2024年秋季講座(明治大学リバティアカデミー)『教養としての戦略学「戦略論・戦略思想と経営学・ビジネス戦略を「越境」して考える~軍事領域とMBA的領域の比較~」』
第2回 マキャヴェリ『君主論』『政略論』のリーダー論・組織論とビジネスリーダーシップ論等を比較して考える
講座要約(24年11月28日実施)
・マキャヴェリの『君主論』とその読書事情
マキャヴェリは戦略思想家の中でも特に特異な存在であり、本講義では彼の思想を重点的に扱う。今回のテーマでは、『君主論』を中心に、『政略論(ディスコルシ)』のリーダー論とMBA領域で扱われる現代のビジネスリーダー論とを比較しながら理解することを目指した。『君主論』は頻繁に言葉が引用されるなどで広く知られているが、実際に深く読み込んでいる人となるとそれよりは少なくなり、さらに『政略論』まで読んでいる人は限られてくる。日本社会においては、マキャヴェリ思想を強く支持していることを少なくとも公言する人はほとんどおらず、マキャヴェリズム的な行動を好む人はいても、『君主論』による影響などということを公に認めることはなかなか難しいといえる。第1回で扱った『孫子』なら読むことを好むと公言しても社会的信用を失うことはまずないが(『孫子』も「兵とは詭道なり」と騙しあいの部分を肯定しているにも関わらず)、マキャヴェリを深く読んでいることは周囲から注目され警戒もされやすいという特徴がある。
・『君主論』『政略論』のリーダーシップとMBA領域のリーダーシップに「橋」は架かるか
本講義では、マキャヴェリの『君主論』および『政略論』におけるリーダーシップの考え方と、MBAなどの現代ビジネススクールで教えられるリーダーシップとの関連性について検討する。『君主論』は君主制の下で権力を掌握し維持する方法を論じており、一方『政略論』では古代ギリシャ・ローマの共和制をモデルに権力の在り方を考察している。現代においては様々な場面でマキャヴェリが引用されることはあるが、それらは自分の主張を補強するための都合の良い引用にとどまる場合が多い。本講義では、このマキャヴェリ的リーダー論とMBA的リーダーシップとの間に「橋」を架けることが可能か、また両者の共通点や相違点は何かに焦点を当てて議論する。特に「越境ポイント」と称される視点から、マキャヴェリ思想と現代ビジネスリーダー論との接点を明確化し、比較分析を行うことが今回の目的である。マキャヴェリ自身の詳細については、講義資料や公開情報を参照することで理解できると思われるので割愛する。
・マキャヴェリが活躍する前の古代から中世・近世への転換
マキャヴェリが活躍した時代を理解するには、まず中世から近世への転換期を概観する必要がある。西ローマ帝国の滅亡(476年)以降の中世ヨーロッパでは、国王の下に多くの領主が存在し、農奴と呼ばれた人々を中心とした農業経済が基本となっていた。この時代の軍事力は限られており、かつての古代ローマ時代に存在した大規模な歩兵戦は廃れ、騎士階級による小規模戦闘が主流であった。加えて、中世は伝統主義が強く、経済も基本的に再生産や拡大を前提としないシステムでもあった。
しかしながら、十字軍や中東との交易を通じて貨幣経済や商品流通が徐々に導入され、14世紀ごろから経済拡大や領土拡張の必要性が高まることになった。この変化に伴い、従来の封建制軍隊の限界が明らかとなり、傭兵が補完的な軍事力として採用されるようになった。傭兵は貨幣で雇用され、ビジネスとして戦争に従事するため、このことから決定的な損害を避ける傾向があり、戦闘はお約束的で形式的なものに留まることが多かった。
こうした背景の中で状況が変化したのは、15世紀末にフランスがイタリア諸国へ進軍した際であり、フランスは大規模な国家の軍隊を用いて徹底的な殲滅戦を展開することになった。この事態に直面したマキャヴェリは、従来の戦争観が通用しない時代を目の当たりにし、権力維持や戦略の在り方を考察する必要に迫られた。彼の思想は、この中世から近世への軍事・経済構造の変化を背景として形成されたものである。
・歴史の転換点をビジネス領域に置き換えてみる
