温故知新~今も昔も変わりなく~【第108回】 金谷治 訳注『中庸』(岩波文庫,1998年)

「道学先生」という響きは今ではほとんど聞かなくなった。道徳や道理にこだわり過ぎて、世間を知ることが足りない、融通がきかない人を揶揄する表現だ。そうした人が少なくなったのか、あるいは、今は別の用語で表現されているのか、実のところよくわからない。ただ、「道学先生」という言葉自体は死語のように思える。


何事も、度が過ぎてはいけないし、不足でもいけない。「論語」の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(「過」多いも、「不及」少ないも同じことだ)は、それを端的に表す一文となる。ただ、時折、「不及」を良くはないと解釈し、「過ぎたる(多すぎる)は、及ばざる(良くない)がごとし」と、多すぎることを批判する意味合いで使われたりもするが、これは誤用にすぎない。要するに、この一文はバランスの良さ、中庸を失わずにいることが肝要といっている。


「四書五経」の「四書」のひとつに数えられる『中庸』は、人が生きていくなかで、何事も極端に行き過ぎることなく、中ほどを選んでいくのが良いという考えが基本となっている。

「朱子学」で有名な朱熹(1130~1200)が、元々は『礼記』の一部に過ぎなかった『中庸』を礼賛し、そのことによって地位と価値が高められ後世で大いに読まれるようになった。


『中庸』は、孔子の孫の子思によって編まれたものとされ、長い歴史のなかで事実として尊重されてきた。実際のところは複数の人の手が入っているとみるのが妥当といえる。このことが構成に影響を与え、統一性を揺さぶり、全体的には秀逸な抽象表現と雑駁な具体表現を入り混じらせている。『中庸』は、その体裁を一言でいえば少しばかり不格好な書物ともいえるだろう。


もっとも、それは『中庸』の価値を下げることにはならない。むしろ、教育教材としての価値を高めるべく、時の流れのなかで複数の人の手によって編まれてきたのだと受け止めれば良いと個人的には考えている。『中庸』の本文、その第1章は次の一文ではじまる。


「天の命ずるをこれ性と謂う。性に率うをこれ道と謂う。道を脩(修)むるをこれ教と謂う」

(天が、その命令として(人間や万物のそれぞれに)わりつけて与えたものが、それぞれの本性である。その本性のあるがままに従っていく(とそこにできあがる)のが、(人として当然にふみ行なうべき)道である。その道を治めととのえ(てだれにも分かりやすくし)たのが、(聖人の)教えである)


この一文は引用されることが多く、『中庸』の根本をよく表しているものとされる。最高存在としての「天」が、人間としての本性の在り方を命じ、それに従うのが道であり、そこから外れさせないものが教えだとする。「天」と人間を構成する「性」「道」「教」の概念を提示し直結させて、人間が持つ性善性を担保するという道徳の枠組みを顕わにさせた。


この考え方は長らく儒学の基盤となったが、明治以降、日本が近代国家の体裁を整えるべく法体系の整備をはじめたときにも役に立っている。当時、西欧から新たに輸入されてきた「法学」と、その基盤として付随してきたのが「自然法思想」というものだった。これは法が人間の持つ自然的性質からの理性の命令であり、正義の要求にあるとの考え方だが、日本語の概念に移していくなかで、『中庸』の考えなどを引用して説明している事例がある。


「日本語に於て自然法と云ふ者・・余之を性法と訳す。性は即ち天命の自然の謂なり」

これは「日本近代法の父」と称され、「お雇い外国人」として20年以上も日本に滞在したフランス法学者のボアソナードの講義内容を日本語訳する際に付けられた注記からのものだ(「性法講義」井上操訳)。新たに外来したように見える思想や概念も、古くから土着になっているものを巧く用いて丁寧な理解に努めた証左のようだ。ちなみに、『中庸』を読んでいて、今日においては一見まったく無意味・無価値に思えるような雑駁なものもある。


「春秋にはその祖廟を脩め、その宗器を陳ね、その裳衣を設け、その時食・・(省略)」

「春と秋にはその祖先の霊廟をととのえて伝承の祭器をならべ、祖先の衣服を神位にひろげて季節の食物をおすすめする。宗家の霊廟の祭礼は、昭と穆との序列をはっきりさせ(て、世代の別を明確にす)るためであり、参列者の爵位に従って席順を定めるのは、身分の高下をはっきり区別するためであり、祭事の分掌を整理して秩序づけるのは、有能な人材をはっきり区別するためであり、祭礼の終りの旅酬の礼になると下位の者から順に上位の者のために酒をすすめるのは、身分の低い者にも祭事に当たらせるためであり、祭が終ったあとの宴会では毛髪の色で席順を定めることになるのは・・・」
(『中庸』第6章)


話は変わるが、義務教育のなかでは、道徳が「特別の教科」として位置づけられている。文部科学省のHPでは学習指導要領のなかで道徳の在り方に言及しているが、一読するとこれを作文した人は、関係各所と各方面への十分な配慮を重ね、炎上しないように相当な苦心をしただろうと思える。「特定の考え方を押し付けない」、「愛国心の内容を評価しない」などの自主規制を軸に体裁を整えているから、それらはある意味でバランスがとれ、ある種の中庸ともいえる体裁になっている。教える道徳の内容としては、たとえば、「自律の精神を重んじ,自主的に考え,判断し,誠実に実行してその結果に責 任をもつこと」、「礼儀の意義を理解し,時と場に応じた適切な言動をとること」などのベクトルを指導要領は示している。


道徳教育が中庸を目指していくこと自体は良いと思っている。ただ、何分難しいのはその方法論だと思われる。学習指導要領は体裁を整えて作文できるだろうが、これを示された現場には、どれほど実際の裁量が与えられるのだろう。「特定の考え方を押し付けない」とは、「授業の中で、思考材料としても特定の考え方をも示さない」ことを意味するのだろうか。「愛国心の内容を評価しない」とは「授業の中で、愛国心について議論は不可」ということに至ってしまうのだろうか。仮に、キレイごとだけで体裁を整えて示すような道徳教育が行われ、そこで何かしらの中庸を示し得たとしても、それが人生の試練に耐えうる本当にタフな道徳になるとは思えないのだ。


古典『中庸』に関していえば、科学的云々は置いておき、人間が持つ性善的なものを気高く勇気づけるような表現もあれば、今日ではピンとこないようなものもある。このような古典だからこそ、今日の事情のなかでも何が生かせて、何を棄てなければいけないのか、その棄てるべきもののなかに、本当に活かすべきものはないのかを考えるときの教材になる。義務教育の道徳で『中庸』を使えとはいわないが、柔軟性に富み振れ幅が広い議論をさせてくれるのが『中庸』を含めた古典の魅力でもあるのだ。


学習指導要領の「自律の精神を重んじ,自主的に考え,判断し,誠実に・・」を目指すならば、先に共に考えるということの振れ幅をみせなければならない。そして、教師の腕の見せ所は、道徳を巡る議論の振れ幅をマックスにしつつ、最終的に中庸に戻してくるところにあるのだと思う。ただ、こうした方法論はリスクもあるとし、面倒だからと忌避されてしまうかもしれない。


冒頭に触れた「道学先生」は揶揄表現だが、朱子が示した「道学」の精髄はまだ使いようがある。それは、テキストをただ読むだけではなく、互いに論じ、内容を大いに批判し、それでもどこかに価値をみつけて納得していく。議論の振れ幅が大きくとも、ある程度中庸に戻して終えることができれば、そこまでのプロセスで各人の感ずるポイントも異なるだろうから、結果としては「特定の考え方」を押し付けることにはならないだろう。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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