2024年秋季講座(明治大学リバティアカデミー)『教養としての戦略学「戦略論・戦略思想と経営学・ビジネス戦略を「越境」して考える~軍事領域とMBA的領域の比較~」』

第3回 クラウゼヴィッツの『戦争論』とビジネスストラテジー、オペレーション論、ゲーム理論など比較して考える
 講座要約(24年12月5日実施)


・クラウゼヴィッツ『戦争論』とビジネス領域、両者の合理性に対する態度

本講義では、人間の持つ合理性の可能性と限界を考察しつつ、クラウゼヴィッツの立場とビジネス、MBA的アプローチの立場との対比を中心に議論した。クラウゼヴィッツは『戦争論』において、事前に戦争を合理的に把握して、それを積極的かつ総合的に理論化することには限界があると考え、合理性の不確かさを論じる。一方で、ビジネス領域の理論は、事前および実行過程において多くの事象を合理的に理解し、ある程度の体系化が可能であるという立場を取る。本講義では、この両者の合理性に対する態度の違いを軸に議論した。


・「戦争論」とビジネス領域に共通する「オペレーション」を軸に「橋」を架けていく(直観・直観というキーワードを用いて)

『戦争論』とビジネス領域の理論を並列させて、両者を往還する中で戦略や合理性の理解を深めることを試みた。クラウゼヴィッツの『戦争論』はナポレオン戦争を背景に執筆されたものであり、その難解さゆえに全体を短時間で網羅することは困難である。しかし、その本質的なエッセンスを抽出し、現代のビジネス戦略やオペレーション論、さらにはゲーム理論と対比させることで、両分野の知見を架橋することが可能であるとも論じた。特に「直観」という要素が重要視され、戦争における不確実性への対応と、ビジネスにおける意思決定の感覚的側面をつなぐ鍵として位置づけた。本講義の目的は、戦争研究と経営学を単に比較するのではなく、両者を補完的に活用し得る視座を提示する点にあるとした。


・『戦争論』の構造や叙述スタイルについて

クラウゼヴィッツ『戦争論』の構造や叙述スタイルについて、『戦争論』は弁証法的な思考枠組みに基づき、二項対立的な構造で戦争の本質を論じている。その代表的な対立が「観念上の絶対戦争」と「現実の制限された戦争」である。クラウゼヴィッツは、国家が軍事力や資源を障害なく無制限に動員する仮想的状況を「絶対戦争」として提示したが、それはあくまでも理論上の概念であり、現実には存在しないと考えた。実際の戦争は、政治的・社会的な干渉や制約を受け、軍事力を全面的に行使できないまま中途半端な形で収束するものである。クラウゼヴィッツは、この現実の戦争の姿を明確化するために、あえて「絶対戦争」という極端な概念を対置させ、そこから現実を浮き彫りにしていった。こうした二項対立的で弁証法的な論じ方こそが『戦争論』の特徴であると指摘した。


・『戦争論』の政治と軍事の関係とは

クラウゼヴィッツ『戦争論』の大きな特徴の一つは、政治と軍事の関係に関する考察である。彼は、戦争を政治目的達成のための手段と位置づけ、軍事行動は常に政治によるコントロールを受けるべきものとして論じた。すなわち、政治目的が軍事行動やオペレーションの方向性を規定するという考え方である。しかし同時に、軍事的なプロセスの結果が政治目的そのものを変化させる可能性も指摘しており、この点で政治と軍事は一方向的な関係ではなく相互作用的な関係にあるとした。

さらにクラウゼヴィッツは、戦略立案における合理性の限界を強調する。戦力や資源の投入規模は一定程度見積もることが可能だが、敵国の力量や指導者の直観的判断、士気などの非合理的要素は予測困難であり、それが戦争に予期せぬ摩擦や衝突を生み出すとする。したがって、合理的な計算に基づいて勝敗を完全に見通すことは不可能であり、戦略は常に不確実性を抱え込む。

この点は孫子の思想との対照を際立たせる。孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と説き、情報収集や分析を通じて合理的に戦略を構築し、勝利を収めることが可能であると強調した。合理性に大きく依拠する孫子に対し、クラウゼヴィッツは合理性の限界を認め、不確実性を前提とした戦争観を提示したのである。