歴史の転換点は、戦略的思考を考える上で示唆に富むものである。マキャヴェリの時代は、中世から近世への社会・軍事・経済の構造転換期であり、従来のルールや慣習が通用しなくなる時代だった。この状況は、ビジネス領域における「パラダイムシフト」に置き換えて考えることができる。
例えば、長年の慣習や暗黙のルールが存在する国内市場では、競合他社との暗黙の手打ちや協調が可能であった。しかし、外圧や市場環境の急激な変化により、競争は一気に激化し、従来のルールや関係性が通用しなくなる。このような状況では、企業は従来の戦略を見直し、外部環境に対応できる新たな戦略やリーダーシップの在り方が求められる。
要するに、マキャヴェリが戦略思想を打ち立てた背景は、まさに時代の転換点に直面したことにあり、歴史の中における時代の転換点に求められた厳しい思考や在り方から、同じくパラダイムシフトが起きている時代に求められるものや、通じるものは何かといった視点をもたらす。そして、この視点は現代ビジネスにおけるリーダーシップや戦略を考える上でも応用可能ではないかと考える(もちろんそれは何が通用するかばかりではなく、何が通用しないかという部分にもあてはまる)。歴史の転換点を抽象化し、ビジネス環境に照射することで、競争構造の変化や戦略的意思決定の重要性を理解する手がかりになり得る。
・マキャヴェリは理想を語ることはなく、大切なのは権力装置だという
マキャヴェリの政治思想の特徴は、理想論を語らず、現実の権力の運用に重点を置いている点にある。彼は「政治はどうあるべきか」という価値判断やビジョンをほとんど論じず、権力装置、すなわちステイトの在り方とその統制方法に焦点を当てている。ステイトは道徳や倫理とは切り離された、むき出しの専制支配として理解され、君主がいかに権力を掌握し、効率的に統治を行うかが中心的な論点である。
また、マキャヴェリは君主制か共和制かといった政体の優劣について明確に示していない。『君主論』は特定の権力者への献呈を意図して書かれた背景があるため形式的に君主制寄りの記述が見られるが、彼自身の真意は不明であり、学者の間でも解釈が分かれている。つまり、マキャヴェリの思想は理想的な政治ではなく、権力を握り、維持するための現実的手段に主眼が置かれているのである。
・マキャヴェリは「経営理念」には関心を払わないともいえる
マキャヴェリは国家や組織が目指す理念やビジョンに関心を払わないという特徴がある。政治と軍事の関係を重視し、その連関を非常に重要と考えつつも、国家理念や理想的な方向性についてはほとんど論じていない。これは、本講座の第1回でも触れたが孫子における国家理念が明示されていない点と類似しており、あくまで秩序や安寧を重視する現実的な視点に立っている点が共通している。
ビジネス領域に置き換えると、国家理念に対応するのは企業理念やビジョン、ミッションといった上位概念である。しかし、マキャヴェリの立場からすると、こうした理念そのものにはほとんど関心を示さず、組織や国家をいかに維持・統制し、拡大していくかといった実務的・現実的な戦略に焦点を置くことになる。歴史家のE・H・カーはマキャヴェリを現実主義の立場から評価し、理想主義的なユートピアンとは異なり、「歴史は原因と結果の連続であり、理論は実際を作るのではなく、実際が理論を作る」と論じている。また、政治は倫理によって動くのではなく、倫理自体が政治の機能の一部であるとする点も、理念よりも現実の運用に重きを置くマキャヴェリの特徴を示している。
結論として、マキャヴェリの思想は理念や価値判断よりも、組織や国家の維持・拡大のための現実的手段や権力運用に主眼を置く点であり、現代の経営戦略論における企業理念やビジョンとは必ずしも直接的な関連性を持たないといえる。
・マキャヴェリは政治と戦争の関係をどのように考えたか
マキャヴェリは戦争を政治活動の本質的な一部として捉え、その目的を自らの意思を相手に共有させ、敵を征服して自らの利益を確保することにあると考えた。戦争は避けがたいものであり恐ろしい力の発露であるとしつつも、崇高さやロマンの観点で否定するものではなく、むしろリーダーシップを発揮するための技術的側面も含むものとして捉えている。また、領土拡大への征服欲は国家支配者にとって自然な動機であり、政体の形態による違いは問題にしないとした。
