2019年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学 「戦略古典・『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』の本質を読み解く ~ロングセラー『失敗の本質』を手掛かりにしながら」

第2回 ミッドウェー海戦


講義録(19年6月5日実施)

第2回は、日本の敗戦を決定づけた転機の一つであるミッドウェー海戦を、『孫子』と『戦争論』の戦理を用いて検証した。焦点は、①見積りの合理性、②「力・空間・時間」という三つの戦理、③その後のマリアナ放棄論・フィリピン決戦構想との関係、の三点である。


・合理的見積りの『孫子』と合理性を欠く日本軍

『孫子』は戦争開始前に徹底した見積りを行うことを重視し、戦力・地形・士気・統治といった要素を数値化して比較する姿勢を強調する。これに対し日本軍は、作戦見積りの段階から合理性を欠いた。海軍の「十課長会議」では三つの攻撃案が示されたが、いずれも玉虫色の結論に終始し、「今後の採ルベキ戦争指導の大綱」としてまとめられた文書は実質的に曖昧な妥協の産物であった。陸軍と海軍の作戦ベクトルは分裂し、短期決戦志向を推し進めた山本五十六の主導のもと、「ハワイ攻略」案を代替するかたちでミッドウェー作戦が選ばれた。ここには『孫子』が説く周到な廟算(事前演算)の精神が欠如していたといえる。


・「力」「空間」「時間」の戦理

クラウゼヴィッツ『戦争論』が強調するのは「力」、すなわち兵力の優勢を確保することである。孫子もまた「衆寡の戦理」を説くが、同時に空間や時間の要素を織り込み、戦場の選定や迅速な勝利の追求を強調する。ミッドウェーにおいて日本軍は、これら三つの要素すべてを誤った。

力:日本は主力空母を分散させ、自ら戦力を削いだ。アリューシャン作戦を並行実施したため、戦力集中の原則に反した。

空間:軍事戦略と作戦戦略の不調和が顕著であり、一時的な攻略と永続的占領の違いが理解されていなかった。戦場選定の条件を軽視し、戦略的意義の乏しい地点に兵力を割いた。

時間:短期戦で決定的成果をあげることを狙いながら、エンドステート(戦争終結像)を描けず、戦略目的と作戦目的が乖離した。作戦目的が将兵に徹底されなかったことも大きな敗因である。

この三要素の誤認は、『孫子』や『戦争論』における基本的戦理の無理解を示すものであり、結果として海軍は米軍の奇襲に対処できず、空母四隻を失う壊滅的敗北を喫した。


・幻となったマリアナ放棄論とフィリピン決戦

ミッドウェー敗北後、日本は戦略的立て直しを迫られた。しかし「絶対国防圏」と呼ばれる概念は文言上の共有に過ぎず、実際には陸海軍で防御構想が異なり、統一戦略は存在しなかった。マリアナ放棄論や航空要塞構想などが一時的に議論されたが、最終的にはフィリピン決戦論が優位となり、東條英機首相もこれを支持した。だがこれは『孫子』や『戦争論』が説く攻守関係を理解しない議論であった。『孫子』は守備の有利を強調し、『戦争論』は攻撃と防御の相互関係を明確に論じているが、日本は「決戦即講和」という短絡的な期待に基づき、防御のための体系的戦略を築けなかった。

その帰結として1944年のマリアナ沖海戦では、技術的劣勢と準備不足から大敗を喫した。こうしてミッドウェー敗北からの戦略的教訓を吸収できず、むしろ失敗の連鎖を強めていったことが明らかとなる。


・総括

ミッドウェー海戦は、日本軍の合理性欠如を端的に示す事例である。『孫子』の廟算や戦場選定、『戦争論』の兵力集中と攻防論といった基本的教えを軽視したことが、敗北を必然化した。加えて、戦略目的と作戦目的の不調和が修正されぬまま、マリアナ・フィリピン戦に持ち越された。ここには「政治・外交・経済と軍事の関係」を誤った第1回の論点が重層的に絡んでおり、日本軍の失敗が単なる一作戦にとどまらず、構造的な欠陥であったことが理解される。