・『戦争論』とビジネスを「オペレーション」で考えてみる

クラウゼヴィッツ『戦争論』とビジネス理論を「オペレーション」という観点から比較する試みも行った。孫子が外交や国家戦略レベルを重視したのに対し、クラウゼヴィッツは外交交渉が破綻した後の段階から戦略を論じ、特に作戦戦略やオペレーションに重きを置いたと考えることができる。これをビジネス領域に置き換えると、国家戦略は企業全体の経営戦略に、作戦戦略は事業戦略に相当すると考えられ、クラウゼヴィッツの議論は事業戦略レベルに近い性質を多く含んでいるとも理解できる。

また、軍事における部隊運用を事業部門のマネジメントに喩えることも可能である。例えば、連隊長(大佐)が1,000〜2,000名規模の部隊を指揮する構造は、事業部長が一定規模の事業部を統括する姿に対応する。このように「戦場」を「市場」に、「戦力展開」を「製品やサービスの投入」に置き換えることで、軍事とビジネスの構造的な類似性が浮かび上がる。

しかし両者に共通しているのは、不確実性や予測不可能性への対応が不可欠であるという点である。クラウゼヴィッツは、戦争における摩擦や偶発性が合理的な計算を常に超えてくることを強調したが、同様に市場競争においても、消費者行動や競合の動きは完全には予測できない。この不確実性をいかに織り込み、柔軟なオペレーションを展開するかが、戦争においてもビジネスにおいても決定的に重要であるとした。


・オペレーションを担う組織や構造の共通性について

軍事組織とビジネス組織のオペレーション構造を比較し、合理性の限界というテーマに接続させながら考察を行った。軍事においては、連隊規模の部隊を動かす際に、作戦、情報、人事、ロジスティクスといった複数の機能部門が横断的に連携し、参謀や幕僚が情報を収集・分析した上で指揮官に判断材料を提示する仕組みが存在する。この構造はビジネスにおける各部門間調整と類似しており、企業経営でもCRM(顧客関係管理)、サプライチェーンマネジメント(SCM)、調達、研究開発、管理スタッフといった業務連鎖のモジュールが相互に関与し、全体的なオペレーションを支えている。

特にSCMは、製品の生産から顧客への供給に至る一連のプロセスを扱い、需要予測、受注、生産、納品といった流れを効率的に統合することを目的とする。日本企業では高度成長期にプッシュ型モデルが成立していたが、市場の成熟と多様化により、90年代以降はプル型モデルへの転換が不可避となり、SCMの重要性が強調されるようになった。市場の変化に迅速に対応する仕組みが求められる点は、戦争においても時代とともに組織や作戦(オペレーション)の在り方が変化してきた事例と響き合う。冷戦期の大規模部隊中心の戦いから、イラク戦争やアフガニスタン戦争のような小規模で俊敏な部隊による対テロ作戦への移行はその典型である。

一方で、ビジネスのオペレーションにおいては、需要予測の精度向上が強調され、AIやデータ分析の活用によって一定の成果が得られている。しかし、経済状況の変動や社会的要因までを含めて完全に把握することは困難であり、合理性に基づく予測には限界が残る。この点で、軍事と同様に不確実性を前提とした柔軟な対応力が不可欠であることを示唆した。


・ミリタリーとビジネスの情報・シミュレーションと摩擦の問題

クラウゼヴィッツ『戦争論』における「情報の不完全性」と「摩擦」という概念を軸に、軍事とビジネスを比較しながら考察を進めた。クラウゼヴィッツは、戦争に関わる情報の多くは不正確で矛盾を含み、誤解や偶然によって摩擦が生じると指摘した。組織は形式上は統一されて見えても、内部には人間の心理や派閥、意見対立が存在し、それらが予測を困難にさせる。つまり、理論上は単純に見える行動計画であっても、実際には些細な要因によって困難が生じるという現実が強調される。

これに対し孫子は、情報を正確に収集することが可能であるとの前提に立ち、戦略において情報を重視する姿勢を示していた。現代においては軍事領域で最先端技術が導入されているものの、ウクライナ戦争におけるロシアの誤算に見られるように、依然として情報の不確実性や摩擦を完全に克服することは困難である。この点においてクラウゼヴィッツの主張は今も有効性を持つと考えられる。

一方、ビジネスにおいてはオペレーション理論がテキスト上では合理的に整理され、遂行可能性が強調される。しかし現実には需要予測や経済環境の変動といった要素は不確実性を伴い、摩擦の要因となる。軍事と異なるのは、企業活動における主要な相手が「自由意思を持つ消費者」である点であり、戦争のように敵対的な騙し合いが前提とされるわけではない。このため競合企業との関係を除けば、摩擦の性質は軍事とは異なる側面を持つと整理できる。

