温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第114回】 プラトン『パイドン』(岩田靖夫訳,岩波文庫,1998年)

民衆裁判によって死刑を命じられたソクラテス。アテナイ人が大切にしていた神聖なお祭りの期間中、国に不浄を持ち込まないとの理由で暫し刑は延期されたのち執行された。民衆裁判では正々堂々と自らの信念を弁明したソクラテスは、刑の執行を待つ身となってから静かにその日が来るのを待ち続けた。弟子たちは連日のように牢獄へ通い、ソクラテスは日が暮れるまでの対話を続けた。刑が執行される当日、朝早くから弟子たちが姿をあらわし、ソクラテスとの最後の対話がなされていく様子が、プラトンの『パイドン』という作品におさめられている。


最後の対話と刑の執行を見届けた弟子の一人であるパイドンから名を取った同書、プラトンがこれを書いたのは40歳くらいの頃とされており、師のソクラテスが刑を執行されてからすでに10年以上の時が経過していた。ソクラテスが思索したエッセンスをしっかりと語り伝えるのを任務としたプラトンにとって、この間は師の思想を軸として自らの思想を温めていく時間となった。プラトン作品としては中期に分類される『パイドン』は、プラトンの代名詞ともいえる「イデア論」が本格的に姿をあらわす書物としても知られている。視覚などで味わえる感覚的なさまざまな事物ではなく、それを越えて、あるもの自体が存在するというイデア論。『パイドン』のなかではこの考え方がいくつかの場面で論を展開していく重要な鍵となっている。


ソクラテスは刑の執行が間もなく迫って来るなかで、自らの歩んできた哲学の道に自信を持ち、冥府(ハデス)へと旅立つことを静かに心待ちにしている態度を示す。他方で、弟子たちは動揺を隠すことはできずに、肉体が亡びれば、魂もまた無くなってしまうのではないかとの不安に捉われる。『パイドン』はこの両者の構図に端を発し、ソクラテスが弟子たちに魂の不死についてロゴス(言論)を用いて論証していく対話となっている。なお、『パイドン』のサブタイトルは「魂の不死について」とある(岩波文庫版)


「さて、この問題をなにか次のように考察してみようではないか。死んだ人たちの魂はハデスに存在するのか、それとも、存在しないのか、と。ところで、これについてはなにか大昔からの教説があるのを、われわれは覚えている。その教説によると、魂はこの世からあの世へと到り、そこに存在し、再びあの世から到来して、死者たちから生まれる、というのだ。そこで、もしこれが真実だとすれば、すなわち、生者は死者から再び生まれるのだとすれば、われわれの魂はあの世に存在する他はないではないか。なぜなら、もしも存在しなかったならば、再び生まれることもできなかっただろうからだ。それ故、生きている者たちは死んだ者たち以外の他のどこからも生まれてくるのではない、ということが本当に明らかになるならば、このことは、魂がハデスに存在することの充分な証明になるだろう。だが、もしそうでないなら、なにか別の議論が必要になるだろう」(3 霊魂不滅の証明)


こうした議論の建付けからスタートし、魂の不死について論証していく『パイドン』の分量自体は文庫で200ページにも満たない。議論のポイントも魂の不死をめぐる問題が焦点となっているので、プラトンの『国家』(ポリティア)などに比べれば、話の振れ幅もさほどではなく、ふつうに読み進めれば話の筋を追っていくことは難しくはない。ただ、論証の細かな部分を省いて読んでしまうと、途中からポイントを見失うことにはなる。プラトンの議論の仕方は、現代の感覚からすると回りくどく感じるだろうが、実のところ、これがプラトンの醍醐味でもある。


「・・・およそ生成するすべてのものについて、すべてはこのように生成するのかどうかを見てみようではないか。すなわち、なにか反対のものがある限りのものにおいては――たとえば、美が醜に反対であり、正が不正に反対であり、その他無数のものがそのような関係にあるのだが――そういうものにおいては、その一方は反対である他方からしか生じえないのだ、ということを。だから、このことを考察しようではないか。いったい、それになにか反対のものがある限りのものは、まさにその反対からしか生じえない、というのは必然なのかどうか、を。たとえば、なにかがより大きくなる時には、必ず、以前により小さな状態にあって、そこから後により大きくなるのではないか」(同)


