2024年秋季講座(明治大学リバティアカデミー)『教養としての戦略学「戦略論・戦略思想と経営学・ビジネス戦略を「越境」して考える~軍事領域とMBA的領域の比較~」』

第4回 リデルハートの間接アプローチとビジネスプラン、ストラテジー、マーケティング論を比較して考える

 講座要約(24年12月12日実施)


・「間接アプローチ戦略」のリデルハート

リデルハートは第一次世界大戦を経験したイギリスの軍事思想家であり、彼の「間接アプローチ戦略」は、戦力を極力消耗させずに政治目的を達成することを目指す理論である。この発想は孫子の「戦わずして勝つ」と重なり、効率性を重視した戦略思想として特徴づけられる。リデルハート自身、ソンムの戦いなどの過酷な戦場体験を通じて、大規模な消耗戦の悲惨さを目の当たりにし、正面からの衝突を避け、敵の弱点を突いて有利に展開する方法を追求した。

この「間接アプローチ戦略」は軍事戦略にとどまらず、ビジネスの世界でも応用可能な考え方として注目されている。特にマーケティングにおいては、競合との直接的な価格競争や資源の消耗戦を避け、差別化や市場の隙間を突く戦略として重ね合わせることができる。そのため、ハーバード・ビジネス・レビューなどでも孫子と並んで取り上げられることが多く、学術的に議論されている。ただし、従来の研究は理論的な並列にとどまる場合が多く、実践的な応用に踏み込んでいないことも指摘される。本講義では、このリデルハートの思想をマーケティング理論と結びつけ、実践的な示唆を探ることを目的とした。


・孫子とクラウゼヴィッツなら前者に近いリデルハート

孫子とクラウゼヴィッツは戦略思想において対照的な立場を取る。孫子は、情報を収集・分析して正確なインテリジェンスに転化し、合理的思考に基づく戦略を立案・遂行できると考える。その前提には戦場での予測可能性と一定のコントロールがある。一方、クラウゼヴィッツは摩擦や不確実性、運の要素が戦争を大きく左右すると強調し、合理性を認めつつも戦場の完全な掌握や計画の完全遂行は不可能であると捉える。したがって、孫子が予測可能性を重視するのに対し、クラウゼヴィッツは戦争の本質的不確実性に重点を置いた。

この二者に比べると、リデルハートは孫子に近い思想を持っていた。彼は『戦略論』において18の原則を提示しているが、そのうち12は孫子の思想を踏襲したものとされる。ただし、すべてが同一ではなく、独自の解釈や修正も含まれている。本講義では、このリデルハートの思想を総論から各論へと順を追って整理し、さらに深い考察へと進めていく構成となっている。


・「間接アプローチ戦略」とはどのようなものか

リデルハートの「間接アプローチ戦略」とは、敵軍を正面から撃滅するのではなく、敵の交戦意志を心理的に揺さぶり、戦意を挫くことで勝利を得ようとする戦略である。その目的は、戦争を可能な限り短期間で終結させ、犠牲やコストを最小化しつつ政治目的を達成することであり、クラウゼヴィッツが強調した「敵軍の撃破による勝利」とは立場を異にする。

また、リデルハートは孫子の思想を踏襲しつつも、特に心理戦の比重を大きく捉えていた点が特徴的である。加えて、武力戦のみならず、経済戦や外交戦といった多様な手段を戦争遂行に組み込む点でも孫子との共通性が見られる。ただし彼の独自性は、戦争を戦場の勝敗だけでなく「戦争後の平和の質」にまで照らして評価すべきだとした点にある。すなわち、大局的に不利な状況であれば目的を限定し、戦争後により良い平和を築けるかどうかを基準にすべきだと説いた。この戦後の状態(エンドステート)を重視する視点は、第一次世界大戦を経験したリデルハートならではのものであり、従来の軍事思想家と一線を画す特徴となっている。