さらにマキャヴェリは同盟の重要性についても論じている。彼は同盟を三つのタイプに分類しており、①複数国が対等に結ぶ同盟、②一国が主導権を握る同盟、③支配と従属の関係に近い同盟である。中でも②の、一国が優越した地位で指導権を握るタイプを最善とし、①を次善、③は理論上は可能でも維持は困難と評価した。ただし、基本的には自国防衛は自力で行うべきであり、同盟に過度に依存することは戒めている。これは、君主や国家間の気まぐれによって同盟関係は簡単に変動し得るという現実的視点に基づくものである。
戦争の期間についても、マキャヴェリは短期決戦を重視する立場をとった。長期戦は国や国民に過度な負担を与え、結果的に損失ばかりが増えるため、政治的目的を達成するには短期で戦いを終えるべきだと考えた。この点は孫子の戦略思想と通じる部分がある。
結論として、マキャヴェリの戦略思想は、戦争を政治的目的達成の手段と捉え、現実的・実務的な観点から戦略や同盟を分析する点に特徴がある。理念や理想に左右されず、力と現実に基づく統制を重視する点が彼の政治・軍事思想の核心である。
・マキャヴェリのリーダーシップ論は性悪説の人間観から
マキャヴェリのリーダーシップ論は、人間観としての性悪説を前提としている点に特徴がある。現代のビジネス書やリーダーシップ論は、基本的に性善説に基づき、人々が倫理や道徳、コンプライアンスを守ることを前提にしている場合が多い。一方、マキャヴェリは人間を野心的かつ貪欲であり、放っておくと欲望のままに振る舞う存在と考えた。このため、共同体や国家の秩序は人間の善意だけに委ねることはできず、権力による強制力が必要であるとした。
マキャヴェリの思想では、道徳的に問題のある手段であっても、結果的に利益や国家の安定に資するものであれば許容される。これは、リーダーに求められるのは倫理や理想の遵守ではなく、現実的な権力行使と目的達成であるという現実主義に基づく考え方である。
現代においてマキャヴェリを読む意義は、当時の政治環境と現代社会の違いを意識しつつ、その思想のどこを参考にできるか、どこは模倣してはいけないかを判断する点にある。特にビジネスにおいては、マキャヴェリ的手法を文字通り実行することは危険であり、現代社会の倫理やルールとの整合性を考慮する必要がある。
・マキャヴェリのリーダー論とMBA領域のリーダー論
マキャヴェリの『君主論』におけるリーダーシップ論と、現代のMBA領域で教えられるビジネスリーダーシップ論には、本質的な違いがある。『君主論』は1532年に刊行され、君主制社会における権力の掌握と維持、ならびに軍事力の重要性を軸として論じられている。マキャヴェリは君主を「獅子」と「狐」に例え、獅子の力と狐の策略を駆使することが、権力維持の基本であると説く。すなわち、君主は法と軍備を基盤にしつつ、必要に応じて道徳や宗教にも反して行動することを厭わず、権威を損なう妥協は避けるべきであるとされる。
さらに、『君主論』において民衆は、表面的な利益で動く存在とみなされ、利害の一致を前提とした理解や協力は期待されない。民衆の支持を得るには、具体的な損得や利益を通じて説得することは容易であり、真の政策意図や長期的利益は理解されにくいとされる。権力者と民衆、あるいは君主と他の権力者との利害は、基本的に対立するものであり、リーダーはそれを技術的にコントロールすることが求められる。
これに対して、現代のMBA領域で教えられるビジネスリーダーシップ論は、倫理的・建設的な前提に立つ点で大きく異なる。社員やフォロワーは基本的に協調的であり、リーダーとフォロワーの利害は原則として一致するものとみなされる。組織目標の達成やチームビルディング、インセンティブ設計、信頼関係の構築を通じて統制が行われ、法や契約は十分に機能する環境が前提となる。リーダーは短期的な権力維持よりも、組織全体の長期的な成功や持続的な信頼の獲得を重視する。
以上を整理すると、マキャヴェリのリーダーシップ論は「権力維持のための技術論」であるのに対し、MBA領域のビジネスリーダーシップ論は「組織目標達成のための人材マネジメント論」と位置付けられる。視点が「権力維持か、組織運営か」という点で根本的に異なることが両者の特徴である。
