否した一文がある。それは、里仁篇第4にある「子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。なお、金谷治氏の現代語訳には「先生がいわれた、「朝(正しい真実の)道が聞けたら、その晩に死んでもよろしいね」とある。


私個人は15歳の頃、この原文を聞いて深い衝撃と感動を覚えた。ある時、教室の静寂が割かれ、原文を訓(よ)み上げる声が朗々と響きわたり、魂が揺さぶられた刹那の記憶が今でも鮮明なのだ。この一文だけはやはり現代語訳と引き換えにしたくない。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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