・間接アプローチ戦略とマーケティング戦略の「越境」

リデルハートの「間接アプローチ戦略」は、軍事において正面衝突を避け、敵の意志を心理的に挫くことで勝利を得るという発想であった。この考え方はビジネス、特にマーケティング戦略にも応用可能である。企業間競争もまた消耗戦ではなく、限られたリソースを効果的に活用し、消費者や競合の心理や認知に働きかけることで優位を築くことが重要となる。

マーケティングの本質は「将来売れる仕組みを構築すること」にあり、単なる販売活動ではなく、長期的な需要創出を目指すものである。そのため、経営理念や全社戦略・事業戦略の枠組みを超え、企業活動全体を包み込むような役割を果たす。すなわち、間接アプローチ戦略が「戦力を効率的に用い、敵の意志を揺さぶる」ことを強調するように、マーケティング戦略もまた「資源を効率的に活かし、市場の心理や構造に働きかける」ことを通じて成果を追求するものである。

このように、戦場と市場という異なる領域でありながら、両者に共通するのは「消耗戦を避け、心理や構造に作用することで長期的な優位を確立する」という点であり、まさに戦略思想の越境的応用である。


・マーケティングのプロセスについて

マーケティングのプロセスは、環境分析を通じて市場の機会を見出し、市場細分化・標的市場の設定・ポジショニングを行ったうえで、マーケティング・ミックス(4P: プロダクト、プライス、プロモーション、プレイス)を策定する一連の流れから成り立つ。その中でも特にプロモーションは、消費者に認知を与えるだけでなく、競合に対する情報戦や心理的影響の要素を含み、リデルハートの「間接アプローチ戦略」との共通性が顕著に表れる。

ただし、ビジネスの世界では「心理的圧迫」や「相手を追い込む」といった露骨な表現は避けられる傾向にある。これは、軍事戦略に由来する間接アプローチが持つ生々しい要素が、ビジネス領域では「きれいな部分」のみ抽出されているためと考えられる。しかし実際には、競合との消耗戦を避け、ライバルに自主的な撤退を促すような仕組みづくりこそが理想であり、その実現には心理的影響をどう活用するかが鍵となる。

さらにマーケティングは、顧客満足を企業成長の源泉と位置づけ、ヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源を有機的に連携させる総合調整機能とされる。この点は経営戦略に直接影響を与え、現状の資源活用だけでなく将来的な戦略展開にも結びつく。そして、孫子の戦略論に見られる「勢」や「無形の戦力」(士気・闘志・自信など)の活用と同様に、マーケティングもまた有形・無形のリソースを組み合わせて競争優位を築くものである。以上の観点から、マーケティング戦略はまさに間接アプローチの現代的応用と位置づけられる。


・リデルハートの「大戦略」(高級戦略・グランドストラテジー)とは何か

リデルハートは「大戦略(グランドストラテジー、高級戦略)」を戦略の最上位概念と位置づけた。これは戦争における政治目的を達成するために、国家のあらゆる資源――軍事力に限らず、経済力、外交力、さらには敵国の交戦意志を挫く心理戦を含めて総合的に調整・運用する枠組みである。軍事力はその一要素にすぎず、他の手段と組み合わせて戦争を遂行することが重要とされた。

さらにリデルハートは、戦争における道徳や倫理の重要性を強調した。過度な残虐行為は敵国の抵抗を強めるだけでなく、自国の正義や国際的評価にも悪影響を及ぼすため、戦後の平和秩序や安全保障を視野に入れた戦略が不可欠と説いた。この点で、戦争の勝敗そのものだけでなく、その後の国際秩序の安定や共存共栄を重視したことが特徴である。

この考え方は「戦わずして勝つ」を説いた孫子の思想とも通じるが、リデルハートは特に国際関係の流動性――同盟国が敵国に変わる可能性など――を重視し、それを踏まえた包括的な戦略設計を求めた。つまり、大戦略とは単なる勝利を超えて、戦後の持続的な平和と国家の存続を保証するための総合的枠組みなのである。