・MBAテキスト『最前線のリーダーシップ』から
ハーバードやMITのビジネススクールの知識が集められた『最前線のリーダーシップ』(マーティ・リンスキー、ロナルド・A.ハイフェッツ著(竹中平蔵監訳)ファーストプレス社)では、リーダーシップの本質とその危険性について詳細に論じられている。本書の主題は、リーダーが直面するリスクや困難な状況の中で、いかに自分自身を保ちつつ組織に変化をもたらすかにある。リーダーシップは単に命令を出すことではなく、他者に変化を求める行為であり、人は変化そのものに抵抗するのではなく、既存の価値観や信念を脅かされることに抵抗するため、リーダーはしばしば危険にさらされるという点が指摘されている。
具体的には、リーダーが直面するリスクとして以下の4つがあげられる。
1.脇に追いやられるリスク
実例として、米国省庁の高級官僚がトップの計画に疑問を呈したところ、周囲から避けられ、最終的に辞職に追い込まれた事例がある。このように、正しい行動であっても組織内で孤立する危険がある。
2.注意をそらされるリスク
リーダーに対して多くの要求が集中することで、本来やるべきことが見えなくなる場合がある。意図的に業務を圧迫されることもあれば、単純に期待が大きすぎる場合もある。
3.個人攻撃を受けるリスク
変化を求めるリーダーは目立つ存在となるため、抵抗に直面した際、人格や態度を攻撃されることがある。これにより、正当な行動が非難の対象となる場合がある。
4.誘惑に屈するリスク
他者の承認を得ようとするあまり、本来の目的を見失い、リーダーとしてのリソースを浪費する危険がある。
これらのリスクに対処するため、本書ではリーダーに「バルコニー席に上がる」こと、すなわち俯瞰的視点を持つことを推奨している。目先の出来事に感情的に反応せず、状況を客観的に分析することで、問題の本質を見極めることができる。
さらに、リーダーは以下の視点で状況を分析すべきである。
・技術的視点:問題が技術的なものか、対応可能かどうか
・利害の視点:関係者の立場や利害関係を把握する
・真意の視点:言葉の奥にある意図や背景を読み取る
・権威・権力の視点:上位者や組織内の権力構造を理解する
本書は、具体的な事例を通じて、リーダーが直面する現実的なリスクとその対処法を明確に示しており、理論だけでなく実務に役立つ指針を提供している。ビジネススクールで用いられるリーダーシップ論は、こうした現場のリスク管理や状況判断の能力を重視している点が特徴である。
・再びマキャヴェリの立場からMBA領域の問題にコメントすれば
マキャヴェリの『君主論』の立場からMBA的リーダーシップの問題を考察すると、いくつかの重要な視点が浮かび上がる。まず、マキャヴェリは基本的に「トップ=君主」の立場から物事を論じているのに対し、MBAで語られるリーダーシップは必ずしも組織のトップだけに限らず、ミドルマネジメントやコミュニティリーダーなど、多様な立場での影響力の発揮を対象としている。この点で、MBA的リーダーシップとマキャヴェリ的リーダーシップは、その前提となる立場に違いがある。
次に、利害や権力の扱いについてである。MBA的リーダーシップでは、利害の調整や問題解決のために俯瞰的に状況を分析し、交渉や協調を通じて最適解を見出すことが重視される。一方、マキャヴェリは人格的評価や評判よりも秩序維持や権力保持を優先し、必要であれば冷酷な手段も辞さないとする。彼の立場では、民衆と権力者の利害は本質的に異なり、民衆は支配されないことを望むのに対し、有力者は民衆を支配しようとする。この利害の根本的な不一致を前提に、君主は秩序や忠誠を守るために行動しなければならないとされる。
さらに、君主の「真意」とは、手放してはならない権力の本質を守ることであり、戦争や軍事、防衛といった核心的な力の維持が重要とされる。権力の獲得方法についても、自力で得た権力と他力で得た権力ではその保持の難易度が異なり、自力で得た場合でも能力や運の影響を考慮する必要がある。加えて、敵を知り味方を増やし、必要に応じて暴力や制度改革も辞さない姿勢が強調される。特に、古い制度を改めて新しい制度を導入することは、マキャヴェリ的リーダーシップの重要な特徴である。