この命題は対話を続けていくなかで一度論証され、そして、生者が死者から生まれ、死者たちの魂が存在するという結論に至る。この後、イデア論が少しずつ導入されていき、対話の相手となる弟子が入れ替わりながら対話は続けられていく。その過程で、魂の不死を証明するために、知識の源泉が生前から有しているとする想起説、合成されて出来たものは同じ仕方で分解となるが、非合成的なものは分解とならないという説、などが取り上げられながら論証が続いていく。弟子たちからの真摯な反論が何度かなされ、ソクラテスは都度それに答え、対話の終わりが徐々に見え始めた頃、イデア論が再び大きく頭をもたげてくる。そこでは、先に論証されたことと一見矛盾するような議論がなされる。


「・・・『大』は大でありながら小であろうとは、敢えてしない。同じように、われわれのうちにある『小』もまた、けっして大きくなることや大きくあることを望まない。反対関係にあるいかなるものについても、同様である・・・」

すると、そこにいた人々のうちの誰かが――誰であったかは、はっきりとは思い出せないのですが――話を聞いてこう言いました。

「神々にかけて、われわれの先ほどの議論においては、いま語られていることとはまさに反対のことが同意されたのではありませんか。より小さなものからより大きなものが生じ、より大きなものからより小さなものが生ずる、と・・・」

ソクラテスは頭をそちらの方に向けて聞いておられましたが、こう言われました。

「男らしく、よく思い出させてくれた。だが、君はいま語られていることとあの時語られたこととの相違を理解していない。というのは、あの時には、反対の性格をもつ事物から反対の性格をもつ事物が生ずる、と語られていたのだが、いま語られているのは、その反対の性格それ自体は、われわれのうちにあるにせよ、その本性においてあるにせよ、けっして自分自身の反対にはならない、ということなのだ・・・」(同)


このあたりになると議論が込み入って来る。読み流しても話の結論は掴むことはできる。ただ、ここで一度、前半部分の議論を読み返し、再びこの部分に戻るような丹念な読み方をしてみるのが良いとも思っている。「性格をもつ事物」と「性格それ自体」、ここにある相違をどのように掴み感じるかが、『パイドン』の隠し味であり、これを十分に味わうトライをするかしないかの差異は大きい。『パイドン』が全体として何を言わんとしているのかを知ることも大切だが、議論の細部からロゴス(言論)の対話のなかでのかみ合わせ方を学ぶことも重要だろう。それは、精緻な議論をするときのために知的訓練を施してくれるとも思う。


イデア論の再登場によって魂の不死の最終証明を終えた後は、神話(死後の裁きとあの世の物語)が語られ、そして「終曲」、ソクラテスが刑を執行される場面となる。死刑といってもその手段は自ら毒杯をあおることを求められるのだが、刑の執行の夕刻にはまだ時間があるから、いま少しこの世にとどまってほしいと願う弟子と、もはやこの世での時間に恋々としないソクラテスのやり取りが僅かになされた後でいよいよ最後となる。刑死の手順は毒杯をあおり、足が重く感ずるまでしばらくその場を歩き回り、それから横になれば薬が全身に効いてこと切れるというものだ。


「・・「だが、神々に祈ることは許されているだろうし、また、しなければならないことだ。この世からあの世への移住が幸運なものであるように、とね。これが僕の祈りだ。そうなりますように」こう言うと同時に、あの方は盃を口にもってゆき、いとも無造作にまた平然とそれを飲み干されたのです。それまでは、われわれの多くの者はなんとか涙を抑えることができていたのですが、あの方が飲むのを、そして、すっかり飲み干されたのを見たときには、もう駄目でした。われにもあらず、どっと涙があふれでて、私は顔を覆ってわが身を嘆きました。・・・あの方は歩きまわっておられましたが、足が重くなってきたと言われ、仰向けに横たわりました。・・・」(5 終曲)


なお、プラトンはソクラテスの最後に居合わせなかった。そして、パイドンからソクラテスの最後の様子を聞いたともいわれる。プラトンが最後に居合わせなかった理由は病気だとされているが、私個人としてはそれだけが理由ではないと勝手に想像している。民衆裁判で死刑判決が下った時、プラトンは師ソクラテスの思想を受け継ぎ、それを発展させていく使命を自覚したのだろう。そして、師が逝くことに涙を流さないと覚悟を決めたのだとも思う。故に、弟子のなかでも最優等生の最後の欠席はその態度表明であり、師はそのことをわかっていたとも思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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