・リデルハートをビジネス領域で考える

リデルハートの「大戦略」が国家資源の総合調整を重視したように、ビジネス領域でも経営戦略や全社戦略は資源を統合し調整する役割を持つ。しかし実際には、その効果を定量的に測定することは困難であり、ポジショニング論や資源ベース論といった理論を組み合わせても「良いとこ取り」はできない。経営資源の活用や間接アプローチ戦略は理論上魅力的であるが、現実には複雑さや予測不可能性が伴い、完全な総合調整は難しい。

さらにリデルハートが戦争における道徳や倫理を重視した点は、ビジネスにおいても重要である。企業は法令遵守やブランドイメージの維持が不可欠であり、不祥事や倫理違反はSNSやメディアによって即座に拡散され、信用失墜につながる。この点では、流血や暴力が前提となる軍事領域よりも、倫理性や道徳性に対する要求はむしろ高いといえる。

したがって、間接アプローチ戦略がビジネスパーソンにとって魅力的であっても、その実践には「総合調整の限界」と「倫理的制約」という二重の課題がつきまとう。軍事における倫理が現実には守られにくい一方で、ビジネスの世界では倫理違反が直ちに重大な打撃を与えるため、企業戦略においてはむしろ軍事以上に倫理の比重が大きいのである。


・リデルハートの「軍事戦略」(「大戦略」との間に起きる衝突)

リデルハートは「大戦略」の下位に「軍事戦略」を位置づけ、これを「純戦略」すなわち政治目的を含まない軍司令官の戦争術と定義した。大戦略は軍事戦略を統制すべきだが、実際には両者は矛盾しやすい。軍事戦略は敵軍の撃破を最優先し、国力を消耗してでも完全勝利を追求しがちであり、その結果、本来の大戦略の目的から逸脱する危険がある。これはクラウゼヴィッツも指摘しており、戦場では目の前の敵を倒すことが最優先され、倫理や大局観が後回しになるためである。

この構図はビジネスにも当てはまる。全社戦略(大戦略)に対して、各事業部の戦略(軍事戦略)は目先の売上やシェア拡大に集中しやすい。そのため長期的なブランド構築や市場基盤形成といった将来志向の戦略が軽視され、「今の売上がすべて」という至上主義に陥りがちである。つまり、戦場での「直接アプローチ」と同様に、ビジネスにおいても即効性を持つ短期的な戦略の強さと、それが大戦略と衝突するリスクが常に存在する。


・戦争の後で起きること

リデルハートは、戦争後の状況を考察する際、単に勝利の結果として平和を評価するのではなく、戦争による国力消耗や国際関係の変化を踏まえる必要があると指摘している。彼によれば、大戦略の観点から、国力を大きく費やして得られた平和は、次の戦争の発生可能性を内包しており、歴史もその実例を示している。また、同盟国は戦争の過程で利害関係が変化し、戦後には疑心暗鬼や相互不信が生じることから、かつての同盟国が新たな敵国となる可能性もある。リデルハートはこうした事態を踏まえ、国家間の勢力均衡や相互抑制作用を重視することで、敵国の完全殲滅や絶対的勝利を追求することが必ずしも最良の選択ではないと論じている。この考え方は歴史的事例や現代の国際情勢にも一定の妥当性を持ち、戦後の平和を評価する際には、戦果のみならず将来的な国際関係や勢力バランスへの影響を考慮することの重要性を示している。さらに、ビジネスの領域に応用すると、経営戦略や企業の意思決定も、短期的成果だけでなく、将来的な市場環境や競合関係の変化を見据えて判断する必要があることが示唆される。例えば、オーナー社長と外部からの雇われ社長では、企業の時間軸や意思決定の感覚が異なることがあり、戦略の見方や優先順位にも影響を与え得る。


