兵とは国の大事なり~戦略の業~ 【第1回】 「AIと軍事、古典戦略と人間の狭間」
・AIと軍事の関係の深まり
AIと軍事の相互関係が深まり始めている。これに慎重であるべきか、容認していくべきか、世界的にみると後者へと天秤が傾いてきている。ビジネスとしての見込みが大きくあることから企業も容認へと流れ始めており、米国グーグルは人へ危害を与える兵器や技術にはAIを応用しないとのポリシーを止めた。米国オープンAIは軍事利用を一部容認している。
イスラエル国防軍はAIをガザ地区での軍事作戦に積極的な活用をしており、攻撃ターゲット・標的を絞り込んでいくプロセスに貢献して軍事的成果を得ているとされる。なお、これに対する批判の論点は広く、AIによる絞り込みの精度に多くの問題があるといった技術的なものから、国連の人権理事会などの「AIに軍事的行動の意思決定をさせるのは国際法違反の可能性がある」といった指摘までを含む。米国では、米軍が持つ複雑なシステムと膨大な情報やデータを統合して判断に役立てるため、指揮統制システムにAIを取り入れていく流れへと進み、中国は軍の「智能化」のためにAIの積極活用を進めているとされる。
・日本の防衛とAI活用の方向
日本でもAIを活用して、無人アセット、情報・指揮統制機能、意志決定をサポートする技術と並進していくことが国家防衛戦略や防衛力整備計画の中でうたわれている。防衛省の「AI活用推進基本方針」では、AIの活用が戦闘の速度、精度、効率といったものを高め、ヒューマンエラーなどを減らすことに寄与するといった期待にも言及している。
ただ、そこではAIが持つ機能とその限界ということを踏まえて、「人間中心」という考えとともに、「AI自体には人間の周囲で起きている複合的な状況を全て把握し何が課題となっているのかを見出す能力はないため、人間が課題を特定し、その課題の克服のためにAIをどのように使うのか決めなければならない」とも述べている。
・AI無き古代の戦略思考システム
この「複合的な状況を全て把握し何が課題」であるかを見つけるとは、戦略を考えることと同じような意味でもあるが、古代において人間はどのようにそれを行っていたのか。簡潔にいえば、人間の強さや弱さを含む諸々を知るための努力をした上で、その知力を動員する仕組みを指向しようとしたとはいえる。『孫子』の兵法の冒頭は、「兵とは国の大事なり」で始まる。ようするに、軍事や戦争と向き合うことは、国家の存亡がかかった優先順位の極めて高いものであるとして、『孫子』ではその戦略を考えるときのシミュレーションとして「廟算」の大切さを説いている。
「廟算」は、その国の王(候)の祖先の霊を祭る宗廟において、彼・我(敵・味方)のあらゆる要素を比較して考えていくものであり、ここで検討されるのは国力全般から指揮官や組織の質といったマクロ・ミクロを含むものであった。王(候)の下で大臣、文官・武官たちが集っての会議は一枚岩になるようにみえて、それぞれが人間である以上、忠孝だけでなく個人の利害も入り込むことの常の本音と建前が入り込む複雑なものでもあった。この問題を克服するためのシステムの一つが廟算であり、王(候)の祖霊を前にして私利私欲を抑えて討議させようとの仕組みだったといえる。
・AIを知り人間を知る
原始的な部分を色濃く残していたにせよ当時の儒教が重視する祖先崇拝は、祖霊を招魂する儀礼に源を発し、祖先とその血を継ぐ自分や一族団結をうながす儀礼へと変わりゆく過程で一つの倫理観にもなっていた。この倫理観を擬制的に拡大することで国のトップである王(候)の祖霊を前に人々を団結させていくシステムが次第につくられていった。このシステムの下で自らの私利私欲を追求するための合理性の発揮ではなく、共同体が持つ歴史や文化といった価値観を反映させ、国益と戦略を真剣に考えさせる合理性の発揮を追求させたともいえる。人間個人が持つ強みと弱みを踏まえたシステムだったともいえるだろう。
さて、話はAIの軍事利用へと戻る。現在、人間がAIの軍事利用に対して如何に関与していくかが重要な論点になっている。その活用が作戦・戦闘レベルではなく、戦略レベルに近くなるほどに人間の関与の重みは自然と増してくる。古来、人間の本質はさして変わってきてはいない中で、新しき難題に向き合うことになっている。ここに求められる知的態度としては、「彼れを知り己れを知らば、百戦してあやうからず」、ようするに、AIを知り、引き続き人間を知るための努力であり、これがあって辛うじて保たれる道だと考える。前者だけが熱心に追及されて後者が放置となれば、それはとてもあやういものになるだろう。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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