総じて、MBA的リーダーシップが「調整・交渉・共感」を重視するのに対し、マキャヴェリは「権力・統制・秩序」を軸にリーダーシップを考える。MBAの視点にマキャヴェリ的知見を応用する場合、妥協や倫理の扱いを慎重に考えつつ、権力の核心を守る戦略的判断が求められると言える。
・マキャヴェリとMBA領域のリーダーシップ相違点とは
マキャヴェリのリーダーシップ観とMBA領域のリーダーシップ観には、明確な相違点が存在する。まずMBA的リーダーシップは、組織内におけるトップだけでなく、ミドルマネジメントやコミュニティリーダーなど、多様な立場でのリーダーシップを対象としている点が特徴である。MBAでは、ケーススタディや実践的な事例を通じて、技術的課題の修正や利害調整の方法、権力者や組織内の関係者との調和を重視する。具体的には、権力者の意図や自らの役割を理解し、その情報を引き出してフォロワーや上司と妥協を引き出す能力が重要視される。このアプローチは、下から上への影響力行使や、周囲を巻き込みながら合意形成を行うプロセスに重きを置く。
一方、マキャヴェリの立場は『君主論』に明確に示されるように、トップの権力保持と秩序維持を中心に据えている。技術や能力の違いは修正可能な課題として捉えず、持てる力で徹底的に統制することが重視される。民衆や部下との理解や利害の一致は困難であると前提され、権力は可能な限り共有せず、下に権限を与えることを避ける。また、君主の真意は「絶対に手放してはいけない権力」に集中しており、戦争や防衛、法や軍備を通じた統制が核心となる。さらに、代理で任命する指揮官の権限や立場も、君主の権力を脅かさないよう制約する必要があるとされ、人間不信に基づく慎重な管理が求められる。
総じて、MBA的リーダーシップが「調整・交渉・共感」を軸に実践的な影響力行使を重視するのに対し、マキャヴェリ的リーダーシップは「権力・統制・秩序」を軸に、トップの絶対的権力保持を前提とする点で大きく異なる。MBAの視点にマキャヴェリ的知見を応用する場合、妥協や倫理の取り扱いと権力保持のバランスを慎重に考える必要があると言える。
・MBA領域も政治的であることは回避しない
なお、MBA領域のリーダーシップにおいても、政治的な視点を回避せず、現実的に利害や権力関係を考慮することが重要とされる。特に『最前線のリーダーシップ』においては、政治的判断を怠らないことが求められ、そのポイントとして6つの視点が示されている。
まず視点1の「パートナーを見つける」では、リーダーシップを一人で実行しようとせず、信頼できる協力者を見つけることの重要性が指摘される。事例として、コカ・コーラのダグラス・アイベスターは若くして財務改革に成功したものの、CEOとして一人で全てを行おうとした結果、立場を失った経験が紹介されている。
視点2の「反対派を遠ざけない」は、リーダーシップにおいて反対意見を排除せず、利害関係者と向き合うことの重要性を示す。アメリカの精神疾患施設の事例では、法的義務だけを満たし住民説明を怠った結果、反対運動が発生しプロジェクトが頓挫したことが示される。
視点3の「自分が問題の一部であったことを認める」では、リーダー自身も変革の過程で問題の一因となる場合があり、それを認めて改善する必要があることが強調される。
視点4の「喪失を認識する」では、リーダーシップの発揮には相手に適応を求める困難が伴うことを認識し、影響を受ける人々の損失を考慮する必要がある。キング牧師の公民権運動の事例では、目的や方向性の変化によって成果が中途半端に終わるリスクが示されている。
視点5の「自らモデルになる」は、リーダーが率先して行動し、犠牲を払う姿勢を示すことで周囲の信頼や行動を引き出す重要性を示す。イスラエルの科学工場の事例では、CEO自ら危険な現場に入り安全を示すことで、従業員の行動変容を促した。
最後に視点6の「犠牲を受け入れる」では、リーダーとしての意思決定には、個人的な利益や従来の方法を手放す覚悟が求められることが述べられている。