最終的に、戦争とビジネスを横断的に考察する際には、「情報の不完全性を前提とした柔軟な対応力」をいかに構築するかが重要な課題として浮かび上がる。


・『戦略は直観に従う』で論じられていること

本講義では、ウィリアム・ダガン著『戦略は直観に従う』を取り上げ、その核心である「戦略的直観」について論じた。この書はコロンビア大学ビジネススクールのMBA講義録をもとに書かれ、合理的・計画的に構築される戦略観に対し、直観の役割を重視する立場を提示している。

著者が強調する「直観」とは、単なる感情的予感や本能的な感覚ではなく、過去の経験や学習した知識が無意識下で結びつき、新たな洞察や発想として表れる思考的プロセスを指す。これはインスピレーションのように外部から突然降りてくるものではなく、むしろ多様な知識が有機的に統合される過程で生まれるものである。

また、著者は「専門的直観」と「戦略的直観」を区別する。前者は、業務経験の積み重ねによって問題解決のパターン認識が進み、効率的に処理できるようになる直観を指す。一方で後者は、未知の領域に直面した際、蓄積された知識や経験が新たな形で結びつき、革新的な解決策や戦略が導き出される段階を意味する。

このように戦略的直観は、戦略立案における創造性と革新の源泉であり、従来の合理的計画だけでは捉えられない重要な要素として位置づけられる。


・ナポレオンの直観とは(クラウゼヴィッツとジョミニの見立ての違い)

『戦略は直観に従う』におけるナポレオンの軍事戦略を例に、クラウゼヴィッツとジョミニの見立ての違いも論じた。ナポレオンは全ヨーロッパを席巻する際、独自のひらめきや戦略的直観に基づき行動したとされる。一方、ナポレオンの参謀でもあったジョミニはクラウゼヴィッツと同時代の軍事理論家だが、戦争の手順や作戦のマニュアル化を重視した。ジョミニの思考は、A地点からB地点への到達手順を明文化した手順論であり、決定的な目標地点の重要性や戦局の判断には十分に踏み込んでいない。

これに対してクラウゼヴィッツは、戦略の核心は目標地点そのものを正しく見抜く力、すなわち「戦局眼」にあると主張する。目標地点が戦争の勝敗に決定的に影響するかどうかを判断できるかが、戦略的能力の根幹であり、単なる手順論では補えないものである。『戦略は直観に従う』では、この戦局眼を形成するプロセスとして「歴史の先例」「平常心」「ひらめき」「不屈の意志」の4段階を挙げ、戦略的直観の具体的な働きが説明されている。

この議論により、ナポレオンの成功は単なる手順やマニュアルに従ったものではなく、戦局を見抜く戦略的直観に基づく判断の積み重ねによるものであったことが示される。


・クラウゼヴィッツのいう閃きのための思考過程とは(積極的理論化の難しさ)

クラウゼヴィッツによると、優秀な将校の思考過程には「閃き(戦略的直観)」が重要な役割を果たす。その閃きを支える要素として、『戦略は直観に従う』では以下の4点が挙げられている。

 1.先例:歴史上の事例や戦史から学ぶこと

 2.平常心:先例を参考にしつつ、早まった予断や感情的判断に流されない理性的態度

 3.ひらめき:正しい先例や状況を基に瞬時に生じる閃き

 4.不屈の意志:不確実性や困難を前にしても目標を完遂する意志

特に「平常心」は、戦略的直観の基盤となる理性的態度であり、感情や短絡的判断に左右されず、分析や経験を正しく活かす能力を指す。

クラウゼヴィッツは、理論やマニュアルに従った積極的な立案には限界があると強調する。マニュアル的な軍事原則(例:ジョミニの手順論)は参考にはなるが、実戦では常に選択を迫られる場面があり、全てを網羅したマニュアルは存在し得ない。そのため理論は「指針」ではなく「観察」として用いられるべきであり、対象を分析・熟知し、戦史に照らして実践知に変換するための道具とされる。

要するに、クラウゼヴィッツにとって理論は、単なる計画や手順の羅列ではなく、経験と観察をもとに個人の判断能力を補強するものであり、閃きを生むための思考過程のベースになるという位置づけである。