・「拡張主義的国家」と「保守主義的国家」(チャレンジャー、リーダー)

リデルハートは国家の性質を「拡張主義的国家」と「保守主義的国家」に分類している。拡張主義的国家は現状に満足せず、対外侵略や領土拡張に関心を持つのに対し、保守主義的国家は現状の国境線や秩序を受け入れ、安定と安全保障を重視する。この区分は国際情勢の理解に有用であり、現代の事例としてはロシアのウクライナ侵攻と西側諸国の対応を、拡張志向と保守志向の対立として捉えることも可能である。また、ビジネスの世界では、拡張志向・保守志向の概念はチャレンジャー企業と市場リーダー企業の戦略スタイルに類比できる。

さらに、リデルハートは間接アプローチ戦略の一形態として「英国流の戦争方法」を提唱した。これは海軍力を中心に敵の貿易や植民地を制約することで戦争目標を達成する戦略である。しかし、この理論には批判も存在する。実際のイギリスは大陸に軍を派遣してバランス・オブ・パワーを維持してきたという反論もあり、リデルハートの主張が必ずしも歴史的事実と一致しているわけではないことに注意が必要である。


・リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの戦略

ビジネス領域における戦略分析において、国家間の拡張主義・保守主義の概念は、企業の市場ポジション分析に類比し得る。具体的には、フィリップ・コトラーの分類に基づき、企業はリーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの4種類に分けられる。

リーダー企業は業界最大のシェアを持ち、市場拡大やシェア維持・拡大を目的とする。典型例として、コンビニ業界のセブンイレブンが挙げられる。リーダーは市場規模の拡大による恩恵を受けるため、新商品開発やマーケティング施策などを通じてシェアを守り、成長を維持する。リーダーは保守的な立場にあるとされるが、実際には経済的成長や市場パイの拡大に対して積極的に取り組んでおり、先進国家の経済戦略にも類似点が見られる。

一方、チャレンジャー企業は業界で2位以下の位置にあり、リーダーに対する直接対決や、リーダーの弱点を突く戦略を採る。リーダーとの差が小さい場合には直接対決による消耗戦リスクが高まるが、差が大きい場合は弱点攻撃によって効果的にシェアを拡大できる。例としては、コピー機市場でゼロックスに対抗して中小型コピー機で勝負したキャノンやリコーが挙げられる。

このように、リーダー・チャレンジャー間の戦略関係は軍事戦略の直接・間接アプローチと類比でき、直接対決を避けつつ戦力や資源を効果的に投入する間接アプローチ戦略の考え方が、ビジネス領域でも応用可能である。


・間接アプローチ戦略の細部

リデルハートの間接アプローチ戦略は、戦争における直接的な武力行使を避けつつ、心理的・戦術的な手段で相手に圧力をかけ、効率的に勝利を目指す戦略である。この戦略では「攪乱」「最小抵抗線」「牽制」などの概念を用い、相手の心理や行動を操作することが重視される。しかし、これは本質的に孫子の「兵とは詭道なり」と同様に騙し合いの性質を含むため、ビジネス領域に応用する場合でも、倫理的・法的制約をどう扱うかが大きな課題となる。

また、間接アプローチ戦略の効果は予測が困難であり、相手に与える心理的ダメージの大きさや結果は正確に見積もれない。この不確実性は、直接アプローチ戦略のように力で押す方法が選ばれがちな理由の一つでもある。リデルハートの間接アプローチ戦略は「戦わずして勝つ」という理念としては魅力的であるが、実務レベルでの実践には騙し合いや心理操作など、倫理的に許容できる範囲の線引きが不可欠であり、理論と実践の間に難しさが伴うことを理解する必要がある。

要するに、間接アプローチ戦略は理論上非常に有効で聞こえは良いが、実務においては不確実性や倫理的制約が常に存在するため、戦略を用いる側の判断や制御能力が問われるという点が重要である。

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