2022年秋期講座(明治大学リバティアカデミー)『教養としての戦略学「古典戦略思想から現代安全保障を考える」
第1回 戦争とは何かを考える
要約(22年11月10日実施)
本講座第1回では、古典戦略思想を手がかりに現代の安全保障を考えるための基盤を提示した。まず「戦争とは何か」という根源的問いを示し、人類史を通じ戦争は文明以前から人間生活と不可分であったと論じた。
戦後日本では憲法や平和主義を前提に戦争を考える傾向が強く、戦争の本質を直視する視点が弱まっているとの問題意識を提示し、さらに、日本における戦争学・戦略学教育の欠落を指摘し、欧米の事例と対比した。
現代戦はサイバー・情報・心理戦を含む「ハイブリッド戦争」へ移行しつつあり、米中露それぞれの対応を紹介した。戦争史を四期に区分して古代と現代の共通点と相違を整理し、戦争の本質は不変であると強調した。最後に孫子やクラウゼヴィッツら古典思想家の視座を確認し、政治と軍事の関係の重要性を改めて位置づけた。
講義録(詳細)
・導入
本講座「教養としての戦略学―古典戦略思想から現代安全保障を考える」は全3回構成で、古典戦略思想を現代の安全保障問題と接続して考えることを目的とする。講義は一方的な解説ではなく、質疑応答や受講者コメントを交えながら進められる。第2回ではウクライナ戦争、第3回では中国・台湾問題を取り上げる予定である。
・戦争の定義と人類史的文脈
イントロダクションでは「戦争とは何か」という根本問題を提示した。ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、日本でも防衛政策の変化が議論されているが、その前提として戦争の本質を考える必要がある。イスラエルの歴史家アザーガットの大著が紹介され、人類史において戦争は文明以前から人間生活に密接に結びついてきたと論じた。縄文と弥生の比較などを例に、戦争は人間の本性に根差す可能性があると指摘した。
・日本人の戦争観と憲法
日本人は戦争を論じる際、憲法や法律の制約を強く意識する。戦後日本は「平和を愛する諸国民に信頼する」という理念に基づいてきたが、その結果、戦争の本質を直視する視点が弱まりがちである。2015年の平和安全法制により集団的自衛権の一部行使が認められるなど変化も見られるが、依然として法的枠組みが思考の基盤を制約している。
・日本における学問的欠落
日本の大学では「戦争学」「軍事学」「戦略学」といった名称での体系的教育が欠落している。防衛大学校など特殊な教育機関を除けば、国際政治学や平和研究の中にわずかに含まれる程度である。これに対して英国キングス・カレッジや米国の一部大学では戦争研究が学部・大学院レベルで体系的に教えられており、ローレンス・フリードマンの『War』のような標準的教科書も存在する。日本の知的基盤は脆弱である。
・戦争理解の不十分さ
日本では戦争を憲法や法律の延長として理解しようとする傾向が強いが、それだけでは現実を捉えきれない。古典戦略思想を手掛かりとし、過去・現在・未来を結びつけて考える柔軟な思考が求められる。
・現代戦の特徴
現代の戦争は大きく変容している。従来の「通常戦」では前線と後方が明確に分かれていたが、現在はサイバー戦・情報戦・心理戦などが同時並行的に行われる「ハイブリッド戦争」が注目される。特にSNSなどを通じた情報操作は国民感情や国際世論に直接影響を与えており、戦争と平時・有事の境界は曖昧になりつつある。
・各国の対応
米軍は師団や旅団単位に宇宙・サイバー・電磁波戦能力を組み込み、分散的な対応を進めている。他方、中国は「戦略支援部隊」を中心にやや中央集権的に新領域を統制しているとされる。ロシアは国防管理センターを設置し、非軍事領域を含めたハイブリッド戦を展開してきたが、ウクライナ戦争における実態は必ずしも成功していない。日本は新領域への対応で遅れが指摘されており、自衛官による論文も改善の必要を訴えている。
戦争史の四期区分
講義では戦争史を4期に区分する視点が提示される。
-第1期:紀元前20世紀頃まで。人口も技術も限られ、農具を転用した武器で戦い、原始的な陣形も見られる。
- 第2期:古代ギリシャ・ローマ、中国など。ペルシャ戦争やアレクサンドロスの遠征が代表例。軍隊は歩兵・騎兵・弓兵などに分化し、ファランクスやレギオンといった組織的陣形が用いられた。
- 第3期:中世。十字軍やモンゴルの戦争、日本の元寇など。火力の発達前であり、戦術的洗練はやや後退したとされる。
- 第4期:近代以降。ナポレオン戦争、第一次・第二次大戦。大規模な軍団・師団の組織化、大量破壊兵器や総力戦の出現。
・古代と現代の共通性と相違
古代の戦争も合理性や計画性を持ち、政治目的の達成を意図していた。前線と後方の区別が明確であり、輸送力や火力は限定的であったが、戦略的思考は存在した。他方、現代戦はマルチドメイン化し、破壊力も格段に大きい。しかし戦争の本質、すなわち「相手の意思を武力で強制する」という点は不変である。
・受講者との対話
受講者からは3つの論点が提示された。第1に、戦前も戦後も日本は概念の柔軟な操作ができず、思考が固定化されているのではないか。第2に、ハイブリッド戦争は手段が増えただけで本質的変化ではないのではないか。第3に、古代から現代までを「目的・結果・リスク」の観点から整理すれば、共通点と相違点が浮かぶのではないか、というものである。これに対し講師は、概念の固定化がリスクを生むこと、手段と目的の混同に注意すべきことを指摘し、古典戦略思想から学ぶ意義を強調した。
・古典戦略思想の意義
孫子は「兵とは国の大事」と述べ、戦争を国家・政治の根本問題とした。クラウゼヴィッツも「戦争は政治の延長」と定義した。マキャヴェリは征服と支配を目的とする戦争観を示し、マハンは海軍力の政治的重要性を論じた。こうした古典的思想家は一貫して「政治が軍事を統制する」と主張しているが、現実には軍事が政治を凌駕する場合もあり、その緊張関係を考察する必要がある。
・結語
第1回講義のまとめとして、戦争の様相は時代に応じて変化するが、本質は変わらないとされる。ゆえに古典戦略思想から学ぶ価値は依然として大きい。第2回以降ではウクライナ戦争や中国問題を具体的に論じ、現代の安全保障に直結する議論へと進む。
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