兵とは国の大事なり~戦略の業~ 【第2回】 「トランプ大統領とゼレンスキー大統領の闘論、戦略古典は何を語るか」

二人の大統領と二つの戦略古典

トランプ大統領とゼレンスキー大統領がホワイトハウスで強い言い合いとなったことは衝撃をもって世界で受け止められた。多くの有識者がこの事態を前にして、それぞれの大統領の発言や行動に支持や批判をしつつの論評が行き交っている。これから先のことは不透明ではあるが、米国はウクライナへの軍事支援の停止(一時停止)を検討していると報道がされている。ところで戦略古典である孫子やクラウゼヴィッツはこれらの事態に対して何か示唆するところがあるのだろうか。


孫子のいう「政治的指導者」の役割

孫子は有事における政治的指導者(政治家)と軍事的指導者(軍人)の立ち位置と役割を区分してその兵法を論じている。まず、政治的指導者は戦争の可否への決断に責任を負うことになる。その際、彼・我(敵国と自国)の国力や能力をしっかりと考えた上で、全体的な戦争目的と戦略を定めていくことになる。政治的指導者がこれを十分に行うことができなければ、軍事的指導者は勝利をつかみ取ることができないとする。他方で、政治的指導者が慎まなければならないのは、軍事的指導者を介さずに戦場での前進・退却命令などに口出しをすること、軍隊のマネジメント(軍政)に過度に介入すること、軍人と張り合って軍隊を指揮することだという。いわゆる政治と軍事の関係を論じている部分である。


クラウゼヴィッツのいう「政治的指導者」の役割

クラウゼヴィッツもまた政治的指導者と軍事的指導者を区分しており、孫子と同じく政治が優位に立って戦争の可否を決断するものとし、そして、軍隊が戦場において勝利をおさめる責任について論じている。なお、クラウゼヴィッツは、軍人の役割を軍事行動に区切って論じることで、政治が背負うべき広範囲な責任を浮き彫りにさせ、政治が軍隊に対して十分な兵器などを与えて、全体として兵站にも責任を負うべきものとしている。この責任が十分に果たされなければ、戦争の状況は大きく変わり政治に跳ね返ってくることになるが、クラウゼヴィッツはこのことを「戦争という手段の性質によって、政治的目的がしばしばまったく変質することもある」(レクラム版)と表現している。ようするに、政治が必要なものを十分に軍隊に与えられなければ、軍隊はその期待に応えられず、敗北が大きくなって国全体として失うものもあまりに大きくなることを示している。


ゼレンスキー大統領は政治的指導者

さて、ゼレンスキー大統領であるが、自らを戦時大統領と称し、法的にも国軍の最高司令官ではあるが、軍人ではなく政治的指導者である。望んでいたわけではない戦争に開戦以来リーダーとして立ち続けてきている大統領であるから、米国の軍事支援が断たれてしまえば、ウクライナの軍隊がどれほどの苦境に立つかは十分に分かっているはずだ。ウクライナにとって平和が尊いことはいうまでもないが、そこへ辿り着くためにも軍隊が当面の間は十分な戦力を持ち続けることが必要であるのもまた十分に過ぎるくらいに分かっているはずでもある。


政争のための正装というオプション

ゼレンスキー大統領がウクライナの前線を訪れるとき、兵士たちと同じような軍装で身を固めて鼓舞激励する政治的指導者の役割は期待されても、そこで戦闘員として能力を期待されているわけではない。このことはホワイトハウスへの訪いについてもいえ、政治的指導者としての任を最優先するならば、服装の一点だけでもこれまでのスタイルに拘らずに、交渉と会見に最上等のスーツを着込んで行き、トランプ大統領に対して最大限の敬意を表するのを演じつつ「政治」を行うあり方も選択肢だったのではないか。戦時の政治的指導者として求められているのは、戦時を終わらせることであり、矛盾するようでもあるがそのために十分な戦力を軍隊に与え続けることでもある。孫子とクラウゼヴィッツはこのことの大切さを示唆している。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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