2021年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学『孫子』「マキャベリ」クラウゼヴィッツ『戦争論』「リデルハート」などを手掛かりに

第4回 続・近代篇(前篇)


講義録(21年7月1日実施)


・『戦争論』とその意義

カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780–1831)は、プロイセンの将校であり、著作『戦争論』によって近代戦略思想に大きな影響を与えた。『戦争論』は八篇から成り、戦争の本質から戦略・戦術・軍制に至るまで幅広く論じられている。彼の思想は単なる軍事技術論を超え、戦争とは何かという根源的な問いを投げかける点に特徴がある。


・絶対戦争と現実戦争

クラウゼヴィッツは戦争を「観念上の絶対戦争」と「現実の戦争」とに区別した。理論的に純化された戦争は、敵を完全に打ち破ることを目的とする。しかし実際には摩擦や偶然、政治的制約が存在するため、戦争は常に不完全で相対的なものとなる。彼はこうした区別を通じて、戦争を理解するための分析枠組みを提示した。


・三位一体の理論

クラウゼヴィッツが提示した有名な概念に「三位一体」がある。すなわち戦争は、①暴力と憎悪に駆られる国民、②偶然と確率に左右される軍隊、③政治的目的を追求する政府、という三つの要素の相互作用によって成り立つ。これら三者のバランスによって、戦争の性格が規定されるという洞察は、今日に至るまで戦争分析の基本枠組みとして用いられている。


・摩擦という概念

クラウゼヴィッツは戦争における「摩擦」を重視した。摩擦とは、計画と現実の間に生じる無数の障害や偶発事象のことである。軍隊の移動、兵站、天候、士気といった要素が作戦を妨げ、結果として理論上の戦争は現実には実現しない。摩擦を理解することは、戦争を単なる数理的現象ではなく、人間的営みとして捉えるために不可欠である。


・戦争と政治の関係

クラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長である」という命題を残した。すなわち戦争は自律的な現象ではなく、政治目的を実現するための手段にすぎない。したがって戦争を理解するには、軍事的要素だけでなく、政治的・社会的背景を考慮することが不可欠である。この視点は、ジョミニの軍事技術偏重の理論と大きく対照的である。


・ナポレオン戦争の経験

クラウゼヴィッツはナポレオン戦争の時代を生き、自らもプロイセン軍将校として従軍した。その経験を通じて、戦争の現実と理論との乖離を痛感した。彼にとって戦争は単なる勝敗を超え、国家と社会全体を巻き込む現象であった。そのため『戦争論』は抽象的で難解ながらも、戦争の本質を掘り下げる哲学的著作として位置づけられている。


・まとめ

クラウゼヴィッツは「戦争の本質」を問う思想家であった。絶対戦争と現実戦争の区別、三位一体の理論、摩擦の概念、そして「戦争は政治の延長」という命題を通じて、戦争を総合的かつ現実的に理解しようと試みた。その思想は今日でも戦略研究や国際政治学において基盤を成しており、ジョミニ的な実践理論とは異なる次元で、戦争を思想的に捉えるための不可欠な参照点となっている。