総じて、MBA的リーダーシップは、政治的判断や利害調整を前提とし、協力者との連携・反対意見への対応・自己の責任認識・損失の理解・行動の模範・犠牲の受容といった複合的な要素を組み合わせて実践されることが特徴である。
・マキャヴェリならばこれらの視点にどのように答えるか
マキャヴェリの『君主論』に基づくリーダーシップ論は、現代のMBA的リーダーシップの考え方とは大きく異なる特徴を持っている。例えば、リーダーがパートナーを見つける際、現代的な観点では信頼できるチームや協力者を選ぶことが重要とされる。しかしマキャヴェリにとっては、側近の選択はあくまで君主自身の権力維持に有利かどうかが基準となる。人間の頭脳を三種類に分類し、最も有能な者は少数であると考え、使い勝手の良さや忠誠心を重視して側近を選ぶべきだと説く。
反対派への対応についても、現代のリーダーシップでは意見の多様性や納得形成が重視されるが、マキャヴェリは、反抗の可能性がある人物には、場合によっては強圧的な手段を用いてでも排除すべきと主張する。権威を傷つける妥協は避け、秩序維持のためには手段を問わない姿勢を取るのである。
また、変革や喪失の認識に関しても、マキャヴェリは人間は困難が予想される事業に常に反対する性質を持つと述べる。その上で、変革は一度起これば次の変革を呼ぶため、君主自身が主導権を握り続け、秩序を確保するために改革を行う必要があると考える。すなわち、リーダーシップの発揮は、組織や国家のためというよりも、自らの権力維持が目的である。
慈悲深さや悪評に対しても、マキャヴェリは秩序の確立を最優先し、たとえ悪評が立とうとも気にする必要はないと述べる。犠牲を受け入れることについても、組織や国家の維持を長期的に考えるなら、時には本来の姿に回帰させるための改革や強制が必要であるとする。
総じて、マキャヴェリのリーダーシップ論は、現代のMBA的リーダーシップの「ビジョンや目的実現のためのリーダーシップ」とは対照的であり、基本的には権力維持を中心とした戦略的・実利的な考え方である。国内外の秩序を揺さぶりつつ、常に主導権を握ることこそがリーダーの本質であるとされる点が特徴的である。
・マキャヴェリとMBAのリーダーシップ相違点
マキャヴェリのリーダーシップ論は、基本的に「トップのためのリーダーシップ」である点が特徴である。『君主論』において示されるリーダーシップは、君主自身が権力を維持し続けるための戦略や権力行使に焦点が置かれており、その目的はあくまで自身の立場の確保にある。側近の選択や反対派への対応、改革の推進に至るまで、すべては君主の権力維持という観点から論じられている。秩序の確立や改革の必要性は認められるが、それも最終的にはトップの支配を揺るぎなくするための手段として扱われる。
一方で、MBAなど現代のビジネスリーダーシップ論では、リーダーシップの目的は組織のビジョンやミッション、経営戦略の実現にあるとされる。理論上は、リーダーは組織やチームの目標達成のために行動し、その成果を通じて価値を創出することが求められる。権力維持や個人的な立場の保全は直接の目的ではなく、組織全体の合理的な目標達成に結びつく手段の一つとして位置づけられる。
ただし、現実のビジネスの場では、必ずしも理論通りにリーダーシップが発揮されているわけではない。表向きにはビジョンやミッションの実現を目指しているように見えても、実際にはマキャヴェリ的に自らの立場や権力を守るために行動しているリーダーも存在する可能性がある。この点において、マキャヴェリ的なリーダーシップ論とMBA的リーダーシップ論は、理論上は異質でありながら、現実世界では相互に補完し合う側面もあると考えられる。
結論として、マキャヴェリのリーダーシップ論は権力維持を中心とした実利的な手法を示すのに対し、MBA的リーダーシップ論は組織目標達成を中心に据えた価値合理的な理論である。この両者の相違を理解することは、現実のリーダーシップを分析する上で重要な視点となる。
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