・MBA的な領域では積極的な理論化をする

MBA領域のテキストの中には、情報収集と分析により十分な精度の情報が得られることを前提に、戦略やオペレーションの理論化が積極的に行われているものがある。つまり、計画的かつ合理的に意思決定を行うことが可能であるという前提のもとで、理論的枠組みを構築している。しかし、クラウゼヴィッツの視点から見ると、実際の状況では情報は不完全であり摩擦も存在するため、理論だけで完全な判断を下すことは困難である。そのため、積極的な理論化には限界があることを理解する必要がある。


・再びクラウゼヴィッツの批判的思考について

クラウゼヴィッツは、理論的原則やマニュアルに依拠するだけでなく、批判的思考を通じて現実を理解することの重要性を強調している。彼の批判的思考は、単に教義を受け入れるのではなく、理論を活用して現実を深く分析する姿勢を意味する。その具体的手法として、まず歴史研究による個別事象の精密な分析が挙げられる。次に、原因から結果への連鎖を考察し、戦争や事象は単一原因ではなく複数の共同原因によって生じることを理解することが重要であるとする。しかし、原因を完全に実証することは困難であり、特に意思や心理の内部の動機はデータから正確に知ることはできない。したがって、クラウゼヴィッツは単純化せず、多様な要因を深く掘り下げる批判的アプローチを重視している。


・クラウゼヴィッツの理性的思考のための「平常心」

クラウゼヴィッツのいう「平常心」は、理性的な態度による思考の実践を意味している。具体的には、適用された手段や作戦の結果を検討し、それが意図された成果であるか、また他の可能な手段ではどうなったかを分析することを含む。戦争やオペレーションにおいては偶然性や摩擦が常に介在し、計画通りの結果が生じることはまれである。そのため、クラウゼヴィッツは「たられば」を積極的に思考に組み込み、現実に生じた結果と計画の差異を批判的に検討することを重視する。この理性的思考の態度は、軍事のみならずビジネスの実践領域においても有効であり、論理的整合性だけでは成果を保証できない現実に対応するために必要なものである。また、軍事戦略には絶対的な法則は存在せず、原則や蓋然性に基づく判断しか行えない点も、「平常心」を保持する重要性を裏付けている。


・『戦略は直観に従う』の閃きの事例として

『戦略は直観に従う』では、戦略的直観が事業やイノベーションの成功に果たす役割が強調されている。本書では、マイクロソフトやGoogle、Appleなどの事例を通じて、創業者やリーダーたちの成功は、計画通りの合理的戦略だけでは説明できないことを示している。例えばビル・ゲイツとポール・アレンのケースでは、起業初期に偶然性や予期せぬ事象が生じる中で、両者のアイデアがひらめきによって結びつき、結果として市場にブレイクスルーをもたらす戦略的イノベーションが生まれた。このプロセスでは、ジョミニのように事前に目標地点を明確に描いて計画する手法ではなく、クラウゼヴィッツ的にひらめきから実現可能なビジョンを描く形が強調される。

本書の趣旨は、合理性や計画通りの戦略だけでは物事は進まない現実を示すことであり、戦略的直観がそれを補う重要な要素であることを明らかにしている。また、この戦略的直観は、理性的態度や批判的思考、偶然性の許容といった「平常心」に基づく思考態度と深く結びついており、実践の世界における柔軟で現実的な判断を支えるものである。ビジネスのみならず、軍事戦略の領域でも、計画通りに事態が進まない複雑な現実の中で、戦略的直観が重要な役割を果たすことが示唆される。


・『戦争論』とゲーム理論について

『戦争論』とゲーム理論の関係についても言及した。特に孫子とクラウゼヴィッツの戦略思想をゲーム理論の観点から比較すると興味深い。孫子は慎重で用心深い指揮官を評価し、リスクを最小化しつつ最大の成果を狙うミニマックス戦略に近いアプローチを取る。一方、クラウゼヴィッツは大胆で果敢にリスクを取る将軍を評価し、必ずしも慎重さを基盤としない豪胆さを重視する。このように、両者は戦略的リスクの取り方に対する哲学が異なるが、いずれも合理的判断や状況分析の重要性を前提としている点で、ゲーム理論的に理解することが可能である。

この観点から、戦略思想と現代の理論的枠組みであるゲーム理論は完全に無関係ではなく、リスク管理や意思決定の比較分析に応用できることが示唆される。具体的なゲーム理論の手法や「囚人のジレンマ」などへの応用については、さらなる議論の余地があるが、戦略思想の分析において越境的な視点を提供するものである。

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